三人はイーファの仕事場に足を寄せていた。宮廷付きらしく豪華かと思いきや、意外に質素な作りで、今俺達はそのうちの工房に居る。
テーブルの上には様々な魔道具が置かれ、部屋の脇には幾つか高価そうな大きめの魔法機械が置かれている。
頭上には多くの分厚い魔導書が置かれていた。ブレイズ語のものだけではなく、エクリ語やアイゲントリッヒ語、挙げ句の果てには俺すらも知らない言葉――おそらく古典語だろう――の本まであった。これで彼女がエクリ語に堪能なのも理解できる。
「ここが宮廷魔導師の工房ですか」
「え、ええ、他の宮廷魔導師さんと比べると少し物足りないかもしれませんが……」
「そんなことは無い、良く整備されてるじゃないか」
素人目に見ても魔道具や魔法機械がピカピカになるまで磨かれているのが分かる。そんな純粋な言葉にイーファは喜ぶ様子もなく、ただただ不安げな表情を浮かべるのであった。
「しかし、なんで魔法花火作りなんて話になったんだ?」
「わたしもお話を受けるまではてっきり別の人がやるものだと思っていたんですが……いきなりお話が飛んできて、時間もなくて他の人も頼れなかったんです」
「知り合いとか居ないんです?」
イーファはルアのそんな質問に首を振って、答えた。
「居るには居るんですが、宮廷評議会の人たちが『一人で出来るだろう』とか『お手伝いを雇っても足手まといになるだけだろう』だとか言って、勝手に進めちゃって……」
「そりゃ酷いな」
この娘は人に意見を言うのが苦手そうだから、きっと宮廷評議会の人に買い被られていたのだとしても反論することは出来なかっただろう。
こくりと頷くイーファを横目に俺はそんなことを思っていた。
「だから、お二人が手伝ってくれるのはとてもありがたいことなんです」
「俺みたいな魔法の素人でもか?」
「ええ、魔法学的なことは私がどうにかできるので、お二人は作業に専念していただければ」
「私は治癒師ですから、ある程度魔法分かりますけどっ」
ルアが腰に手を当てて、抗議するように言う。イーファはそんな彼女の様子に少し困った様子になるが、ややあって本棚から一冊の本を取り出した。
ルアと俺は不思議そうにその本を覗き込む。表題は古典語らしく読めない。
「何の本なんだ?」
「爆炎魔法の高度な制御に関する本ですね。魔法花火は爆薬を使わないので事故が少なく安全な代わりに、爆炎魔法の制御が肝心なんです。まあ、わたしの専門ではないので少し難しいんですけど……まあ、さっぱりというわけでもないので……」
説明しながらイーファはページをペラペラと捲る。何を表しているのか良く分からない図やら文字の羅列が目の前を流れていった。
ルアはそんな本にくらっと来たのか、瞑目して頭を押さえた。
「そ、そういうの読んでて頭痛くなったりしませんか?」
「いえ、これくらい読まないと何も出来ませんから…… ルアさんは、本を読むのが苦手なんですか?」
「文字だらけの本はどうにも頭に入ってこなくて……」
「普段はどんな本を読まれるんですか?」
「えっとぉ……」
ルアは指を頬に当てて、中空を見ながら考える仕草をする。そんな彼女をイーファは不思議そうに見つめていた。
口ぶりからしてまともに本というものを読んだことが無いのだろうことは明白だった。イーファにとっては逆に本を読まない人間というののほうが珍しいという感じなのかもしれない。
助け舟を出すわけではなかったが、俺は雑談を断ち切るために口を開いた。
「それで、俺達はどんな作業をすれば良いんだ?」
イーファはページを更に捲り続けている。どうやらその本に目次というものは無いらしい。
「正しい分量で調合をしてほしいんです。まず、そっちにある龍酸にレイブレスを加えてから、そっちの冷却器で冷やして竜粉を晶析させるところからですね」
「倒れそう……」
専門用語の羅列にルアは顔面蒼白という様子だった。分からない用語ばかりで俺もなんだか心配になってくる。
そんな二人を前にしてイーファは澄んだ声で続ける。
「大丈夫です、手順は教えますからそのとおりやってもらえれば失敗はしないはずです」
「はいよっと」
