僕は綾夏と二人で海水浴を始めたのだけど、綾夏の体力は底知れぬ恐ろしさがあった。

 海に浸かってみれば、回遊魚のように泳ぎ回って僕の視界から何度も消えてしまってあちこちに探し回らなくてはいけない。
 まるで海中シャトルランをやらされているみたいだった。

 砂浜でビーチバレーをしてみれば、綾夏は僕よりも高い打点から強烈なスパイクを打ち付けてくる。

 それを拾うことができず後逸してしまった僕は、見知らぬ人の方向へ転がって行ってしまったボールを、「すいません」という言葉とともに取ってもらうのだった。
 そんな様子を見ていた綾夏は「ちゃんと反応すればこんなの簡単に取れるよ!」と僕に言ってくる。

 正直に言って無理な話だ。
 僕はアウトドア派かインドア派かと聞かれれば、考える間もなく後者というだろう。

 炎天下の中走り回ることよりも、冷房の効いた室内で本を読んでいることの方がずっと好きだ。
 僕は今までそんな生活を送って来たから、体力には自信がない。現にこうして綾夏よりも先に体力の限界を迎えそうにいる。

 「あ、綾夏……」

 両手を膝に付いて俯くと、大量の汗が額を伝って白い砂浜に小さなしみをいくつも作っていく。

 「蓮くん、どうしたの?」

 ビーチボールを抱えた綾夏が心配そうな声を出しながら僕の下に駆け寄ってくる。

 「ちょ、ちょっと休憩しない……?」

 「確かに……そろそろお昼だし、ちょっと早いけど人が混む前に何か食べに行く?」

 「うん、そうしよう……」

 「そうと決まれば、早く行こう!」

 綾夏の提案に乗った僕は、先に歩き始める綾夏の背中を負うように歩き始める。

 「――う~ん……どれにしよう……」
 
 海の家に着いてから、綾夏はしばらくメニューの看板の前から微動だにせず、ただただ悩ましいと言わんばかりの唸り声をあげながら睨めっこをしていた。

 「そんなに悩んで……早く決めないと混んできちゃうよ?」 

 僕がそう言っている最中にも、後ろからは続々と人がやって来ていている。

 「だって、ラーメンに焼きそば、かき氷にフランクフルト……どれも食べたい! でも全部は食べきれないんだよね……」

 「そりゃそうだろ。自分のお腹と相談して決めなよ」

 それから長い間ああだこうだとぶつぶつ独り言を言いながら考えた末に、綾夏は妙案を思いついたようで、目を輝かせながら僕の方を振り向いた。

 「そうだよ! 全部食べればいいんだよ!」

  「だから、それは無理だって――」

  「無理じゃない! 私と蓮くんで分け合いっこすれば、全種類食べられるじゃん!」

 「はいっ……?」

 綾夏はついに暑さで思考回路がショートしてしまったのか?
 そんなことするわけないだろうと、抗議の一つでも言ってやろうと思ったのだけど、口を開こうとした。

 しかし、そのときすでに綾夏は紙幣を発券機に吸い込ませ、さっき言ったものたちのボタンを片っ端から押しているではないか。

 「お、おい綾夏……?」

 「どうしたの……?」

 綾夏は「私、何か変なことでもしていますか?」みたいなキョトンとした顔で僕を見つめる。

 その瞳にはまったくこれっぽっちも悪気が感じられない。
 だから、文句を言うにもなぜかそれを言うことができなかった。

 「――残すのはなしだからね」

 代わりに出てきた言葉は、そんな何とも頼りないものだった。

 それから、綾夏は到底一人では食べきれないような数の食券を片手に、カウンター屁と進んで行く。
 やはりというか、案の定お店の人は「君一人で食べるの?」と驚く声を出している。

 でも綾夏は「彼と分け合いっこして食べるんです!」と元気よくそれに答えていた。
 そのおかげで、お店の人からは「青春してるね」だの「うらやましい」だのと声をかけられてしまった。

