荷物を部屋に置き、僕たちはさっきの芝生に戻って来た。
ここでやるものと言えば、言わずもがな――カレー作りだ。
林間学校とかで同じみのこのカレー作りは、どの班が一番おいしくて、逆にどの班が一番水っぽいカレーを作ったなんていう黙示の競争が繰り広げられるイベントなのである。
だから、誰か一人でも分量や調理工程を間違えると、それだけでおいしいカレーは作れなくなるのであり、逆説的に非常にシビアな時間ともいえるのである。
でも、今回は競争相手なんておらず、いるのは僕と綾夏と永田の三人だけだから、そんなにプレッシャーは感じない。
「エプロンよし! 三角巾よし! みんなよし!」
綾夏は電車の運転士の如く指さし確認を何度もしてから、トレーに置かれた野菜に手を伸ばそうとする。
「――綾夏、ストップ」
でも、その手が野菜に触れる前に、僕は綾夏を制止する。
「蓮くんどうしたの?」
「綾夏、エプロンと三角巾は大丈夫でも、荷物を置いてからここに来るまでに手は洗ったのか?」
「うっ……。そ、そういう蓮くんは洗ったの?」
「そういうと思ったよ。僕はさっきそこで洗ってきたよ」
石鹸でピカピカになった手の平を綾夏に見せると、少し嫌そうな顔をしながら水道へと向かう。
そして「どうだ綺麗だろ!」と言わんばかりに手を見せつけてくる綾夏に、もう一つ追加で質問を投げてみる。
「今さらだけど、綾夏ってカレー作ったことある?」
「一人では作ったことなかった気がする……あっ、でも、お母さんのを手伝ったことあるよ!」
「そっか……なら永田と一緒にルーを作るのとかお願いしてもいいかな?」
「ちょっと! どうして今の流れでそうなるの?」
「どうしてって……やっぱり綾夏一人に任せるのは不安だし、永田がいれば地獄カレーになるのも防げるだろうし」
「蓮くんひど~い! なんか私だけだと失敗するみたいな言い方やめてよ!」
「そりゃ……ねぇ」
僕は永田の方にちらりと視線を向ける。すると、永田は言葉にはしないだけで、僕の言葉に小さく頷いていた。
「やだやだやだ~! 私が作るの! 一人でカレー作ってみたいの!」
「そこまで言うなら仕方ないな……」
「ってことは……?」
綾夏は目から溢れんばかりの期待感を見せつけてくる。
だけど、かといって「はいそうですか」と二つ返事でオッケーを出してあげることは残念ながらできない。
綾夏が万が一失敗してしまったら、今夜の夕飯は実質抜きみたいなものだからだ。それだけはどうしても避けたいところだった。
だから、僕は綾夏に一つ確認をしてみた。
「ねぇ、綾夏」
「はいっ!」
「カレーってどうやって作るか知ってる?」
「えっ? ……何だそんなこと?」
綾夏は僕をあざ笑うかのような表情のまま口を開いた。
「そんなの簡単だよ! 切れた野菜とお肉にカレールウを入れて煮込むだけ!」
「そ、そうだね……」
とってもシンプルでかつ簡潔にまとまっているけど、どうやら大まかな流れ自体は分かっているらしい。
「あ、あと……」
「――隠し味か?」
「な、何で言おうとしたことを先に言うの?」
綾夏が何か付け加えようとしたから、先手を打ってみたら、まさかのビンゴだった。
「だって、綾夏なら隠し味に大量のお菓子とか入れて台無しにしそうだったから」
「たしかにちょっとは入れようと思ってて、それを後で当ててもらおうとしていたんだけど……」
「ちなみに、何をどのくらい入れようとしていたの?」
「え、えっと……チョコレートを一枚とかあとは――」
「ほら見たことか。三人分の量でそんなに入れたら、隠し味が全然隠れなくなっちゃうだろ?」
これは聞いておいてよかった。
そうでなきゃ、僕たちは甘々なカレーを食べることになっていたかもしれない。
それに今綾夏はチョコレート以外にも何かを挙げようとしていた。
これを未然に防いだのはなかなかにファインプレーな気がする。
「――よし、わかった綾夏」
「はい……」
「最初は一人でやってもいいけど、何かあったらすぐに永田にヘルプをしてもらうんだぞ」