その後、早速俺達は作業に入った。イーファが丁寧に説明をして、俺達はそのとおりに工程を進めていく。
教えられたままにやっているだけだが、段々と自分が錬金術師になったかのような感覚がして気分が高まっていった。ルアも似たようなことを思っているのか、血色の良い顔色をしている。
イーファはといえば黙々と本を読み漁りながら、隣の部屋と行ったり着たりを繰り返していた。追加の材料や器具を揃えているのだろう。
何度目かもう覚えていないそんな往来を見送ってから、ルアは静寂を断つように口を開いた。
「しかしまあ、単純作業を繰り返すってのも退屈ですね」
「これで花火が見れたら、それだけでも儲け物と思わないか?」
「まあ、それはそうですけど……あ、そうだ」
ルアはいきなり手をぽんと叩いて、何かを思いついたような顔をする。
「ちょっとずつ作業しているから一向に進まないんですよ。こうやってドバーッって入れちゃえば良いんです」
「おい、勝手なことは止めたほうが……」
「大丈夫ですよ、イーファさんも安全だって言ってましたし」
ルアが指示された材料を容器にどっさりと盛り、その上から手順に従って指定された液体を注ごうとする。
イーファは部屋に戻ってきて、それを目撃した途端持っていた資料を床に落とした。
「ルアさん、それは……!!」
そして、彼女がルアの近くに寄ろうとした瞬間、ぼふん!という音とともに辺りが真っ白に曇る。俺達はむせた。息をするたびに吸い込んだ粉が喉を刺激するような状況だ。
「けほっけほっ、ルアさん、大丈夫ですか?」
イーファの声が聞こえる。
「大丈夫っちゃ大丈夫なんですけど……」
「あれは一度に大量に処理すると、こうなっちゃう材料なんですよ。ちょっと換気しますね」
イーファが部屋の入口で何かを唱える。それとともに部屋の中に空気の流れが生まれて、みるみるうちに白い靄が晴れていった。おそらく風属性の魔法で換気を行ったのだろう。
俺は呆れつつ、ルアの背後に近づいた。彼女は少し懲りたような顔で肩をすくめて俺の接近に答える。
「だから、止めておけと言ったんだ」
「だってえ……」
「まあ、たしかに単調すぎる作業だったかもしれませんね。ちょっと休憩にしましょうか」
そういったイーファは本棚の下にある戸棚を開いて、その中からティーセットを取り出してくる。質素な魔術師には合わない豪華なティーセットだった。
それをイーファは慎重に、しかし慣れた手付きで紅茶を入れていく。彼女が紅茶の入れ物を開いた瞬間、部屋に落ち着いた芳香が漂う。
食道楽のルアが人一倍それを感知していたのか、アンニュイでのっぺりとした表情になる。
「良い香りですねえ……」
「アイゲントリッヒ帝国の極東部――フソウで取れるお茶です。ブレイズでは味わえないエキゾチックな香りがして好きなんです」
ティーカップに注がれる澄んだ薄緑色の液体は、ブレイズやエクリで飲まれる一般的な紅茶とは大きく違う見た目をしていた。
珍しいお茶に興味を惹かれていると、イーファは「あっ」と何かに気づいたような声を上げた。青いポニーテールが触れて、彼女の顔がこちらに向く。
「えっと……もし、これが嫌いでしたら言ってくださいね。代わりにエクリテュールの紅茶も置いているので」
「いや、せっかくだから頂くことにしよう」
「そうですね」
イーファは俺達の答えを安心した表情で受け止める。ティーカップの受け皿に砂糖菓子を一つ付けて、二人に渡した。
「しかし、異国のものは高価だろう。こんな行きずりの旅人に出して良いものか?」
「いえ、私が買ったのではなく、宮廷からのお礼として頂いたものですので……その、飲むと落ち着くので好きではあるんですが、頓着していないというか……」
イーファが言葉を探していると、ルアは目を輝かせながらイーファの両手を取った。
「頓着していないんですかっ……!?」
「え、ええ……」
「じゃあ、何杯でも飲めますね!!!!」
「お前というやつは……はあ、まったく」
少しは慎みというものを覚えてもらいたいという気持ちだったが、イーファは気にしない様子でにこやかに口角を上げた。
「キリルさんもおかわりが欲しかったら言ってくださいね」
「あ、ああ……」
