目が覚めると俺は地面に倒れていた。当然だ空から落ちたんだから。………当然か?なんで生きてんの俺。上空何十kmから落ちたのに一切怪我がないなんて………夢だったのかな?
上体を起こして周りを見ると、いつもと変わらない見知った街が広がっていた。登下校の時に横切る大きな家、小学生の頃によく遊んだ公園、隕石が突き刺さる大型ビル、家屋がすっぽり入るほど大きな地面の亀裂、真っ黒に焦げたハゲ山…………右手の人差し指と親指でつまむように両目を押さえ力強く目を瞑り、5秒後目を開けた。
…………変わらないかぁ。夢ってことはないかぁ。

俺は立ちあがり落ちてきたであろう空を見る。穴も何もない真っ青な空………雷が降ったとも思えないほど晴れ晴れとした空だ。うーん気持ちがいいね、いつもなら明るい気持ちになれるというのに悲しいよ。

「…………まさかな。」
「ふっふっふっ…………そのまさかさ少年!」

後ろからバカ明るい声が聞こえた。俺は両手で耳を塞ぐと、振り向くことなく前に歩いていく。

「さっさと塾行くかー遅刻しちまうよ。今日のは微積分の面白いところなんだ、聞き逃すわけにはいかないんだ。そうだ、そうなんだ………。」
「おーーい無視してんじゃないよ君。」
「構ってらんないんだ………こんなよく分からないことに。無視無視、こんなのは挟んであっちへポイだ。」
「こっちを見ろぉ。殴られたいんかおま……あ、逃げた。」

俺は全力で走って逃げぶっ!!右足首を後ろの人間に掴まれた俺は顔面を勢いよく地面に叩きつけた!!

「ぬほぉぉおおおおっ!!前歯絶対折れた!!もとから悪かった顔が更に悪くなったらどうするつもりなんだてめぇ!!」
「前歯ぐらいこの世界なら簡単にくっつくから大丈夫だって。我慢してよね。」

そして俺の襟首を掴み引き寄せ………イリナはニッコリと笑いながら俺を見つめた。

「なに逃げてんのてめぇ。」
「いや全然、まったく、なにも逃げてなんかいないですよええ。まったくもって、逃げるつもりなんてまったく、ええ、本当ですよ。イリナさんから逃げれるなんて僕ちゃんが思ってるわけないじゃないですかぁ。あははー。ははっ………。」
「うんうん、だよねぇ。」

笑顔のまま、でも襟首を掴むのもそのままにイリナは俺を見てくる。
イリナ………本名はイリナ=ヘリエル。長い金髪で透き通るような碧眼を持ち、日本人離れした美貌の女性だ。そのあまりの美しさは魂が乗り移った人形のようで、日本人離れというか人間離れしている。その超人的な美貌によって彼女は勇者の中で他を寄せ付けないほどの人気を持つ。………そう、彼女は現実じゃあ存在しない勇者なのだ。
なぜ俺が初対面の人間の名前がわかっているのか、現実にはいない勇者だと理解しているのか…………嫌な予感はしていたのだ、この世界を見た時から…………

「君さ、私達のこと小説に書いてるでしょ。」

そうだ、ここは俺が小説に書いている世界そのまんまなのだ。建物や土地が現実と鏡写しの異世界。人智を超えた魔力を有し、勇者と魔族が戦いを続けている戦場。その作品の主人公がこの女性、イリナなのだ。

「な、なんすか。悪いんすか。夢に出てきた面白いことを小説にしちゃいけないっていうんすか。なんならこれ夢じゃないっすか。俺は断固認めませんよこんな現実。」
「肖像権があるからさ。しかも私ほどの美女ならもうね、肖像権の塊みたいなもんだよね。」
「いやでも夢だし………。」
「この世界は実在しているんだよ。私も存在しているし、勇者も魔族も存在している。」
「いやきっとこれ夢だし………。」
「ほーらここにある剣も現実だぁ。どう?持ってみる?」

イリナが剣を手渡してきた。めちゃくちゃ持ちたくないんだけどなぁ…………でもまぁこんな可愛い子に何かを手渡して貰える機会なんて人生ではそうないだろうし、記念にもらってやろうか。
ドズンッ
おっも!?受け止めた両手が地面につく!えっ………イリナはこれを片手で軽々持ってたよね!?爪楊枝を持つぐらいの気軽さで持ってましたよね!?

「しかもほーら、こんなところに………」

影が覆い被さった。俺はこいつの性格を知っている。初めて会うのによく知っている。その知識が、ありもしない経験が俺の身体を一瞬で動かした。
ドズンッ!
俺が元いた場所にサーベルが深々と突き刺さった!ふわぁああっ!?顔を上げると、そこには鬼のような怪物が………

「魔物もいちゃうよー。夢ならばその攻撃をくらってみなよ。痛くないかもしれないよ。」

俺は剣を地面に投げ捨て全力疾走で逃げた!!誰がこんなの食らってられるか!夢だとしてもこんな………2メートル以上あるタッパから振り下ろされる攻撃を喰らいたいだなんて誰が思うか!しかもあいつ人間じゃないからね!?鬼だからね!?

