「歩くって……一体どこへ?」

 「いいからいいから。私についてきてよ」

 「わ、分かったよ……」

 いくら僕が嫌だと言っても、どうせ最後は自分の思い通りにさせてしまうのだろう。そんなところは数日では変わらないようだった。

 「あっ、自分の荷物も忘れずに持ってきてね」

 「はいはい」

 僕と綾夏は部室を後にして昇降口へと向かう。

 「もしかして学校の外?」

 「そうだよ。そうじゃなかったら荷物なんて持ち歩かなくてもいいでしょ?」

 「まぁ、たしかにそうだね」

 綾夏は僕に行き先を言うことなく歩き進めていく。
 校門を抜けて、コンクリートの道に出る。最後に補修されたのはいつだろうかと思ってしまうくらいに道がデコボコとしている。

 普段は考えもしていなかったことだけど、こうして何の会話もなく歩いているだけだと色々な視覚情報が僕の目に飛び込んでくる。

 やがて、綾夏はとある角を曲がり、傾斜のきつい上り坂の通りに身体を向ける。

 ここまで訳も分からないままついてきたけど、ここに辿り着いたことで、これから綾夏が向かおうとしている場所が分かった気がする。
 僕は綾夏に並んで、視線を横に向ける。

 「ねぇ、綾夏」

 「何?」

 「今から綾夏がどこに行こうとしているのか当ててあげようか」

 「もうタイムオーバーっだよ。ここまで来ちゃったら蓮くんならもう分かってるでしょ?」

 「ま、まぁね」

 「それに、蓮くんには、外に行く段階で気づいて欲しかったな」

 「そんなことなんてできないよ。だって僕は人がどう考えているかなんてすぐにはわからないし……」

 「知ってる……」

 「じゃあ、どうして……」

 「気付いて欲しかった……蓮くんだけには、何だかそう思って。そんなこと分かってる。人の気持ちなんて簡単には分からないって。でも、そうだからこそ、蓮くんには私の思ってることを知ってほしくて、思いを共有したくて……って、私何言ってるんだろうね」

 綾夏は一歩僕の前に踏み出す。
 最後は笑うような口調だったけど、その表情は言っていることとは正反対の感情を表しているように見えた。

 「本当だよ。支離滅裂だよまったく。あはは……」

 僕も綾夏の背中に向かって笑ってみせるけど、どうにも自然な笑みを出すことができず、その場を取り繕うような、取って付けたようなものしかできない。

 そんな軽い気持ちが行きかう雰囲気ではないということは、口に出さなくてもお互いに何となく察しているような感覚だった。

 坂道を登り始めてから、綾夏は猫背になって、一歩踏み出すたびに肩を大きく上下させながら、さっきよりもスピードを落としている。

 「綾夏……大丈夫?」

 あまりにもきつそうな表情をしているから、僕はたまらずに声をかける。

 「べ、別に大したことないよ……。でもおかしいね。つい二週間前まではあちこち走り回っても全然平気だったのに……」

 唇を噛み、汗を垂らしていく。

 「肩貸そうか……?」

 僕が綾夏に近づくと、彼女は左手を僕の前にすっと突き出した。

 「大丈夫……だから。自分で、登る」

 小さくて細くて、一見すれば脆くか弱い印象を受けるのだけど、今の彼女からはそんな外見からでは分からないほどの気持ちが伝わって来た。一度やり始めたのだから、最後まで自分でやりぬく、と。

 それを見て、まだ手を貸そうとは思えなかった。
 だから、僕はすっと後ろに下がり、彼女の歩く速度に合わせてゆっくりと歩き始める。

 「――やっと着いた……」

 綾夏は僕と初めて会った、あの丘の上の公園にやって来た。
 膝に両手をつき、まるでマラソン大会を終えた選手のように大粒の汗と荒い呼吸をしている。

 「ほ、本当に大丈夫?」

 僕が綾夏の顔を覗き込むと、苦しそうな表情の中にもどこかやり切ったような、そんな清々しい表情も見ることができた。

 「――そうだ」

 僕は鞄から水筒を取り出す。

 「これ、良かったら飲んでよ。脱水症状になるといけないから」

 「あ、ありがとう……」

 綾夏は手を伸ばして僕の水筒に手を伸ばすと、勢いよく水筒を傾ける。

 「――って、蓮くん。これって間接キスだよね? もしかしてそれ狙った?」

 綾夏はにまぁっとした笑みを僕に向けてくる。

 「そ、そんなことあるもんか! だって、綾夏が……」

 「へぇ~私が何だって……?」

 「綾夏は何の荷物もなかったし、こんな暑い中を歩けば喉が渇くくらい想像できるだろ。だから、綾夏の方こそ実は間接キ、キ……を狙っていたとかはないのか?」

 「そ、そんなことは……あるわけないでしょ? もう、変な言いがかりはやめてよね!」

 「でも、その割には顔が赤い気がするけど?」

 「あ、赤くなんてないよ! ほ、ほら、夕日! 夕日が照らしているからそう見えるだけなんだから!」

 何だか久しぶりだった。
 こうして口論まがいのことをしているけど、何だかんだ言ってこの他愛もない時間が案外気に入っていたのかもしれない。

 冗談みたいな本気を口にするいつもの綾夏が戻ってきてくれたみたいで、僕は嬉しかった。
 でも、そんなことを思っていることができたのは一瞬だった。

 「っ……」

 急に綾夏が顔を歪めたと思ったら、苦しそうに胸を押さえ始めてしまった。

 「綾夏……⁉」

 僕は慌てて彼女の下に駆け寄る。
 こんなときに何をしてあげればいいのかなんて分からないし、安心できるような言葉をかけてあげることすらできない。

 だから、僕はただ小刻みに揺れる綾夏の背中を擦って、彼女が落ち着くのを待って願うしかなかった。

 「――はぁ、はぁ、はぁ……」

 それから少し時間がたつと、綾夏は何とか深呼吸ができるようになっていた。

 「綾夏、本当に大丈夫?」

 「うん、大丈夫……。っていうか、蓮くん。さっきから『大丈夫?』しか言ってなかったけど……」

 「し、仕方ないだろ? 急に目の前で苦しみだされて、こっちは頭の中が真っ白になっちゃったんだから……」

 「そうだよね……びっくりするよね、こんな姿見ちゃったらさ……」

 「…………」

 僕は何も言い返すことができない。
 だって、それは事実だったから。

 でも、それをそのまま彼女に言うのは、あまりに直接的でクッションが少しもない鋭利な刃物のようなものだと思ってしまったから。

 「――でもね……私、嬉しかったの。他人のことなのに、こんなに真剣な目で言葉をかけ続けてくれてさ……」

 「そんなの……当たり前だろ」

 緩やかな風が僕と綾夏の間をすり抜けて、小さな僕の声はあっという間にさらわれて行ってしまった。

 「――ねぇ、蓮くん」

 綾夏は地に足着いたような声で、決して大きくはなかったけど、しっかりと僕を見つめながら、彼女ははっきりと言った。

 「私の話、聞いてくれるかな――」