そういって、イーファは自分のティーカップに手を付けた。一口飲むとほっと吐息を漏らした。
テーブルの上には様々な魔道具が置かれ、部屋の脇には幾つか高価そうな大きめの魔法機械が置かれている。
頭上には多くの分厚い魔導書が置かれていた。ブレイズ語のものだけではなく、エクリ語やアイゲントリッヒ語、挙げ句の果てには俺すらも知らない言葉――おそらく古典語だろう――の本まであった。これで彼女がエクリ語に堪能なのも理解できる。
「ここが宮廷魔導師の工房ですか」
「え、ええ、他の宮廷魔導師さんと比べると少し物足りないかもしれませんが……」
「そんなことは無い、良く整備されてるじゃないか」
素人目に見ても魔道具や魔法機械がピカピカになるまで磨かれているのが分かる。そんな純粋な言葉にイーファは喜ぶ様子もなく、ただただ不安げな表情を浮かべるのであった。
「しかし、なんで魔法花火作りなんて話になったんだ?」
「わたしもお話を受けるまではてっきり別の人がやるものだと思っていたんですが……いきなりお話が飛んできて、時間もなくて他の人も頼れなかったんです」
「知り合いとか居ないんです?」
イーファはルアのそんな質問に首を振って、答えた。
「居るには居るんですが、宮廷評議会の人たちが『一人で出来るだろう』とか『お手伝いを雇っても足手まといになるだけだろう』だとか言って、勝手に進めちゃって……」
「そりゃ酷いな」
この娘は人に意見を言うのが苦手そうだから、きっと宮廷評議会の人に買い被られていたのだとしても反論することは出来なかっただろう。
こくりと頷くイーファを横目に俺はそんなことを思っていた。
「だから、お二人が手伝ってくれるのはとてもありがたいことなんです」
「俺みたいな魔法の素人でもか?」
「ええ、魔法学的なことは私がどうにかできるので、お二人は作業に専念していただければ」
「私は治癒師ですから、ある程度魔法分かりますけどっ」
ルアが腰に手を当てて、抗議するように言う。イーファはそんな彼女の様子に少し困った様子になるが、ややあって本棚から一冊の本を取り出した。
ルアと俺は不思議そうにその本を覗き込む。表題は古典語らしく読めない。
「何の本なんだ?」
「爆炎魔法の高度な制御に関する本ですね。魔法花火は爆薬を使わないので事故が少なく安全な代わりに、爆炎魔法の制御が肝心なんです。まあ、わたしの専門ではないので少し難しいんですけど……まあ、さっぱりというわけでもないので……」
説明しながらイーファはページをペラペラと捲る。何を表しているのか良く分からない図やら文字の羅列が目の前を流れていった。
ルアはそんな本にくらっと来たのか、瞑目して頭を押さえた。
「そ、そういうの読んでて頭痛くなったりしませんか?」
「いえ、これくらい読まないと何も出来ませんから…… ルアさんは、本を読むのが苦手なんですか?」
「文字だらけの本はどうにも頭に入ってこなくて……」
「普段はどんな本を読まれるんですか?」
「えっとぉ……」
ルアは指を頬に当てて、中空を見ながら考える仕草をする。そんな彼女をイーファは不思議そうに見つめていた。
口ぶりからしてまともに本というものを読んだことが無いのだろうことは明白だった。イーファにとっては逆に本を読まない人間というののほうが珍しいという感じなのかもしれない。
助け舟を出すわけではなかったが、俺は雑談を断ち切るために口を開いた。
「それで、俺達はどんな作業をすれば良いんだ?」
イーファはページを更に捲り続けている。どうやらその本に目次というものは無いらしい。
「正しい分量で調合をしてほしいんです。まず、そっちにある龍酸にレイブレスを加えてから、そっちの冷却器で冷やして竜粉を晶析させるところからですね」
「倒れそう……」
専門用語の羅列にルアは顔面蒼白という様子だった。分からない用語ばかりで俺もなんだか心配になってくる。
そんな二人を前にしてイーファは澄んだ声で続ける。
「大丈夫です、手順は教えますからそのとおりやってもらえれば失敗はしないはずです」
「はいよっと」
その後、早速俺達は作業に入った。イーファが丁寧に説明をして、俺達はそのとおりに工程を進めていく。