「はぁ~い」
「永田もそれでいいかな?」
「それで構わないわ。私、実は綾夏ちゃんの料理している姿を見てみたかったの」
「そ、そっか……。それじゃあ頼むね。僕はご飯を炊いてくるから」
「そういう蓮くんこそ、一人でやって失敗したらプンプンだよ!」
「綾夏ちゃん、大丈夫。藤木が失敗しないように、私もたまに見回るから。……でも綾夏ちゃんにあんなことを言ってたんだもの。まさか失敗するはずがないと思うけど……ね?」
「うっ……は。はい、もちろんです」
三人のカレー作りだから気楽にできると思っていたけど、今の永田の発言は僕にとってかなりのプレッシャーになってしまった。
「――かんせ~い!」
野外炊事場の端に設けられた丸太のテーブルの上に、出来上がったカレーが三皿並んでいる。
「綾夏ちゃん、とっても頑張っていたわよ。正直私はほとんどそばで見ていたくらいだったもの……ね?」
「そうだよ! 私が作っている様子を動画に取ってもらったから、あとでゆっくりと見てほしいくらいだよ!」
永田に褒められた綾夏は、えっへんと胸を張る。
「それは期待できるね。とっても楽しみだよ」
「じゃあ早速食べる?」
「――あ、ちょっと待って!」
綾夏は自分のポケットから携帯電話を取り出すと、何やら操作し始めた。
「食べる前に写真を撮ろうよ、写真! これも大事な思い出になるから」
「……そ、そうだね」
一瞬綾夏の言葉で胸がちくりと痛む。
綾夏がこんなにも楽しそうだから少し頭から抜け落ちていたけど、この合宿は綾夏にとって最期の願いなのだということを。
綾夏自身も、それが一つずつ終わっていくことに、何の感情も湧かないということはないはずだ。
だからといって僕たちが変な気遣いをするのも違う。
あくまでも自然体で純粋に楽しむことが、僕たちにとっても、そして何より綾夏自身にとっても嬉しいことなのではないだろうか。
「――蓮くんと真澄ちゃん、こっち見てね……はいチーズ――」
そこに映った三人の笑顔があれば、それで十分だ。
ここでやるものと言えば、言わずもがな――カレー作りだ。
林間学校とかで同じみのこのカレー作りは、どの班が一番おいしくて、逆にどの班が一番水っぽいカレーを作ったなんていう黙示の競争が繰り広げられるイベントなのである。
だから、誰か一人でも分量や調理工程を間違えると、それだけでおいしいカレーは作れなくなるのであり、逆説的に非常にシビアな時間ともいえるのである。
でも、今回は競争相手なんておらず、いるのは僕と綾夏と永田の三人だけだから、そんなにプレッシャーは感じない。
「エプロンよし! 三角巾よし! みんなよし!」
綾夏は電車の運転士の如く指さし確認を何度もしてから、トレーに置かれた野菜に手を伸ばそうとする。
「――綾夏、ストップ」
でも、その手が野菜に触れる前に、僕は綾夏を制止する。
「蓮くんどうしたの?」
「綾夏、エプロンと三角巾は大丈夫でも、荷物を置いてからここに来るまでに手は洗ったのか?」
「うっ……。そ、そういう蓮くんは洗ったの?」
「そういうと思ったよ。僕はさっきそこで洗ってきたよ」
石鹸でピカピカになった手の平を綾夏に見せると、少し嫌そうな顔をしながら水道へと向かう。
そして「どうだ綺麗だろ!」と言わんばかりに手を見せつけてくる綾夏に、もう一つ追加で質問を投げてみる。
「今さらだけど、綾夏ってカレー作ったことある?」
「一人では作ったことなかった気がする……あっ、でも、お母さんのを手伝ったことあるよ!」
「そっか……なら永田と一緒にルーを作るのとかお願いしてもいいかな?」
「ちょっと! どうして今の流れでそうなるの?」
「どうしてって……やっぱり綾夏一人に任せるのは不安だし、永田がいれば地獄カレーになるのも防げるだろうし」
「蓮くんひど~い! なんか私だけだと失敗するみたいな言い方やめてよ!」
「そりゃ……ねぇ」
僕は永田の方にちらりと視線を向ける。すると、永田は言葉にはしないだけで、僕の言葉に小さく頷いていた。
