あの丘の上の公園を後にしてから電車に乗ること数十分。
僕はとある出版社へと足を向けた。
「――本日はよろしくお願いします」
「お待ちしておりました、藤木先生。こちらこそ、よろしくお願いします」
パンツスーツに身を包んだ女性がすっとお辞儀をするのに合わせて、僕も深々と礼をする。
「そ、そんな先生だなんて……」
「いえいえ、藤木先生は立派なミリオンセラー作家ですから」
「まだそんな実感がわかないというかなんというか……」
「ふふふ……。最初はどんな作家の先生もそう言ってらっしゃいますから。いずれ慣れてくると思いますよ」
「そうだといいんですけどね……」
僕はその女性と話しながら、インタビュー室へと入る。
「――えぇ、早速インタビューの方を始めさせていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
「まず、藤木先生がお書きになった『ひと夏の奇跡~君と過ごした思い出を、僕は決して忘れない~』が、発売から史上最速で百万部突破となりました。それについて、先生のご感想をお聞かせください」
「そ、そうですね……僕が書いた言葉の一節一節が、僕の知らない誰かに届くということができて、素直に嬉しいです」
「そうですか……。私も拝読しましたが、心情描写がとても深く、リアルな体験をしているように感じました」
「はい、そう思っていただけたなら、僕の意図がしっかりと伝わっているのだと思います」
「……というと?」
「この小説は、僕の実体験をベースにしているんです」
「先生の……?」
「はい。実際に高校生のとき、こういう経験をしたんです」
すると、インタビュアーはその話に食いついたように前かがみになってきた。
「その時のお話を、伺ってもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
僕は心にしまっていたあのときの思い出を、少しずつ開いていく。
「突然転校してきた女の子が、僕の所属する文芸部に入ってきて、いきなり文集を作ろうと言い出してきたんです」
当時のことを誰かに話すなんて言う機会はこれまでになかったけど、この思い出は決して忘れることなく過ごしてきたから、よどみなく言葉が続いてくれる。
「いきなり……ですか」
「えぇ。その子は、もうそれはそれはわがままで、自分の意見を強引に押し通すような子だったんです。最初は『何なんだこいつは』とすら思っていましたよ」
「へぇ……それはたしかに先生の言う通りかもしれませんね」
インタビュアーは苦笑いを浮かべる。
「でも、実は余命三カ月の病気と闘っていて……。彼女は、その最期の時間を僕たちと楽しく過ごすことに決めていたんです」
心では思っていても、口に出すとやはり当時の悲しい気持ちが蘇ってきて、自然と声が震える。
それでも、インタビュアーは黙って僕の言葉に耳を傾けてくれている。
「文集を作るために、海に行ったり、夏祭りに行って花火を見たり、合宿をしたり……。本人は取材活動と言い張っていましたが、ただ遊びたかったんだと思います。なにせ生まれてから自由に外で遊んだこともないと言っていましたから」
「そ、それで……その子が言っていた文集というのは?」
「それは、彼女がこの世界に生きていたという証を残すための手段だったようです。一人でも多くの人に、私という存在を知ってほしかった、私を忘れる人がいないようにと、いつも言ってました……」
「でも……」
「はい、彼女はその夢を叶える前に……」
自分で言っていて、重苦しい雰囲気が漂っていることに気が付いた。
「で、でもですね!」
努めて明るい声でどんよりと停滞した空気を押し退けた。
「彼女と最後に約束したんです。絶対に君との約束を叶えてみせる、と。そして何とか完成させたんです」
僕はそう言って、鞄に入れていたその冊子を取り出す。
「これが僕と彼女らの合作です」
表紙には「藤木蓮、涼野綾夏、永田真澄」の三人の名前が書かれている。
「これが……ん? この最後の永田さんというのは……」
インタビュアーは首をかしげながら永田の名前のところに指を向ける。
「彼女も文芸部員です。ただ、最初は人数合わせのためだけに入ってもらっていた部員でしたけど」
「あはは……そうだったんですね」
「はい、本当に……」
本当に彼女には感謝をしている。
彼女の尽力のおかげで、文集の冊子を完成させることができたし、文化祭のときの宣伝もすることができたのだから。