教えられたままにやっているだけだが、段々と自分が錬金術師になったかのような感覚がして気分が高まっていった。ルアも似たようなことを思っているのか、血色の良い顔色をしている。
イーファはといえば黙々と本を読み漁りながら、隣の部屋と行ったり着たりを繰り返していた。追加の材料や器具を揃えているのだろう。
何度目かもう覚えていないそんな往来を見送ってから、ルアは静寂を断つように口を開いた。
「しかしまあ、単純作業を繰り返すってのも退屈ですね」
「これで花火が見れたら、それだけでも儲け物と思わないか?」
「まあ、それはそうですけど……あ、そうだ」
ルアはいきなり手をぽんと叩いて、何かを思いついたような顔をする。
「ちょっとずつ作業しているから一向に進まないんですよ。こうやってドバーッって入れちゃえば良いんです」
「おい、勝手なことは止めたほうが……」
「大丈夫ですよ、イーファさんも安全だって言ってましたし」
ルアが指示された材料を容器にどっさりと盛り、その上から手順に従って指定された液体を注ごうとする。
イーファは部屋に戻ってきて、それを目撃した途端持っていた資料を床に落とした。
「ルアさん、それは……!!」
そして、彼女がルアの近くに寄ろうとした瞬間、ぼふん!という音とともに辺りが真っ白に曇る。俺達はむせた。息をするたびに吸い込んだ粉が喉を刺激するような状況だ。
「けほっけほっ、ルアさん、大丈夫ですか?」
イーファの声が聞こえる。
「大丈夫っちゃ大丈夫なんですけど……」
「あれは一度に大量に処理すると、こうなっちゃう材料なんですよ。ちょっと換気しますね」
イーファが部屋の入口で何かを唱える。それとともに部屋の中に空気の流れが生まれて、みるみるうちに白い靄が晴れていった。おそらく風属性の魔法で換気を行ったのだろう。
俺は呆れつつ、ルアの背後に近づいた。彼女は少し懲りたような顔で肩をすくめて俺の接近に答える。
「だから、止めておけと言ったんだ」
「だってえ……」
「まあ、たしかに単調すぎる作業だったかもしれませんね。ちょっと休憩にしましょうか」
そういったイーファは本棚の下にある戸棚を開いて、その中からティーセットを取り出してくる。質素な魔術師には合わない豪華なティーセットだった。
それをイーファは慎重に、しかし慣れた手付きで紅茶を入れていく。彼女が紅茶の入れ物を開いた瞬間、部屋に落ち着いた芳香が漂う。
食道楽のルアが人一倍それを感知していたのか、アンニュイでのっぺりとした表情になる。
「良い香りですねえ……」
「アイゲントリッヒ帝国の極東部――フソウで取れるお茶です。ブレイズでは味わえないエキゾチックな香りがして好きなんです」
ティーカップに注がれる澄んだ薄緑色の液体は、ブレイズやエクリで飲まれる一般的な紅茶とは大きく違う見た目をしていた。
珍しいお茶に興味を惹かれていると、イーファは「あっ」と何かに気づいたような声を上げた。青いポニーテールが触れて、彼女の顔がこちらに向く。
「えっと……もし、これが嫌いでしたら言ってくださいね。代わりにエクリテュールの紅茶も置いているので」
「いや、せっかくだから頂くことにしよう」
「そうですね」
イーファは俺達の答えを安心した表情で受け止める。ティーカップの受け皿に砂糖菓子を一つ付けて、二人に渡した。
「しかし、異国のものは高価だろう。こんな行きずりの旅人に出して良いものか?」
「いえ、私が買ったのではなく、宮廷からのお礼として頂いたものですので……その、飲むと落ち着くので好きではあるんですが、頓着していないというか……」
イーファが言葉を探していると、ルアは目を輝かせながらイーファの両手を取った。
「頓着していないんですかっ……!?」
「え、ええ……」
「じゃあ、何杯でも飲めますね!!!!」
「お前というやつは……はあ、まったく」
少しは慎みというものを覚えてもらいたいという気持ちだったが、イーファは気にしない様子でにこやかに口角を上げた。
「キリルさんもおかわりが欲しかったら言ってくださいね」
「あ、ああ……」
そういって、イーファは自分のティーカップに手を付けた。一口飲むとほっと吐息を漏らした。