涼野さんは、朝のホームルームで飽きてしまうほどの質問を四方八方から受けていた。
それにも関わらず、その後、授業間の休み時間になっても男子女子が交互に涼野さんの席に大勢のクラスメイトが集まっていた。
高校三年生の初夏という、言ってみれば異例の時期の転校生ということもあってか、涼野さんへの質問のネタは尽きることがないのだろう。
昼休みになると、転校生の噂を聞きつけた他のクラスの人も、あわよくばお近づきになろうとしているのか、教室に入れ代わり立ち代わりで彼女と何やら話をしていた。
休み時間という休み時間、涼野さんは面識のない人たちからの質問攻めに対しても曇った表情を見せることなく、終始笑顔で対応していた。
放課後になると、ようやく密集していた人だかりもまばらになっていて、涼野さんはようやく一息ついているようにも見えた。
そこで、僕はあることに気が付く。
今日一日の中で、僕はどのくらい彼女を視界に捉えていただろうかということに。
涼野さんの席の方から楽し気な笑い声が耳に入ると、その度に、僕は彼女の方に視線を向けてしまっていたのだ。
涼野さんが転校生だからという理由で、やっぱり興味や関心はもちろんあるかもしれないけど、それとは別の何かで、僕は涼野さんのことが気になっているのだろうか。
もしそうだとしたら、それは一体何なんだろうか……。
僕はつい考えを巡らせようとしたけど、すぐにそれを途中でやめる。
いくら昨日、僕がみんなよりも早く涼野さんと話していたとしても、だからといってあえてそういうことを気にすることはないし、気にしてはいけない。
僕と涼野さんは、たまたま同じ時間に同じ場所で会って、たまたま少しばかり言葉を交わしただけの間柄。それ以外に何も特別なことはありやしないのだから。
むしろ、それをいいことに、学校の場でいきなり馴れ馴れしくしてしまうのも、それはそれで違うだろう。
それに、僕の身の丈以上のことに背伸びをしようとしているみたいで、どこか気持ちが悪い。
たしかに、昨日会話をした人が涼野さんで、涼野さんが転校生として僕たちのクラスに来たのは、偶然なのか、それとも必然だったのか。
何かの間違いがなければ、おそらくは前者であると思う。
それを自分の良いように解釈するのはお門違いも甚だしい。そんなの、相手からしてみれば迷惑の何物でもないはずだ。
僕は荷物をまとめてカバンをひょいと肩にかけると、静かに立ち上がる。そして教室後方の入り口に向かって歩き始める。
しかし、終始左前方から視線を感じて、その方向に目だけ動かすと、涼野さんとばっちりと視線がぶつかった。
「っ……!」
僕は驚いて、慌てて視線を正面に戻そうとしたけど、それよりも先に涼野さんの口が開いた。
「ねぇ、君!」
涼野さんは、透き通るような凛とした声でそう言う。
誰かを明確に指す名前を言っていないのに、勝手な勘違で返事をして気まずくなるようなことがあると悪いと思うから、そういうときは必ず一旦スルーして、僕の名前が呼ばれたらそれに答えるようにしている。
しかし、今の状況はそうではない。涼野さんは、僕の目をしっかりと見て、それでさっきの言葉を発したのだ。
これは、誰がどう見ても『君』というのは僕のことであるといえるだろう。
「ぼ、僕……?」
わざとおどけるように言ってみた。
「そう、君っ!」
涼野さんは大きく頷くと、おまけにグーサインを見せる。
どうやら勘違いではなかったみたいだ。
「それで……僕に何の用?」
ちょっと鋭利な返事になってしまった。もう少しマシな言い方があったかもしれないと、言葉を発してから気付く。
それでも、一旦口に出してしまったものを巻き戻して、それをなかったことにする術はない。
だから、少し冷たいような口調の返事が、涼野さんの耳に吸い込まれていくのを、僕はただやってしまったという気持ちのまま見つめるしかなかった。
「どこに行くのか気になった」
「……えっ?」
僕は拍子抜けしてしまい、声が裏返ってしまった。
