葉月が黙ってみているはずがない。すかさず髪を運転士の手を目当てに投げた。運転士は最初の髪は避けたけど、続いて飛んでいく髪までは避けられなかった。でも、本気で髪を避けようともしなかった。彼は髪がもたらす痛感で快感を感じているから。

運転士は髪にさされた自分の体を満足そうに見ながら話しだした。

「この痛み、いいね!俺がずっと求めてた感覚なんだよ!やっぱり姉ちゃんに傷づいてもらわなくちゃ、こんな気分、味わえないのだよ!もっと俺を懲らしめてくれ!もっと俺を感じさせてくれ!この痛みが頂点に達した時、新たなおたまじゃくしが生まれる時だから」

そんなことはさせまいと、葉月の髪は運転士の全身を突き刺さった。髪が運転士に力を与えるのを知りながらも髪の攻撃をする。きっと何か意図があるに違いない。

ハリネズミのようになった運転士はもう動けないと思ったら、壊れたロボットのように体を少しずつ動かし、まだまだ動けると確かめた。まだまだ歩ける確かめ終えてから、運転士は葉月に向かって走りだした。

「俺の体はもうとっくにおたまじゃくしに任せたのだよ!だから、俺がどうなっても平気。おたまじゃくしが俺の体を操って姉ちゃんを攻撃するから。姉ちゃんの髪はこれから俺の武器と、栄養として使ってもらう!」

運転士は体に刺さっている髪一本を抜き取って片手に持った。

「私の髪があなたの力を吸収するのを知らない?」

葉月は淡々とした口調で言い聞かせた。

「知ってるとも。でもよ、力が弱ければ俺に吸収されるんだぜ~弱肉強食って言葉、知ってるよね」

よく見ると、確かに髪の数が減っていった。運転士が一つ一つ吸収していた。

「いただいちゃった」

運転士は満足そうに言った。そして、舌で口を一回りして舐めた。

「ゆるさない」

運転士の攻撃態勢を見た葉月がポツリと一言だけ言った。葉月がこんなにはっきりと自分の感情を言ったのが今回で初めての気がした。

「ゆるさないってなんのこと?あ~、あいつのことか」

運転士は話しながら僕の方を見た。彼の体にささった髪の数はずいぶんと減った。

「でもよ、勘違いしないでもらいたいね。あいつをあんなぼろぼろにしたのはあんたなんだから。俺はただいい気持ちを感じるようにちょっとした細工をしただけなんだから。でも、それが気に入らなくて髪を投げたのは姉ちゃんだからね」

運転士の体にあった無数の髪をもう全部消えた。

「行くよ!行くといって、あんたとの距離を縮めるほうの『行く』なんだけどね。絶対あっちの行くじゃないからね」

運転士は走って葉月の目の前まで近づいた。 手に持っていた髪を両手でつかみ頭上にかざした。葉月を目当てに振り下ろすつもりだ。間合いを十分つめてから運転士は跳びあがった。空から急降下する運転士を避けようともせず、葉月はその場につっているだけだ。

すると、地面からいきなり長い髪の槍が生えて運転士の体を貫いた。葉月が運転士の目を盗んであらかじめ、地面に埋め込んだ髪だったようだ。

「ハハハ、この手もあったか。でもよ、いくら髪に刺されても俺に通用しないってことを、なんでわからないかな?往生際が悪いんだね!」

余裕ぶってる運転士。それをただ見ている葉月。

しかし、運転士は急に焦り始めた。

「あんた!なにした!なぜ髪が吸収できない?そんなバカな!」

運転士は自分の体に刺された髪を抜こうともがき始めた。

そんな運転士の姿を見ながら葉月は静かな口調で話した。

「言ったはず、力を吸収すると」

僕は辺りを見渡した。でかいおたまじゃくしがあるはずの場所にはもう姿がみられない。あんな大きかったおたまじゃくしはもういなくなっていた。変りに月の明かりでうっすらと輝く髪の柱があそこに佇んでいるだけだった。

「ぐぅああああ!」

運転士の叫び声が静寂を壊した。暴れるのもつかの間、彼は空気が抜けた風船のように、髪に支えられている。

「さようなら」

葉月の冷たい言葉。これが合図になって、髪が一度運転士の体から宙にあがったが、また彼の体に突き刺さった。それを何度も何度も繰り返した。運転士はもうとっくに死んだのに、葉月は彼の体を虐げるのをやめなかった。髪に刺された運転士の死体はずたずたにされた。見るだけで吐き気がしそうになった。

運転士が死んでから、僕は頭の中にあるはずのおたまじゃくしが消えたのを感じた。頭の中に、ぽっかりと穴があいたような感じがしたから。僕はそのまま地面に倒れた。

葉月は僕の前まで駆け寄って、僕を抱きしめた。顔ははっきり見えないのだが、悲しい表情をしているのはなんとなくわかった。

「ごめん」

「僕こそごめん」と言いたがったが、急に眼の前が真っ黒になって、意識がどこかへ飛んで行った。意識を完全に失う前に、葉月が僕の名前を叫んだような気がした。