500の日本人を乗せた移民船が、
地球を発って40年が過ぎた。

船長のレイフ・ニイガタという日本人は、
過去にトロヤ(ぐん)を単独掘削し、地球上にない
希少鉱物を見つけたことで一財を成して
地球初の宇宙冒険家を名乗った。

多くの功績によって勲章(くんしょう)を得て、
英雄とまで(たた)えられた彼が次に目指した先は、
約11光年離れた地球型惑星だった。

その理由は、連盟が長年計画していた
火星の地球環境化計画が頓挫(とんざ)したことにある。

地球では南極の氷が溶け、海水が冷えると
異常気象が続き、世界各地に水害が発生。

長雨続きの冷害は深刻な被害をもたらし、
農作物のみならず生態系にまで及んだ。

問題はより深刻化して新興国にも飢饉(ききん)が発生、
水や食料、燃料の奪い合いで戦争へと発展する。

レイフは『地球船グリーンランド号』を建造した。

空気・水・食料・エネルギーを長期間循環でき、
おとめ座方面に存在する地球型惑星を目指す
『ニュー・ヴィンランド計画』を発表した。

これらの名前は全て
船長のレイフ・ニイガタの名から、
クリストファー・コロンブスより以前に
アメリカ大陸に歴史上初めて上陸した、
レイフ・エリクソンに由来する。

レイフの船に搭乗できる人間は、言語や文化、
そして宗教的な価値観の近い日本人に限定した。

これは宇宙船という閉鎖環境で、
人種および民族などのトラブルを避ける為である。

また循環システムの影響で、搭乗員は
完全菜食主義者(ヴィーガン)に限定された。

生物による病気の発生を
可能な限り排除するには致し方なく、
卵やトリ肉さえ食せない生活になる。

しかし地球の危機的状況が船の注目を後押しし、
500の定員になんと1万倍を超える応募があった。

そんな中で選ばれたのは、
肉体と精神的に健康な独身の成人男女であった。

それから人間の生活を補助するため、
機械人形が長旅に同伴(どうはん)した。

目的地までの旅は20万年にもおよび、
無謀な計画は非道徳な社会実験と非難(ひなん)を浴び、
単なる口減らしだとも揶揄(やゆ)された。

「搭乗権を得られなかったキツネたちが、
 すっぱいブドウと呼んでいるに過ぎない。」

船長のレイフはこのように強く反論し、
選ばれた乗員たちはかれを喝采(かっさい)した。

太陽圏(ヘリオスフィア)内では惑星巡航するなか、
日本人だけの船であってもやはり(いさかい)いが起きる。

顔の違い、体格の差、出身地域による
文化の違いでグループ間の衝突(しょうとつ)が絶えず続く。

また、閉鎖環境での決められた生活時間、
新しい娯楽も供給されず、限られた食材と
変化の乏しい食事メニューに外は死の世界。
適正のない人間たちはストレスを溜め込んだ。