「やだやだやだ~! 私が作るの! 一人でカレー作ってみたいの!」
「そこまで言うなら仕方ないな……」
「ってことは……?」
綾夏は目から溢れんばかりの期待感を見せつけてくる。
だけど、かといって「はいそうですか」と二つ返事でオッケーを出してあげることは残念ながらできない。
綾夏が万が一失敗してしまったら、今夜の夕飯は実質抜きみたいなものだからだ。それだけはどうしても避けたいところだった。
だから、僕は綾夏に一つ確認をしてみた。
「ねぇ、綾夏」
「はいっ!」
「カレーってどうやって作るか知ってる?」
「えっ? ……何だそんなこと?」
綾夏は僕をあざ笑うかのような表情のまま口を開いた。
「そんなの簡単だよ! 切れた野菜とお肉にカレールウを入れて煮込むだけ!」
「そ、そうだね……」
とってもシンプルでかつ簡潔にまとまっているけど、どうやら大まかな流れ自体は分かっているらしい。
「あ、あと……」
「――隠し味か?」
「な、何で言おうとしたことを先に言うの?」
綾夏が何か付け加えようとしたから、先手を打ってみたら、まさかのビンゴだった。
「だって、綾夏なら隠し味に大量のお菓子とか入れて台無しにしそうだったから」
「たしかにちょっとは入れようと思ってて、それを後で当ててもらおうとしていたんだけど……」
「ちなみに、何をどのくらい入れようとしていたの?」
「え、えっと……チョコレートを一枚とかあとは――」
「ほら見たことか。三人分の量でそんなに入れたら、隠し味が全然隠れなくなっちゃうだろ?」
これは聞いておいてよかった。
そうでなきゃ、僕たちは甘々なカレーを食べることになっていたかもしれない。
それに今綾夏はチョコレート以外にも何かを挙げようとしていた。
これを未然に防いだのはなかなかにファインプレーな気がする。
「――よし、わかった綾夏」
「はい……」
「最初は一人でやってもいいけど、何かあったらすぐに永田にヘルプをしてもらうんだぞ」
「はぁ~い」
「永田もそれでいいかな?」
「それで構わないわ。私、実は綾夏ちゃんの料理している姿を見てみたかったの」
「そ、そっか……。それじゃあ頼むね。僕はご飯を炊いてくるから」
「そういう蓮くんこそ、一人でやって失敗したらプンプンだよ!」
「綾夏ちゃん、大丈夫。藤木が失敗しないように、私もたまに見回るから。……でも綾夏ちゃんにあんなことを言ってたんだもの。まさか失敗するはずがないと思うけど……ね?」
「うっ……は。はい、もちろんです」
三人のカレー作りだから気楽にできると思っていたけど、今の永田の発言は僕にとってかなりのプレッシャーになってしまった。
「――かんせ~い!」
野外炊事場の端に設けられた丸太のテーブルの上に、出来上がったカレーが三皿並んでいる。
「綾夏ちゃん、とっても頑張っていたわよ。正直私はほとんどそばで見ていたくらいだったもの……ね?」
「そうだよ! 私が作っている様子を動画に取ってもらったから、あとでゆっくりと見てほしいくらいだよ!」
永田に褒められた綾夏は、えっへんと胸を張る。
「それは期待できるね。とっても楽しみだよ」
「じゃあ早速食べる?」
「――あ、ちょっと待って!」
綾夏は自分のポケットから携帯電話を取り出すと、何やら操作し始めた。
「食べる前に写真を撮ろうよ、写真! これも大事な思い出になるから」
「……そ、そうだね」
一瞬綾夏の言葉で胸がちくりと痛む。
綾夏がこんなにも楽しそうだから少し頭から抜け落ちていたけど、この合宿は綾夏にとって最期の願いなのだということを。
綾夏自身も、それが一つずつ終わっていくことに、何の感情も湧かないということはないはずだ。
だからといって僕たちが変な気遣いをするのも違う。
あくまでも自然体で純粋に楽しむことが、僕たちにとっても、そして何より綾夏自身にとっても嬉しいことなのではないだろうか。
「――蓮くんと真澄ちゃん、こっち見てね……はいチーズ――」
そこに映った三人の笑顔があれば、それで十分だ。