「――綾夏。どう、落ち着いた……?」
大粒の涙と鼻水を垂れ流しながら感情を溢れ出していた綾夏の声が小さくなり、呼吸も幾分かは落ち着いてきたところで、僕は彼女にそっとティッシュを差し出す。
綾夏はそっとそれを受け取ると、顔全体を覆うようにして鼻をかんだり涙で濡れた頬に当てていく。
「うん……いきなりごめんね。あんなに取り乱しちゃって……。蓮くん、びっくりしたでしょ……」
「まぁ、びっくりはしたけど……僕はそれでいいと思うよ。常に肩肘張ってちゃ疲れるだよ。僕の前だったら全然いいから」
どこか感情を隠されて、表面上だけの付き合いをしていても、それはいつか相手にバレてしまう。
そうなってしまえば、お互いの信頼関係は一気に降下の一途を辿ることになるだろうし、一旦落ちていった信頼関係を再び元の水準に戻すことは不可能だ。
なぜなら、一度入ってしまった亀裂は、表面をきれいにコーティングしても内面のそれをも修復することはできないから。
仲直りしたとしても、きっとどこかで「まだ裏があるかもしれない」と疑心暗鬼になってしまう。
そうであれば、最初から全てをさらけ出した方が、本気の付き合いをすることができるのだと思う。
綾夏は最初から自分の言いたいことを相手のことなど気にするような素振りも見せずにどんどんと口にしていた。
どんなに良いことでも悪いことでも、それをオブラートに包むのではなく、直球ど真ん中ストレートで言うのが涼野綾夏という女の子のあるべき姿なのだと。
だから、綾夏自身が変に感情を抑えたり、他人のことをおもんばかってから口にする言葉ほど強烈な違和感を覚えるものは、他にはないだろう。
「――うん、そうするね」
綾夏は目を細めながら、しばらく大海原を眺めていた。
夕日に照らされながら儚げに佇んでいるその姿は、そこにいるだけで一枚の絵画のように美しく映えている。
すると、幻想的だった静止画がすっと動き出す。
「――やっぱり、話の続き、するね」
小さく息を吐くと、綾夏は再びその口を開く。
「その……入院していたときに連絡を返すことができなかったのは、携帯電話を使うことができなかったからなの」
「やっぱりか……。部屋だと電子機器に影響が出ちゃうから、使っちゃダメ……みたいな感じ?」
よくあるのはペースメーカーとかだろうか。それなら僕も聞いたことがある。
隣の患者さんがきっとそういう精密機器を付けていたりしていたのだろう。
「それもあるんだけど、一番の理由は――私自身が使える状態じゃなかったからなの」
「それはどういう……」
「簡単に言うと、私の意識が戻ったり戻らなかったりしていたの。だから、連絡を返すどころか、携帯電話すら触れていなくてさ……あはは」
「意識が……⁉」
驚きのあまり声が大きくなってしまった。綾夏の苦笑いなんて一瞬で塗りつぶしてしまうかのように。
「それって……結構重症だったんじゃないの?」
「ま、まぁね……でも治療のおかげで、こうして意識はしっかりしているから、大丈夫」
握り拳でアピールをするけど、そこにはあまり力が入っていないといった様子だった。
「それでね。蓮くんに見られちゃった日は、ちょうど病院内の散歩の許可が下りた日だったの」
「そうだったんだ……」
「でも、起き上がるのだって久しぶりだったし、歩くなんて入院してから十日以上はまったくしてなかったから、最初は本当に足元がおぼつかなくて……何度も転んじゃいそうになって」
「そんな……無理しなくてもよかったのに」
せっかく病状が良い方向に向かっているのに、そこで無理をしてまた悪くなってしまったら元も子もないじゃないか。
そう思っていたけど、どうやら綾夏の考えは違っているらしい。
「だって、少しでも早く部室に戻りたかったから。蓮くんや真澄ちゃんと一緒に机を囲んで楽しくおしゃべれりしたかったから。そのためには、多少無理をしても手を伸ばさなくちゃいけないと思ったんだよ」
「あ、綾夏……」
自分の病気に対して無理をしてまで、部活を優先したい理由があるのだろうか。
きっと綾夏の中で、自分の行動に背中を押す何かがあるのだ。
そうでなければ、もう少しゆっくりと体力を戻していくのが普通であると思うからだ。
僕はそれがどうしても引っかかってしまっていた。
「でも、今は治って退院できたんだから――」
「――治らないの」
綾夏ははっきりとそう言った。
自分の運命はもう決まっていて、これ以上変えることができなのだと言わんばかりにはっきりと。
「な、治らないって一体どういう……」
「どうもこうも……そのままの意味だよ」
綾夏の乾いた声が、僕の頭の中でふわふわと漂っている。
そのままの意味とはどういうことだろうか。
治らない? 何が? 病気が?