肉も魚もない食事に対する不満が噴出(ふんしゅつ)して、
乗員同士のケンカは日に日に激しさを増した。

若者だけの烏合(うごう)(しゅう)では自治能力が機能せず、
有志による自警活動にも限界であった。

抗争が激化すると間もなく死者が出た。
対立グループによる命の奪い合いが始まり、
最大で半数近くの死傷者を出した。

この事件はその後の調査によって、
単なる異性の奪い合いが原因と判明した。

しかしそれも船長にとっては想定されており、
移民船の航行はまだ始まったばかりであった。

事件後ひとつ問題があるとすれば、
乗員が共有する生活用時計が壊されたことだ。

ただそれも船の計算能力や地球との連絡で
確認は可能だったが、暴動の再発を懸念(けねん)
修復しないことが決定した。

これによって乗員は日夜の概念(がいねん)に縛られず、
自由に活動できたのがただひとつの利点であった。

移民船が太陽の重力圏を脱出するには、
第3宇宙速度の時速約6万キロメートルまで
加速する必要がある。

そのために、木星と土星の重力を利用した
天体重力推進(スイングバイ)を行い、
おとめ座方面に向けて慣性航行に入った。

海王星軌道を離れ、航行から40年が経ったころ、
太陽系内粒子が減少し、銀河宇宙線の増加が
観測された。

船は太陽から約180億キロの距離を進み、
ヘリオシースと呼ばれる太陽風の生み出す
磁気の泡を抜けて移民船は銀河との境界面、
ヘリオポーズへと突入した。

これは人類初の快挙として
地球圏にもその知らせは届いたが、
船長のレイフは長年続けた宇宙での活動による
宇宙線被曝が原因でこの世を去った。

かれに子どもは居なかったものの、
機械人形によって計画どおり航行は続いた。

船内で生まれた次の世代も育っている。
『ニュー・ヴィンランド計画』は順調に思えた。

レイフの死後、不思議な嬰児(えいじ)が生まれた。

最初は死産だと思われるほどに、
心拍数が微弱で呼吸も浅かった。

脈拍は1分間に10回前後と、
正常な子どもの10分の1程度しかない。

慎重に観察を続けたものの
生命に異常は見られなかった。

しかし異常が現れた嬰児(えいじ)
この1例だけではない。

太陽圏(ヘリオスフィア)を出てから10年経っても、
同様の状態ばかりの嬰児(えいじ)が生まれたが、
ひとりとしてしゃべらず、自立歩行しなかった。

それでも両親と船内の機械人形が、
かれらの緩やかな成長を見守った。

嬰児(えいじ)の食事量はとても少なく、
睡眠時間は異常なほどに長い。

最初の嬰児(えいじ)が生まれて60年。
つたない歩行と言葉をわずかに覚えたが、
親が死んでしまったことで問題に直面する。

残された人間はかれらの扱いに困った。

成長が約10倍も遅いかれらは、
長い宇宙の旅に適した新人類であり、
乗員たちは冒険家レイフの子孫と呼び祝福はした。

しかし長過ぎるこの旅路に適切であるか否か、
乗員は誰も判断を下さなかった。

偉大な指導者を失った船は慣性のままに進み、
妥協(だきょう)に妥協を重ねて責任の所在を(ないがし)ろにして、
150年が経ったのである。

移民船は機械人形たちが自動で制御し、
航行距離は1,000億キロを超えたが、
目的の星まで地球から約11光年の距離がある。
いまだ1光年|(9兆5,000億キロ)にも満たない。

レイフの子孫たちは
15歳前後の子どもたち50人が、
『地球船グリーンランド号』に取り残された。

普通の人間であれば老いて死んでいる。
だがかれらの肉体は成長を続けている。

見た目かれらは普通の人間に近いが、
生活スタイルは大きく異なった。

常に呼吸が少なく浅い。
睡眠が平均80時間と非常に長く、
覚醒時であっても運動量は少なく
体力を温存して、仮眠も多い。

かれらが生きる上で
気をつけなければならないことはふたつ。

ひとつは胃液。

空腹状態が長く続くと、胃酸が身体を(むしば)む。
ただしそれもゼリーをひと口飲む程度で解決した。

代謝の速度がとても遅い。

かれらに近い生物として、ニシオンデンザメは
冷たい深海に棲むことで代謝を抑え
寿命は400歳にまで達する。

レイフの子孫はその倍以上の寿命を持つ。

しかし小さな傷が原因で、死に至る恐れもある。

皮膚(ひふ)の回復には1年近くの時間が掛かり、
血が造られるのに1,000日以上を要した。

そうしたリスクをかれらは少しずつ学んでいった。

それからさらに50年が経ったころ、
レイフの子孫たちは子どもを身籠(みもご)る。

繁殖(はんしょく)は長い旅路の使命でもある。

しかし妊娠にかかる負担は、
普通の人間以上に大変であった。

通常、性交から約28日で悪阻(つわり)が始まる。
受精卵が着床後に子宮内に胎盤(たいばん)を作るため、
ホルモンの分泌(ぶんぴつ)が増え、嘔吐(おうと)中枢(ちゅうすう)が刺激される。

