「綾夏……話って……」
大木の木陰にちょこんと置いてある小さなベンチに肩を寄せ合ったところで、僕はそう切り出した。
「そんなこと言わなくても……これまでの私を見れば何となく分かってるんじゃない?」
「そ、それは……」
「うん、分かってる。それ以上口にしなくても……」
綾夏は立ち上がると、日向に繰り出していく。
「あのときも、たしかこのくらいの時間帯だったよね……」
あのときの状況を再現しようとしているのだろうか、綾夏はゆっくりと転落防止柵の方に歩き出す。
策に手を掛けながら、こちらを振り返る。
「私がこうやって海の向こう側を眺めていたら、枝が折れる音が聞こえてさ……。びっくりしたよ……初めてきたところだったけど、こんなところに人がやって来るなんて思ってもいなくて」
「それは僕も同じだよ。だってここは僕が以前から通っていたし、僕以外は立ち寄らないような場所だと思っていたんだから」
「そうだったの……」
「それに……びっくりしたのは僕もだ。だって、振り向いた女の子がいきなり泣いているんだから」
「あはは……そんなこともあったね……」
「まったくだ。僕にとっては一大事だったんだ」
「――その理由も、全て……ちゃんと話すよ」
僕もベンチから立ち上がり、綾夏の隣に並ぶ。
ここから見える景色は素晴らしい。
すぐ麓に広がる街並みや、その奥から視界いっぱいに広がって行く大海原。
これを見てしまえば、自分の悩んでいることなんてちっぽけに思えてきて、気持ちが軽くなることもたくさんあった。
「あのね、蓮くん。今から話すことは、クラスの誰にも話していないことなの」
「誰にも言ったりなんてしないよ。それくらいできるさ」
「うん、知ってる。蓮くんなら信頼できるもん」
それから、綾夏は大きく深呼吸を何度かすると、身体ごと僕に向いた。
「――病院での私を、蓮くんは……」
「うん……見た」
すると、綾夏は降参とばかりに両手を挙げて、僕にほほ笑みを返す。
「やっぱり見たよね……。うん、その通り。私はね――病気なの」
やはりそうではないかと、薄々気付いてはいた。
病院でのあのやつれ切った姿。
ここに来るまでの、体力が減って行く早さ。
その様子を見ていたら、綾夏の言っていることに頷くことはできる。
でも、普段のあの明るくて無尽蔵な体力があった綾夏を見ていたから、そんなことはないと否定する僕が、心のどこかには確実に存在していた。
「いやぁ、まさかあんなところで蓮くんに見られるなんて思いもしてなかったよ。完全に油断していたな……。ところで、蓮くんは何であの日、病院にいたの?」
「僕は、綾夏が部活に来なくなってからも、文集を作っていたんだ。綾夏が来ないから綾夏の分も少し進めながら。あとはそれと並行で勉強もしていて……自覚はあんまりなかったけど、結構無理してたみたい。それである日、夕立に遭ってね。それが引き金になって寝込んじゃってさ。いつまでたっても治らなくて、それで……」
「そっか……そんなことがあったんだ。大変だったね……」
「そ、それは……というか、そんなことよりも、綾夏の方が大変だっただろ? だって入院していたなんて」
「ま、まぁね……でも、入院って言われても、なんかこう慣れた? って感じで、あんまり大変だった感じはなくて……」
「そういうものなの……? じゃあ、何で連絡くれなかったんだよ。ものすごく心配になったんだぞ……」
「そ、それは……ごめん」
目を泳がせながら口を開く綾夏を、僕は見逃さなかった。
「何かわけがあるんじゃないの? それを含めて話してくれるんじゃないのか?」
「そ、その……」
「いや……何か言い過ぎた。本当に話したくないことなら話さなくてもいいしごまかしてもいい。でもさ、何か僕にできることがあれば綾夏に全力で力を貸したいんだ。困っているのにそれを誰にも話すことができないなんてきついじゃないか」
自分の中でため込んで、抑え込んで。
感情のバケツに容量が残っているなら別にそれでもいい。少しずつ輩出していくことができればそれでいいのだから。
でも、今の綾夏は僕が見てもそんな余裕のある状態ではないように見える。
溜めにため込んだ思いを吐露する出口がないにもかかわらず、思いだけはどんどん流れ込んでくる。
もう限界すれすれで、いつ溢れ返ってもおかしくはないだろう。
「――蓮くんのバカ」
小さく綾夏の拳が肩に当たる。
「痛いよ、綾夏」
ぜんぜん痛くはなかった。
力も全くこもっていなくて、ただ振り子のように振り下ろしたのが偶然当たってしまったような、そんな威力だった。
それでも僕は反射でそう答えていた、いや、答えざるを得なかった。
「そんなこと言われたら、どんなに時間がかかっても蓮くんに話しきれないよ……」
「途中でもいい。所々でも全然構わない。綾夏が話したいことを話して、それで心が軽くなるんだったら、僕はいつまででも聞いているさ」
あの日、ここで出会ったから。
偶然にも同じ学校、しかも同じ部活になったから。
そんな偶然に偶然が重なった僕と綾夏の出会い。
でも、それはたしかに必然ではないのだけど、出会ってからの僕たちは決して偶然を通してここまで来たのではないだろうと思う。
お互いがお互い話し合って、決めたのは綾夏のほとんど独断かもしれないけど、最後は僕もそれに同意して。
海で遊んで、夏祭りに出かけて花火を見て――。
それは偶然やら必然みたいな、そんな簡単な言葉で表すことなんてできない。
「蓮くん……ありがとう。本当に……ありがとう」
頬に涙が伝っている綾夏を見たことはあるけど、鼻を何度も啜り、涙でこんなにも顔をぐちゃぐちゃにしている彼女を、僕は初めて見た。