「イリナさんこの魔物をちゃっちゃと倒してくださいよ!!勇者でしょ!!か弱い人を助けるのが役目でしょ!!」
「うーーんどうしよっかなぁ。これが現実の出来事だと認めたらいいよ。」
「そう思ってたんですよ俺ぇ!この世界は夢じゃなくて実際に存在する世界だってもうね、イリナさんを見た時から思っておりました!流石イリナさん!最高!ヒューヒューッ!」
「プライドってないのあんた。」
「そんなものを持ちながら生きてられるほど崇高な人生歩めてはいないんですぅ!生き残るためなら靴だって舐めるますぜ俺は!」
「じゃあやだなぁ。そんな奴助けたって心が汚れるだけだもん。」
「汚れない汚れない!高潔さで満ち満ちるはずですよイリナさんなら!間違いない!俺が保証します!」

走りながら喋ってるから横っ腹痛くてやばいんだけど!人生でこんなに全力疾走したことないから………これもう……………オエッ!

「私に助けを乞うんじゃなくてさぁ、倒せばいいじゃんこんな魔物。なんで私が君をここに連れてきたのか、君だってよくわかってるんでしょ?」

ドキッ………
俺の顔が引き攣った。まずいぞこいつ………嘘だろ?マジで?

「君はきっとカイとなにか関わりがあるんだよ。この世界の私達の冒険を夢で見たってことは………きっと、君にはカイの力がある。死んだ私のパートナーであるカイの力がね。」

ははっ……ははは…………正気ですかこの人。

「それかこの世界の関係者で私達を監視していた人間………とか。とにかく君は、直接的か間接的か分からないけれどこの世界に関わっていたはずなんだ。そんな君が魔力を使えないと思う?」「はい!使えないと思います!」「助けなーい。」「使えると思います!」「よし倒せ。」

どうしようもないじゃんかよぉ!!
俺は急ブレーキをかけると右手を敵に向けた!!

「くらえぇ!!」

シーーン………

「うぇぇえええんんん!!!やっぱり魔力なんか使えないんですよ俺はぁあ!!!助けてくださいよイリナさーん!!!」
「だーめ、助けなーい。魔力が発現するまで助けなーい。」

この人殺し!!このままじゃ俺の命が………つっ!!

ザンッ!!
俺の右手が宙を舞った。2メートルの巨体から振り下ろされたサーベルが切り裂いたのだ。綺麗な断面から血が噴き出し、燃えるような痛みが腕から頭にかけて走る!

「っっっ!?!!!??」

あまりの激痛に俺は地面に前のめりで倒れ込んだ!目の前がチカチカする!白と黒と赤が不規則に明滅してその過激な痛みを信号として表してくる!胃袋がひっくり返り口から吐き出される今日の朝ごはんが血と一緒に地面を汚した!そう言えばなめこのお味噌汁だったな!こんなことで確認したくなかったよ!

「さぁて君はこんな所で死ぬのかな?それとも勇者………全てを助けるヒーローとなり無事この局面を生還するのか?君次第だよ。生かすも殺すも、全ては君の選択次第だ。」

やってらんねぇまじで!30分前までは塾に行くだけのありふれた子供だったのに、なんで腕を切断されて血反吐を吐きながら鬼と戦わせられてるんだ!凡人の俺が!勇者になんかなれるわけないじゃないか!
視界にあった白色が抜けて赤と黒色に染まっていく。腹が立ってきた。俺自身の力じゃどうしようもないほどの理不尽が俺の身体に降り注ぎ、切れた腕の先から滴り落ちている。

震える膝を叩いて立ちあがった。
選択するというのなら、こんなどうしようもない理不尽をぶち壊すことだ。ただなんも出来ないまま、人知れず異世界で死ぬなんて………ろくな人生ではないことは重々承知しているけれど、このまま終われるはずがない!

俺は左手を突き出した!

「くらえーー!!」

シーーン……………

ふふ………はははっ!まぁこんなもんだよな。そうだ、凡人なんてこんなもんさ。異世界に来たからって何か出来るわけでもない。ただただ死ぬのさ。しかしまぁ、なんだ…………こんな死に方も悪くはないか。凡人は凡人らしく、怪物になす術もなくやられるのが相応しい。

「約束………守れなかったな。」

ザシュッ!!
腹を切り裂かれ、俺は地面に背中から落ちた。魔物の顔がドンドン遠ざかっていく。
ポチャン…………

「……………??」

俺の後頭部に柔らかい感触がある。それに、魔物との距離が変わってない。なんだ?何かが俺を支えているぞ。後ろを見ると水の塊が俺を支えていた。

「…………やっぱり発現したじゃん、カイの魔力が。」
「は?いや………ゔぇ?」

しかし喜ぶ間も無く俺は意識を失った。その激痛から身を守るための自衛本能だからこればかりはどうしようもない。ただ、意識を失うその瞬間、けたましい豪雷が鳴り響いたのだけはハッキリと聞こえた。