あのときの永田はすごかった。
「絶対にこの文集を有名にしてみせる」と豪語していた。
普段から冗談なんて言わない性格だったから、それが本気だということはすぐに分かった。
学校のサイトに宣伝ページを作り、文化祭が始まる前から仕込み始め、文化祭当日にはあちこちにポスターを貼りまわっていたのだ。
「もし彼女の協力と大規模な宣伝がなかったら、文化祭に来てたまたま僕たちの文集を手に取った編集長の目に留まっていなかったですからね」
「そんなことがあったんですか……⁉」
「はい。あのときは、本当にびっくりしました。まさか本物の編集者が来ているなんて思ってもいませんでしたよ」
僕は軽くほほ笑むながら、ちらりとドア付近に立っている編集長に目配せをする。
すると、彼女も柔らかい笑みをそっと返してくれた。
インタビュアーは、その言葉に驚嘆していて、しばらく僕と編集長とに視線を行き来していた。
「つ、つまり……その文集がきっかけで、この小説が生まれた、と……?」
彼女は信じられないというような表情をしている。
「はい、本当に奇跡のような巡り合わせだったんです」
でも、そんな嘘みたいなことが真実なのだ。
僕は文集――この小説の原案となったこの冊子を力強く握る。
綾夏……僕は、僕たちはやったよ。やったんだ。
君の願いを、こんなにも素晴らしい形で叶えることができたよ。
その瞬間に立ち会うことができなかったのは本当に残念で悔しい。
でも、涼野綾夏という女の子が、たしかにこの世界に存在していた、君がここにいたんだということを、証明することができたんだ。
綾夏、君は思ってもいなかっただろう。
僕や綾夏の知らない人たちに、日本中、いや、世界にだって君がいたことを伝えることができたなんて。
あのときはただ綾夏の想像の中でしか膨らませていなかったあの壮大な夢に、一歩でも近づくことができたのだから。
ふと横を見ると、夏の厳しい日差しが、容赦なく降り注いでいて、迷いなく一直線にこちらに向かってきている。
「――本当に、この太陽みたいなやつでした」
あの短い夏を全力で楽しんだ一人の女の子に向かって見せるように、僕は文集という名の証を、高々と掲げた。
【完】
僕はとある出版社へと足を向けた。
「――本日はよろしくお願いします」
「お待ちしておりました、藤木先生。こちらこそ、よろしくお願いします」
パンツスーツに身を包んだ女性がすっとお辞儀をするのに合わせて、僕も深々と礼をする。
「そ、そんな先生だなんて……」
「いえいえ、藤木先生は立派なミリオンセラー作家ですから」
「まだそんな実感がわかないというかなんというか……」
「ふふふ……。最初はどんな作家の先生もそう言ってらっしゃいますから。いずれ慣れてくると思いますよ」
「そうだといいんですけどね……」
僕はその女性と話しながら、インタビュー室へと入る。
「――えぇ、早速インタビューの方を始めさせていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
「まず、藤木先生がお書きになった『ひと夏の奇跡~君と過ごした思い出を、僕は決して忘れない~』が、発売から史上最速で百万部突破となりました。それについて、先生のご感想をお聞かせください」
「そ、そうですね……僕が書いた言葉の一節一節が、僕の知らない誰かに届くということができて、素直に嬉しいです」
「そうですか……。私も拝読しましたが、心情描写がとても深く、リアルな体験をしているように感じました」
「はい、そう思っていただけたなら、僕の意図がしっかりと伝わっているのだと思います」
「……というと?」
「この小説は、僕の実体験をベースにしているんです」
「先生の……?」
「はい。実際に高校生のとき、こういう経験をしたんです」
すると、インタビュアーはその話に食いついたように前かがみになってきた。
「その時のお話を、伺ってもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
僕は心にしまっていたあのときの思い出を、少しずつ開いていく。
「突然転校してきた女の子が、僕の所属する文芸部に入ってきて、いきなり文集を作ろうと言い出してきたんです」
当時のことを誰かに話すなんて言う機会はこれまでになかったけど、この思い出は決して忘れることなく過ごしてきたから、よどみなく言葉が続いてくれる。