 僕はなんて答えたらいいのかわからず、次々と投げかけられる質問に、苦笑いを浮かべながら曖昧に返事を濁すことしかできなかった。

 しかし、一方の綾夏は、そういった話題に満更でもない様子でいるのだった。

 別に僕と綾夏の関係を誤解されてもすぐに否定することもしないで嬉しそうにしていたり、まるで僕と綾夏が本当のカップルとしてここに遊びに来ているのではないかと、僕自身も一瞬疑ってしまうくらいに。
 いや、実際にそんなことはないのだけど……。

 そんな世間話に華を咲かせていると、順々に注文した料理が奥から運ばれてくる。

 「うわぁ、おいしそう! ねぇねぇ見てよ蓮くん! すっごい湯気だよ!」

 番号札とトレーに乗ったラーメンを交換すると、綾夏はバランスを取りながらも急ぎ足でテーブルに戻っていく。

 続いて焼きそばとフランクフルトとかき氷をまとめて僕が受け取る。
 すると、僕が運ぼうとしたトレーに、お店のおじさんが謎のドリンクを置いた。

 「あの……これ注文してないんですけど……」

 僕がそのドリンクを指さすと、おじさんは大きく胸を張って僕の肩に手を伸ばす。

 「あぁ、それはカップル限定のスペシャルドリンクだよ。にしても明るくて元気で可愛らしい彼女さんじゃないか。大事にするんだぞ!」

 おじさんはそれだけ言い残すと、「ガハハハッ!」とけたたましい笑い声をあげながら厨房の方へと姿を消してしまった。

 それにしても、だ。
 僕はトレー上で異彩を放っているそのスペシャルドリンクとやらを見る。

 明かにおひとり様用のグラスの大きさではなく、ありていに言えば、二人用のワイングラスに近い形をしている。

 そこにかき氷のブルーハワイのような色をした炭酸入りの液体がグラス七文目くらいまで注がれ、グラスの縁にはレモンがアクセントに添えられている。
 しまいにはグルグルと曲がったストローまでついている。

 よくドラマとかでカップルが仲睦まじく顔を近づけて一緒に飲んでいる光景を目にするけど、それとほとんど見た目が変わらない。

 「――綾夏、はい。残りのやつ持ってきたよ」

 「ありがと~! っていうか、そんな飲み物頼んだっけ……?」

 やっぱり綾夏が気付かないわけないよな……。
 他の料理よりも先に、綾夏はそのドリンクに目を付けた。

 「え、えっと……さっきの人が……カ、カップル限定って言ってくれたんだ」

 「へぇ……カップル……私たちって、やっぱり他の人から見たらそういう風に見えるのかな?」

 「ま、まぁ……そうなんじゃない?」

 「そっかそっか~やっぱりそうだよね~」

 綾夏の声が少し軽やかに伸びる。

 「――じゃあさ、最初に一緒にこれ飲んじゃおうよ」

 「えっ? べ、別々にしない?」

 「え~せっかく用意してもらったのに、それじゃあつまらないよ~」

 「そ、そんなこと言われても……」

 僕はそれだけは避けたかったけど、ふと視線を感じて奥を見ると、なぜかあのおじさんがグーサインを連発している。

 「わ、わかったよ……」

 綾夏とおじさんにチェックメイトされた僕は、頸を縦に振るしかなかった。

 僕はゆっくりとストローの片方に口を近づける。
 綾夏も僕の動きに合わせるようにもう片方に口を近づける。

 「じゃあ、せーので行くよ」

 綾夏の掛け声に合わせて息を吸うと、シュワっとした甘い液体が入ってくる。

 「えへへ……何だか本当のカップルみたいだね。ちょっと恥ずかしい」

 「おいおい、それをあんなにしたいって駄々こねてた綾夏が言うか?」

 「まさかこんな感じだとは思わなくて……結構お互いの顔が近くでさ……」

 本当は僕だって顔から火が出そうなくらいに緊張して恥ずかしくて手が震えてしまっている。
 それでも、それを綾夏に知られないように必死で抑えているというのに。

 「ぼ、僕は他のものも食べるから……あとは綾夏が飲んでいいよ」

 これ以上このままにしていると緊張でおかしくなってしまいそうだったから、僕はストローから口を離して、手前に置いておいた焼きそばに手を付け始めた。