「そんなわけあるか。現代医療はものすごいスピードで進化をし続けているのだから、治らない病気なんてあるわけないじゃないか」
僕の言葉に目を丸くしていたかと思うと、綾夏はふっと息を漏らし、小さく笑う。
「蓮くん、医療に夢見すぎだよ。どんな病気でも治しちゃうわけないじゃない」
「そ、そんな……」
「それに、私の病気は特定難病? っていうやつらしくて、新しい治療法が開発されるまで待つしかないんだって」
「それじゃあ……いつかは――」
「――余命三カ月」
唐突に綾夏がつぶやいた。
何を言っているんだと。最初はその意味を理解できずにいた。
「お医者さんにはそう言われた。でも、三カ月持つかどうかは保証しきれないんだって」
「い、いきなり何を言い出すんだ!」
「それが、事実なの……」
「そ、そんなの信じられるかよ!」
平静を保ちきれずに語調が強まると、綾夏の顔が一気にくしゃくしゃになる。
「私だって……こんなの信じたくなかった! 病気なんてへっちゃらだって思っていても……日に日に弱っていく自分が鏡に映るの。それを見ちゃったら……受け入れたくなくても受け入れざるを得なくて……」
綾夏の言葉の一つ一つが、心の底からの悲鳴に聞こえる。
辛い。聞いている僕は本当に辛く感じるけど、そんな残酷な事実を他人に語る綾夏の方がもっと辛いはずだ。
拳を固く握り、黙って彼女の口から出る言葉の続きを待った。
大粒の涙と鼻水を垂れ流しながら感情を溢れ出していた綾夏の声が小さくなり、呼吸も幾分かは落ち着いてきたところで、僕は彼女にそっとティッシュを差し出す。
綾夏はそっとそれを受け取ると、顔全体を覆うようにして鼻をかんだり涙で濡れた頬に当てていく。
「うん……いきなりごめんね。あんなに取り乱しちゃって……。蓮くん、びっくりしたでしょ……」
「まぁ、びっくりはしたけど……僕はそれでいいと思うよ。常に肩肘張ってちゃ疲れるだよ。僕の前だったら全然いいから」
どこか感情を隠されて、表面上だけの付き合いをしていても、それはいつか相手にバレてしまう。
そうなってしまえば、お互いの信頼関係は一気に降下の一途を辿ることになるだろうし、一旦落ちていった信頼関係を再び元の水準に戻すことは不可能だ。
なぜなら、一度入ってしまった亀裂は、表面をきれいにコーティングしても内面のそれをも修復することはできないから。
仲直りしたとしても、きっとどこかで「まだ裏があるかもしれない」と疑心暗鬼になってしまう。
そうであれば、最初から全てをさらけ出した方が、本気の付き合いをすることができるのだと思う。
綾夏は最初から自分の言いたいことを相手のことなど気にするような素振りも見せずにどんどんと口にしていた。
どんなに良いことでも悪いことでも、それをオブラートに包むのではなく、直球ど真ん中ストレートで言うのが涼野綾夏という女の子のあるべき姿なのだと。
だから、綾夏自身が変に感情を抑えたり、他人のことをおもんばかってから口にする言葉ほど強烈な違和感を覚えるものは、他にはないだろう。
「――うん、そうするね」
綾夏は目を細めながら、しばらく大海原を眺めていた。
夕日に照らされながら儚げに佇んでいるその姿は、そこにいるだけで一枚の絵画のように美しく映えている。
すると、幻想的だった静止画がすっと動き出す。
「――やっぱり、話の続き、するね」
小さく息を吐くと、綾夏は再びその口を開く。
「その……入院していたときに連絡を返すことができなかったのは、携帯電話を使うことができなかったからなの」
「やっぱりか……。部屋だと電子機器に影響が出ちゃうから、使っちゃダメ……みたいな感じ?」
よくあるのはペースメーカーとかだろうか。それなら僕も聞いたことがある。