「いきなり……ですか」
「えぇ。その子は、もうそれはそれはわがままで、自分の意見を強引に押し通すような子だったんです。最初は『何なんだこいつは』とすら思っていましたよ」
「へぇ……それはたしかに先生の言う通りかもしれませんね」
インタビュアーは苦笑いを浮かべる。
「でも、実は余命三カ月の病気と闘っていて……。彼女は、その最期の時間を僕たちと楽しく過ごすことに決めていたんです」
心では思っていても、口に出すとやはり当時の悲しい気持ちが蘇ってきて、自然と声が震える。
それでも、インタビュアーは黙って僕の言葉に耳を傾けてくれている。
「文集を作るために、海に行ったり、夏祭りに行って花火を見たり、合宿をしたり……。本人は取材活動と言い張っていましたが、ただ遊びたかったんだと思います。なにせ生まれてから自由に外で遊んだこともないと言っていましたから」
「そ、それで……その子が言っていた文集というのは?」
「それは、彼女がこの世界に生きていたという証を残すための手段だったようです。一人でも多くの人に、私という存在を知ってほしかった、私を忘れる人がいないようにと、いつも言ってました……」
「でも……」
「はい、彼女はその夢を叶える前に……」
自分で言っていて、重苦しい雰囲気が漂っていることに気が付いた。
「で、でもですね!」
努めて明るい声でどんよりと停滞した空気を押し退けた。
「彼女と最後に約束したんです。絶対に君との約束を叶えてみせる、と。そして何とか完成させたんです」
僕はそう言って、鞄に入れていたその冊子を取り出す。
「これが僕と彼女らの合作です」
表紙には「藤木蓮、涼野綾夏、永田真澄」の三人の名前が書かれている。
「これが……ん? この最後の永田さんというのは……」
インタビュアーは首をかしげながら永田の名前のところに指を向ける。
「彼女も文芸部員です。ただ、最初は人数合わせのためだけに入ってもらっていた部員でしたけど」
「あはは……そうだったんですね」
「はい、本当に……」
本当に彼女には感謝をしている。
彼女の尽力のおかげで、文集の冊子を完成させることができたし、文化祭のときの宣伝もすることができたのだから。
あのときの永田はすごかった。
「絶対にこの文集を有名にしてみせる」と豪語していた。
普段から冗談なんて言わない性格だったから、それが本気だということはすぐに分かった。
学校のサイトに宣伝ページを作り、文化祭が始まる前から仕込み始め、文化祭当日にはあちこちにポスターを貼りまわっていたのだ。
「もし彼女の協力と大規模な宣伝がなかったら、文化祭に来てたまたま僕たちの文集を手に取った編集長の目に留まっていなかったですからね」
「そんなことがあったんですか……⁉」
「はい。あのときは、本当にびっくりしました。まさか本物の編集者が来ているなんて思ってもいませんでしたよ」
僕は軽くほほ笑むながら、ちらりとドア付近に立っている編集長に目配せをする。
すると、彼女も柔らかい笑みをそっと返してくれた。
インタビュアーは、その言葉に驚嘆していて、しばらく僕と編集長とに視線を行き来していた。
「つ、つまり……その文集がきっかけで、この小説が生まれた、と……?」
彼女は信じられないというような表情をしている。
「はい、本当に奇跡のような巡り合わせだったんです」
でも、そんな嘘みたいなことが真実なのだ。
僕は文集――この小説の原案となったこの冊子を力強く握る。
綾夏……僕は、僕たちはやったよ。やったんだ。
君の願いを、こんなにも素晴らしい形で叶えることができたよ。
その瞬間に立ち会うことができなかったのは本当に残念で悔しい。
でも、涼野綾夏という女の子が、たしかにこの世界に存在していた、君がここにいたんだということを、証明することができたんだ。
綾夏、君は思ってもいなかっただろう。
僕や綾夏の知らない人たちに、日本中、いや、世界にだって君がいたことを伝えることができたなんて。
あのときはただ綾夏の想像の中でしか膨らませていなかったあの壮大な夢に、一歩でも近づくことができたのだから。
ふと横を見ると、夏の厳しい日差しが、容赦なく降り注いでいて、迷いなく一直線にこちらに向かってきている。
「――本当に、この太陽みたいなやつでした」
あの短い夏を全力で楽しんだ一人の女の子に向かって見せるように、僕は文集という名の証を、高々と掲げた。
【完】