母体はホルモンバランスが変化して、
自律神経(じりつしんけい)に負担を与え、船酔い状態になる。

普通の人間であればこれが約100日続くのだが、
レイフの子孫は悪阻(つわり)が1,000日以上も続いた。

15人いた最初の妊婦も苦痛に耐えきれず、
10人が中絶を希望した。

死産もありレイフの子孫は4人の第2世代を得た。

それからさらに時が経ち、
第3世代がひとりだけ生まれた。
それが最後だった。

かれらはおしなべて性欲が減衰(げんすい)しており、
精子の鞭毛(べんもう)が短く子宮内を泳ぐ力を失い、
人工授精を試みても卵子は着床しなかった。

種の存続などの使命や長く続く子育てよりも、
レイフの子孫らの肉体が個人の幸福度を優先した。

地球を発って何年が過ぎただろうか。
レイフの子孫は第3世代のひとりを残して
みな死んでしまった。

老衰ではなく、老いた身体と
長く続く苦痛に耐えかね、自害を選んだ。
すべては個人の幸福の為である。

機械人形も生活を補助するための人間を失い、
そのほとんどが稼働を停止した。

ひとりぼっちの移民船は、
目的地に向かって進み続ける。

もはや時間の感覚も失われている。

冒険家レイフの遺志(いし)など、
残されたレイフの子孫には関係ない。

20万年にもおよぶ旅の、
無謀(むぼう)な計画の結末はあっけない。

船は航路上に存在した天体で
何度かのスイングバイによって軌道を変え、
レイフの子孫は太陽圏(ヘリオスフィア)まで戻ってきた。

かれが地球の衛星軌道に戻ったのは、
肉体が80歳を過ぎたころだった。

船は生存していた地球人類に迎え入れられた。

『地球船グリーンランド号』が発った当時は、
地球では異常気象が続いたものの、その後の環境は
徐々に回復していき、人類の総人口は
すぐに100億人を超えていた。

大昔の技術で造られた地球の骨董品に、
人類は関心を寄せ、ひとりの搭乗員に驚いた。

第3世代は言葉は現存の地球人類には通じず、
古い英語の発音もあやしいものがあった。

英語の『ファック』が良い意味で用いられ、
何度か違和感を覚えた。

機械人形の通訳によって知らされたのは、
『ニュー・ヴィンランド計画』は最初から
冒険家レイフが太陽圏(ヘリオスフィア)外を目指す方便に過ぎず、
入植の失敗を前提とした計画であったということ。

『地球船グリーンランド号』は
太陽圏(ヘリオスフィア)外までの社会実験の場であり、
入植者を募ったグリーンランドの命名と同様に
乗員を集めるための宣伝であったこと。

乗員を日本人に限定したのも、規範(きはん)従順(じゅうじゅん)
暴力性の低さに目をつけられたに過ぎない。

当時の同盟がその事実を隠し、糾弾(きゅうだん)された。

そしてヘリオシース突入によって発見した
新生児の成長の遅滞(ちたい)と長寿命化を研究し、
人類の平均寿命を約1,000年にまで
伸ばすことに成功し、太陽圏(ヘリオスフィア)の開拓が進んだ。

冒険家レイフが地球を発ち、
ほぼ1,000年が経過したと思ったレイフの子孫だが
地球時間ではすでに40万年以上が経過していた。

かれの寿命は普通の人間の10倍どころか、
わずか3代で約5,000倍にまで伸びていた。

移民船が航路上でスイングバイを行った天体が、
約11光年離れた目的の惑星とようやく気づいた。


(了)