「なんか、こうしてるとお互い初対面って感じなのに、実はお互いに昨日会ってるんだよね~」

 綾夏はパイプ椅子の埃を丁寧に払ってから座り直すと、そう切り出した。

 「そうだ、それだよ!」

 僕は彼女と話す機会があったら絶対に聞こうと思っていたのに、それ以上にびっくりすることの連続だったから、綾夏がそれを言わなかったら、僕は忘れたまま翌日を迎えていたに違いない。

 「蓮くん、急にどうしたの……?」

 「だってほら、僕と綾夏が会ったのは昨日が初めてだったのに、僕と同じ学校になることが分かってたじゃないか。どうしてそれを知ってたの……?」

 たしかに、綾夏が教室に入って来たときにその疑問はなくなったけど、それは自己解決しただけで、本人には直接聞いておきたいところだった。

 「どうしてって言われても……。ほ、ほら……転校の手続とかでこの高校の制服とかを見て来たからさ、あそこで君を見たときに、『この制服はもしかして』って思ったんだ」 

 「なるほど、そういうことか……」

 そういうことなら、あのとき綾夏が僕を見てそう言ったことにも頷ける。

 「じゃあ、あのとき泣いていたのは――」

 「――そ、そんなことよりもさ!」

 ついでに気になったことを聞こうとしたけど、綾夏は両手を大きく広げながら全力でかき消そうとしてきた。
 あまりの勢いに、続けようとした言葉が頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。まるで、綾夏の言動に吸い取られてしまったかのように。

 「蓮くんって、ここに来てどんな活動をしてるの? 私も部員になったんだから活動内容を知りたいなって思いました!」

 少し捲くし立てるように一息で言い切ると、綾夏は少し大きく呼吸をする。

 「そ、そのことなんだけど……」

 綾夏がこの文芸部に入ると知ってから、おいおい話さないといけないことではあると思っていて、その心づもりをしてきたつもりだった。
 でも、いざその瞬間になると、考えて来た言葉は上手く口から出ていってくれないみたいだ。

 「あ、綾夏がせっかく文芸部に入ってくれたのに、こんなことを言うのは本当に申し訳ないんだけど……」

 「蓮くん……? どうしたの、そんなに改まって」

 綾夏は、急に下を向いてしゃべり始める状況についていけていないみたいだけど、それでも僕はこの事実を伝えなければならない。

 「実は――この文芸部に活動内容はありません」

 さっきまでヒートアップしていたとは思えないくらいの沈黙が再度やって来る。
 視線を合わせないようにしていたけど、それだとかえって綾夏の表情が見えないから、余計に沈黙が僕の首に重くのしかかってくるように感じる。

 「――へっ……?」

 それからさらに数秒してから、綾夏の少し間の抜けた声が狭い部室に響く。
 それを合図に、半ば金縛りのような感覚に陥っていた僕の身体が動き、ようやく綾夏の表情を確認することができた。
 彼女は文字通り目も口も真ん丸な形にしていた。

 「え、えっと……じゃあ今までは何をしていたの?」

 「たまにここに来て、それで本を読んだりしてただけ……」

 「本当にそれだけ……?」

 疑問というよりかはむしろ驚き交じりの声で、綾夏は僕の言葉を確かめるように聞いてくる。

 「う、うん……」

 いくら同じことを何度も聞かれようととも、本当にそれしかやってこなかったのだから、そこで嘘偽りの言ったところで、誰も得はしないだろう。

 「僕も、正直に言って部活をやっている感覚っていうのはほとんどなかったんだ。どちらかというと、隣にある図書室よりも好きなジャンルの多い本が置いてあって、それを自分の好きなときに好きなものを好きなだけ読むことができる、自分だけの図書館みたいな感じで使ってたから」

 「へぇ……」

 どこか納得したように、それでいて自分が入った部活がもはや部活動として機能いていないという現実に、ちょっとした衝撃を受けているような、そんな状態で口から零れ落ちた声に聞こえた。

 残念がられてしまうだろうと思った。
 この文芸部に入るようのであれば、きっと何かしらの目的があったのだろう。
 でも、僕の言葉で、それを口にする前に打ち消されてしまったのだから。

 これが綾夏ではなくて、他の誰が同じ立場になったとしても同じように感じることだろう。
 だから、それを知った綾夏がどんな反応をしてくるのかが、ぼんやりではあるけれど見えてきた気がする。
 残念がって、ため息をついて、「やっぱり文芸部には入らない」なんてことを――

 「――なら、これから活動内容を決めていけばいいじゃない!」

 「本当にごめ――って、今……なんて?」

 僕は綾夏の言葉を聞くまでもなく謝ろうと思っていただけに、僕の耳に入ってきたことを上手く聞き取ることができなかった。
 いや、綾夏から言われるであろう言葉の中からその可能性を除外していたから、不意打ちを喰らってしまったのだ。

 「だから、これから文芸部としての活動をしていけばいいんだよ! だって、私が入ったんだし」

 「で、でも……活動っていっても、文芸部でやることなんてなさそうじゃない?」

 そもそも活動内容が決まっていれば、先輩たちの代から何かしらの引継ぎを受けているはずなのであるけど、それらしきものは一切なかった。

 先輩たちは今の僕と同じように、たまにふらっとここに立ち寄っては目当ての本を取り出して持ち帰る。それを何年も繰り返していたのだ。
 それを今さら、しかも高校三年生の夏に何かを始めるなんて、そんなことはできるとは到底思えない。

 「何かをすることは百歩譲っていいとしても、一応僕たちは受験生なんだよ」

 その事実だけは忘れてはいけないし、忘れるはずもない。
 でも、それを聞いた綾夏は思っていたよりもけろっとした表情をしていた。

 「そんなことよりも、今私は文芸部として何か活動したいの! 遊びたいの!」

 「そ、そんなこと……?」

 高校三年生が受験を『そんなこと』呼ばわりするとは思わなかった。

 「だって、高校三年生の夏はもう一生来ることはないんだよ。それを勉強を理由にしてなくしちゃうのって、すごくもったいないとは思わない? 全力で遊んで、全力で勉強すればいいじゃない!」

 「そ、それは……」

 高校三年生の夏は受験に向けて勉強一色になることは普通のことだと思っていた。だから、遊ぶことができるのも二年生までだと。

 でも、彼女――綾夏は違った。
 遊ぶことができないのを言い訳にして、勉強をしないといけないからと、そう決めつけていた僕の考えがちっぽけで情けないものに感じてしまう。

 「僕は勉強をすると思っていたから何も思いつかないよ。綾夏は何かしたいことでもあるの?」

 「そ、そうだなぁ……うぅん悩ましい……」

 いざそう言われてみると、綾夏の口からすんなりとは出てこないようで、全力で遊ぶと豪語していたわりにはかなり悩んでいるようだった。
 さすがにこれ以上待つことはできないと思った僕が綾夏の長考に入り込もうとした、その瞬間だった。

 「――そうだっ!」

 長机に平手を打ち付けて前のめりになりながら僕に顔を近づけると、綾夏はこう言い放った。

 「――文集、文集を作ろうよ! この文芸部にしかできない、とっておきの文集を!」