今日、僕は、クラスの中でほとんど唯一といっていい、涼野さんに話しかけていない人の内の一人だった。
みんなと仲良くすると宣言した涼野さんだから、てっきり僕の名前を聞いてくるとばかり思っていた。
「どこにって……これから?」
「そう!」
何の屈託もない二文字から、涼野さんの素直さがひしひしと感じられる。
なのに、どこか考えながら言葉を選んでいた僕がいるのは、どうも落ち着かない。
「え、えっと……部活」
「へぇ~、そうなんだ。何部なの?」
せいぜい「あ、そうなんだ」と言われて終わると思っていたから、正直に言ってここまで聞かれるとは思っていなかった。
「ぶ、文芸部……」
決して僕は何か悪いことをして尋問を受けているのではなくて、ただ単純に質問されているだけなのだ。
むしろ、僕の方から話しかけることができない中、涼野さんの方から話しかけてくれたことに、少しばかり安堵の気持ちが混ざっているくらいだ。
それなのに、僕は小学生でもすらすらと答えてしまうような質問にすら戸惑い、口ごもり、終始涼野さんに押されているような気分すら覚えてしまう。
我ながら、恥ずかしいを超えて、もう表現する言葉すら見つからない。
「なるほど、文芸部か……。どこで活動しているの?」
「第二校舎の図書室の隣」
「そこでやってるんだ~」
「え、えっと……」
「あ、うん。それだけ聞きたかったの。引き留めてごめんね。教えてくれてありがと!」
涼野さんは、それだけ言うと、くるっと身体を反転させて席から立ち上がると、スキップでも始めてしまうかというくらいの勢いで、呆気に取られている僕のことを気にする素振りを見せることなく教室から出ていってしまった。
「そ、それだけ……?」
涼野さんに聞かれたことはほんの少ししかないんだけど、あまりに意外な方向からの質問過ぎて、逆に難しことを聞かれることよりも疲れてしまった。
それに、わざわざなんでそんなことを聞いてきたのだろうか。
その真意は、きっと涼野さんなりにあるのだろうけど、僕にはまったく見当がつかず、ただただ混乱するばかりであった。
それにも関わらず、その後、授業間の休み時間になっても男子女子が交互に涼野さんの席に大勢のクラスメイトが集まっていた。
高校三年生の初夏という、言ってみれば異例の時期の転校生ということもあってか、涼野さんへの質問のネタは尽きることがないのだろう。
昼休みになると、転校生の噂を聞きつけた他のクラスの人も、あわよくばお近づきになろうとしているのか、教室に入れ代わり立ち代わりで彼女と何やら話をしていた。
休み時間という休み時間、涼野さんは面識のない人たちからの質問攻めに対しても曇った表情を見せることなく、終始笑顔で対応していた。
放課後になると、ようやく密集していた人だかりもまばらになっていて、涼野さんはようやく一息ついているようにも見えた。
そこで、僕はあることに気が付く。
今日一日の中で、僕はどのくらい彼女を視界に捉えていただろうかということに。
涼野さんの席の方から楽し気な笑い声が耳に入ると、その度に、僕は彼女の方に視線を向けてしまっていたのだ。
涼野さんが転校生だからという理由で、やっぱり興味や関心はもちろんあるかもしれないけど、それとは別の何かで、僕は涼野さんのことが気になっているのだろうか。
もしそうだとしたら、それは一体何なんだろうか……。
僕はつい考えを巡らせようとしたけど、すぐにそれを途中でやめる。
いくら昨日、僕がみんなよりも早く涼野さんと話していたとしても、だからといってあえてそういうことを気にすることはないし、気にしてはいけない。
僕と涼野さんは、たまたま同じ時間に同じ場所で会って、たまたま少しばかり言葉を交わしただけの間柄。それ以外に何も特別なことはありやしないのだから。
むしろ、それをいいことに、学校の場でいきなり馴れ馴れしくしてしまうのも、それはそれで違うだろう。
それに、僕の身の丈以上のことに背伸びをしようとしているみたいで、どこか気持ちが悪い。