隣の患者さんがきっとそういう精密機器を付けていたりしていたのだろう。
「それもあるんだけど、一番の理由は――私自身が使える状態じゃなかったからなの」
「それはどういう……」
「簡単に言うと、私の意識が戻ったり戻らなかったりしていたの。だから、連絡を返すどころか、携帯電話すら触れていなくてさ……あはは」
「意識が……⁉」
驚きのあまり声が大きくなってしまった。綾夏の苦笑いなんて一瞬で塗りつぶしてしまうかのように。
「それって……結構重症だったんじゃないの?」
「ま、まぁね……でも治療のおかげで、こうして意識はしっかりしているから、大丈夫」
握り拳でアピールをするけど、そこにはあまり力が入っていないといった様子だった。
「それでね。蓮くんに見られちゃった日は、ちょうど病院内の散歩の許可が下りた日だったの」
「そうだったんだ……」
「でも、起き上がるのだって久しぶりだったし、歩くなんて入院してから十日以上はまったくしてなかったから、最初は本当に足元がおぼつかなくて……何度も転んじゃいそうになって」
「そんな……無理しなくてもよかったのに」
せっかく病状が良い方向に向かっているのに、そこで無理をしてまた悪くなってしまったら元も子もないじゃないか。
そう思っていたけど、どうやら綾夏の考えは違っているらしい。
「だって、少しでも早く部室に戻りたかったから。蓮くんや真澄ちゃんと一緒に机を囲んで楽しくおしゃべれりしたかったから。そのためには、多少無理をしても手を伸ばさなくちゃいけないと思ったんだよ」
「あ、綾夏……」
自分の病気に対して無理をしてまで、部活を優先したい理由があるのだろうか。
きっと綾夏の中で、自分の行動に背中を押す何かがあるのだ。
そうでなければ、もう少しゆっくりと体力を戻していくのが普通であると思うからだ。
僕はそれがどうしても引っかかってしまっていた。
「でも、今は治って退院できたんだから――」
「――治らないの」
綾夏ははっきりとそう言った。
自分の運命はもう決まっていて、これ以上変えることができなのだと言わんばかりにはっきりと。
「な、治らないって一体どういう……」
「どうもこうも……そのままの意味だよ」
綾夏の乾いた声が、僕の頭の中でふわふわと漂っている。
そのままの意味とはどういうことだろうか。
治らない? 何が? 病気が?
「そんなわけあるか。現代医療はものすごいスピードで進化をし続けているのだから、治らない病気なんてあるわけないじゃないか」
僕の言葉に目を丸くしていたかと思うと、綾夏はふっと息を漏らし、小さく笑う。
「蓮くん、医療に夢見すぎだよ。どんな病気でも治しちゃうわけないじゃない」
「そ、そんな……」
「それに、私の病気は特定難病? っていうやつらしくて、新しい治療法が開発されるまで待つしかないんだって」
「それじゃあ……いつかは――」
「――余命三カ月」
唐突に綾夏がつぶやいた。
何を言っているんだと。最初はその意味を理解できずにいた。
「お医者さんにはそう言われた。でも、三カ月持つかどうかは保証しきれないんだって」
「い、いきなり何を言い出すんだ!」
「それが、事実なの……」
「そ、そんなの信じられるかよ!」
平静を保ちきれずに語調が強まると、綾夏の顔が一気にくしゃくしゃになる。
「私だって……こんなの信じたくなかった! 病気なんてへっちゃらだって思っていても……日に日に弱っていく自分が鏡に映るの。それを見ちゃったら……受け入れたくなくても受け入れざるを得なくて……」
綾夏の言葉の一つ一つが、心の底からの悲鳴に聞こえる。
辛い。聞いている僕は本当に辛く感じるけど、そんな残酷な事実を他人に語る綾夏の方がもっと辛いはずだ。
拳を固く握り、黙って彼女の口から出る言葉の続きを待った。