大木の木陰にちょこんと置いてある小さなベンチに肩を寄せ合ったところで、僕はそう切り出した。
「そんなこと言わなくても……これまでの私を見れば何となく分かってるんじゃない?」
「そ、それは……」
「うん、分かってる。それ以上口にしなくても……」
綾夏は立ち上がると、日向に繰り出していく。
「あのときも、たしかこのくらいの時間帯だったよね……」
あのときの状況を再現しようとしているのだろうか、綾夏はゆっくりと転落防止柵の方に歩き出す。
策に手を掛けながら、こちらを振り返る。
「私がこうやって海の向こう側を眺めていたら、枝が折れる音が聞こえてさ……。びっくりしたよ……初めてきたところだったけど、こんなところに人がやって来るなんて思ってもいなくて」
「それは僕も同じだよ。だってここは僕が以前から通っていたし、僕以外は立ち寄らないような場所だと思っていたんだから」
「そうだったの……」
「それに……びっくりしたのは僕もだ。だって、振り向いた女の子がいきなり泣いているんだから」
「あはは……そんなこともあったね……」
「まったくだ。僕にとっては一大事だったんだ」
「――その理由も、全て……ちゃんと話すよ」
僕もベンチから立ち上がり、綾夏の隣に並ぶ。
ここから見える景色は素晴らしい。
すぐ麓に広がる街並みや、その奥から視界いっぱいに広がって行く大海原。
これを見てしまえば、自分の悩んでいることなんてちっぽけに思えてきて、気持ちが軽くなることもたくさんあった。
「あのね、蓮くん。今から話すことは、クラスの誰にも話していないことなの」
「誰にも言ったりなんてしないよ。それくらいできるさ」
「うん、知ってる。蓮くんなら信頼できるもん」
それから、綾夏は大きく深呼吸を何度かすると、身体ごと僕に向いた。
「――病院での私を、蓮くんは……」
「うん……見た」
すると、綾夏は降参とばかりに両手を挙げて、僕にほほ笑みを返す。
「やっぱり見たよね……。うん、その通り。私はね――病気なの」
やはりそうではないかと、薄々気付いてはいた。
病院でのあのやつれ切った姿。
ここに来るまでの、体力が減って行く早さ。
その様子を見ていたら、綾夏の言っていることに頷くことはできる。
でも、普段のあの明るくて無尽蔵な体力があった綾夏を見ていたから、そんなことはないと否定する僕が、心のどこかには確実に存在していた。
「いやぁ、まさかあんなところで蓮くんに見られるなんて思いもしてなかったよ。完全に油断していたな……。ところで、蓮くんは何であの日、病院にいたの?」
「僕は、綾夏が部活に来なくなってからも、文集を作っていたんだ。綾夏が来ないから綾夏の分も少し進めながら。あとはそれと並行で勉強もしていて……自覚はあんまりなかったけど、結構無理してたみたい。それである日、夕立に遭ってね。それが引き金になって寝込んじゃってさ。いつまでたっても治らなくて、それで……」
「そっか……そんなことがあったんだ。大変だったね……」
「そ、それは……というか、そんなことよりも、綾夏の方が大変だっただろ? だって入院していたなんて」
「ま、まぁね……でも、入院って言われても、なんかこう慣れた? って感じで、あんまり大変だった感じはなくて……」
「そういうものなの……? じゃあ、何で連絡くれなかったんだよ。ものすごく心配になったんだぞ……」
「そ、それは……ごめん」
目を泳がせながら口を開く綾夏を、僕は見逃さなかった。
「何かわけがあるんじゃないの? それを含めて話してくれるんじゃないのか?」
「そ、その……」
「いや……何か言い過ぎた。本当に話したくないことなら話さなくてもいいしごまかしてもいい。でもさ、何か僕にできることがあれば綾夏に全力で力を貸したいんだ。困っているのにそれを誰にも話すことができないなんてきついじゃないか」
自分の中でため込んで、抑え込んで。
感情のバケツに容量が残っているなら別にそれでもいい。少しずつ輩出していくことができればそれでいいのだから。
でも、今の綾夏は僕が見てもそんな余裕のある状態ではないように見える。
溜めにため込んだ思いを吐露する出口がないにもかかわらず、思いだけはどんどん流れ込んでくる。
もう限界すれすれで、いつ溢れ返ってもおかしくはないだろう。
「――蓮くんのバカ」
小さく綾夏の拳が肩に当たる。
「痛いよ、綾夏」
ぜんぜん痛くはなかった。
力も全くこもっていなくて、ただ振り子のように振り下ろしたのが偶然当たってしまったような、そんな威力だった。
それでも僕は反射でそう答えていた、いや、答えざるを得なかった。
「そんなこと言われたら、どんなに時間がかかっても蓮くんに話しきれないよ……」
「途中でもいい。所々でも全然構わない。綾夏が話したいことを話して、それで心が軽くなるんだったら、僕はいつまででも聞いているさ」
あの日、ここで出会ったから。
偶然にも同じ学校、しかも同じ部活になったから。
そんな偶然に偶然が重なった僕と綾夏の出会い。
でも、それはたしかに必然ではないのだけど、出会ってからの僕たちは決して偶然を通してここまで来たのではないだろうと思う。
お互いがお互い話し合って、決めたのは綾夏のほとんど独断かもしれないけど、最後は僕もそれに同意して。
海で遊んで、夏祭りに出かけて花火を見て――。
それは偶然やら必然みたいな、そんな簡単な言葉で表すことなんてできない。
「蓮くん……ありがとう。本当に……ありがとう」
頬に涙が伝っている綾夏を見たことはあるけど、鼻を何度も啜り、涙でこんなにも顔をぐちゃぐちゃにしている彼女を、僕は初めて見た。