たしかに、昨日会話をした人が涼野さんで、涼野さんが転校生として僕たちのクラスに来たのは、偶然なのか、それとも必然だったのか。
何かの間違いがなければ、おそらくは前者であると思う。
それを自分の良いように解釈するのはお門違いも甚だしい。そんなの、相手からしてみれば迷惑の何物でもないはずだ。
僕は荷物をまとめてカバンをひょいと肩にかけると、静かに立ち上がる。そして教室後方の入り口に向かって歩き始める。
しかし、終始左前方から視線を感じて、その方向に目だけ動かすと、涼野さんとばっちりと視線がぶつかった。
「っ……!」
僕は驚いて、慌てて視線を正面に戻そうとしたけど、それよりも先に涼野さんの口が開いた。
「ねぇ、君!」
涼野さんは、透き通るような凛とした声でそう言う。
誰かを明確に指す名前を言っていないのに、勝手な勘違で返事をして気まずくなるようなことがあると悪いと思うから、そういうときは必ず一旦スルーして、僕の名前が呼ばれたらそれに答えるようにしている。
しかし、今の状況はそうではない。涼野さんは、僕の目をしっかりと見て、それでさっきの言葉を発したのだ。
これは、誰がどう見ても『君』というのは僕のことであるといえるだろう。
「ぼ、僕……?」
わざとおどけるように言ってみた。
「そう、君っ!」
涼野さんは大きく頷くと、おまけにグーサインを見せる。
どうやら勘違いではなかったみたいだ。
「それで……僕に何の用?」
ちょっと鋭利な返事になってしまった。もう少しマシな言い方があったかもしれないと、言葉を発してから気付く。
それでも、一旦口に出してしまったものを巻き戻して、それをなかったことにする術はない。
だから、少し冷たいような口調の返事が、涼野さんの耳に吸い込まれていくのを、僕はただやってしまったという気持ちのまま見つめるしかなかった。
「どこに行くのか気になった」
「……えっ?」
僕は拍子抜けしてしまい、声が裏返ってしまった。
今日、僕は、クラスの中でほとんど唯一といっていい、涼野さんに話しかけていない人の内の一人だった。
みんなと仲良くすると宣言した涼野さんだから、てっきり僕の名前を聞いてくるとばかり思っていた。
「どこにって……これから?」
「そう!」
何の屈託もない二文字から、涼野さんの素直さがひしひしと感じられる。
なのに、どこか考えながら言葉を選んでいた僕がいるのは、どうも落ち着かない。
「え、えっと……部活」
「へぇ~、そうなんだ。何部なの?」
せいぜい「あ、そうなんだ」と言われて終わると思っていたから、正直に言ってここまで聞かれるとは思っていなかった。
「ぶ、文芸部……」
決して僕は何か悪いことをして尋問を受けているのではなくて、ただ単純に質問されているだけなのだ。
むしろ、僕の方から話しかけることができない中、涼野さんの方から話しかけてくれたことに、少しばかり安堵の気持ちが混ざっているくらいだ。
それなのに、僕は小学生でもすらすらと答えてしまうような質問にすら戸惑い、口ごもり、終始涼野さんに押されているような気分すら覚えてしまう。
我ながら、恥ずかしいを超えて、もう表現する言葉すら見つからない。
「なるほど、文芸部か……。どこで活動しているの?」
「第二校舎の図書室の隣」
「そこでやってるんだ~」
「え、えっと……」
「あ、うん。それだけ聞きたかったの。引き留めてごめんね。教えてくれてありがと!」
涼野さんは、それだけ言うと、くるっと身体を反転させて席から立ち上がると、スキップでも始めてしまうかというくらいの勢いで、呆気に取られている僕のことを気にする素振りを見せることなく教室から出ていってしまった。
「そ、それだけ……?」
涼野さんに聞かれたことはほんの少ししかないんだけど、あまりに意外な方向からの質問過ぎて、逆に難しことを聞かれることよりも疲れてしまった。
それに、わざわざなんでそんなことを聞いてきたのだろうか。
その真意は、きっと涼野さんなりにあるのだろうけど、僕にはまったく見当がつかず、ただただ混乱するばかりであった。