アネッサは俺のことを見るやいなや、安心したような顔になって隣に座ってきた。ルアとは違って、大人っぽいビターな香りが漂う。服の革を鞣すのに使われているタンニンの香りだ。
「こっちに居たなんて、知らなかったわ」
「そっちこそ」
「あのぉ、話についていけないんですけどお二人はどういう関係で……?」
首をぬっと出してルアは訊いてきた。アネッサはニコッと大人らしい笑みを浮かべながら、答える。
「大人の関係、気になる?」
「お、オトナの関係ですか……」
「おいアネッサ、適当なこというな」
俺の言葉に彼女は悪戯っぽく舌を出して、笑う。俺はため息を付きながら、説明する必要性を理解した。
「彼女はアネッサ・ルートル、エクリのディセミナシオンという町のギルド受付嬢だ」
「えっ、キリルさんって冒険者さんだったんですか?」
「違うのよ、キリルは――」
「アネッサ」
諌めるようにいうとアネッサは意図を汲み取ったのか黙る。今更、彼女に翻訳者であることをバラしたくは無かった。
俺はエールを一口飲み、一息置いてから続けた。
「過去のことだ」
「……まあ、そうね」
ルアは関心に突き動かされて身を乗り出していたが、その先が聞けずに諦めたように肩をすくめた。
「まあ、良いですよ。いずれ聞くことにします」
「いずれがいつになることやら」
「ところで、なんでキリルは女の子を連れてるの? ナンパでもした? にしては、若い……というか幼いわね。そういう趣味だったっけ?」
「人聞きの悪いことを言うな。さっきも言ったが、俺の好みは」
「私、もう16歳ですし、子供じゃありませんし!」
「人の話に割り込むな……」
頭を抱えたくなるような状況の中で、俺は一つ疑問を抱いていた。
「アネッサ、なんでブレイズなんかに居るんだ。お前、ブレイズ語なんか話せないだろ」
「それが、ちょっと面倒なことになってて……」
アネッサは肩を落とす。
「面倒なこと?」
俺はオウム返しに疑問を口にする。
「ギルドに届いていた回復用ポーションが今月の初めを境に届かなくなったのよ。一ヶ月は持つくらいの在庫はあるんだけど、音信不通って感じでギルドマスターもイライラし始めて、解決に送られたのが私ってわけ」
「受付嬢の仕事は大丈夫なのか?」
記憶に残るギルド・ディセミナシオンの様子を思い出す。あのときはとてもちっぽけなギルドで、何もかもが足りなかった。受付嬢もアネッサ一人という状況だったはずだ。
「あの時とはもう違うのよ。最近、新人の娘が入ってきたの。当分の間はその娘に任せることになったわ」
「いきなり先輩が消えて、大変だろうな」
「回復用ポーションが無くなるほうが大変よ……」
アネッサはまた肩を落とす。ある程度ギルドに通っていた俺にとって、その危険性は重々承知だった。
冒険者には多種多様の任務が与えられるが、それ相応の危険が伴うものが多い。そのため怪我人などは日常茶飯事で、毎日大量にギルドに戦闘不能になった冒険者が送られてくる。
ルアのような治癒師もある程度は役に立つが、治癒魔法というのは一般に魔法を使うにあたって消費する体力のようなもの――MPの消費が激しい。何人もの人間を治癒している余裕など治癒師にはない。だからこそ、ポーションの在庫が重要となってくる。
ポーションが無くなれば、ギルドは怪我人だらけになることだろう。最悪の場合には死人も出る状況になるはずだ。
「キリル、お願いがあるんだけど……」
「聞いてやらんでもない」
蒸かしたじゃがいもを頬張りながら答える。
正直面倒くさかったが、腐れ縁とはいえ古い仲。無下に扱うことは出来なかった。
「ポーションがどうして来なくなったのか調べないといけないの。でも、私、ブレイズの言葉が分からなくて困ってて……手伝ってくれる?」
「もちろん手伝いますよ! ね、キリルさん!」
「なんでお前が答えるんだ」
「ポーションと言いますと、錬金術師の仕事です。錬金術師は魔術師の一種なのでもしかしたら翻訳魔法についての情報が得られるかもしれないじゃないですか!」
旺盛な想像力にやれやれと首を振っていると、アネッサはびっくりしたように目を見開いた。
「翻訳魔法について調べているの?」
「はいっ! 私、翻訳魔法を復活させるのが夢なんです!」
「そうなの……大志を抱くのは良いことだと思うわ」
「ありがとうございます!」
ルアは気づいていないだろうが、アネッサの表情は少し曇っていた。
「ともかく、私、手伝ってほしいの。良いわよね?」
「よく分からんが、報酬は貰えるんだろうな」
「もちろん、ギルドの方から何か融通してもらうわ」
言質を得てほっとする。いくら古い仲とはいえ、タダで働いてやるつもりはない。
そうと決まれば、善は急げだ。俺は立ち上がって、酒場を見回す。
「まずは情報収集からだな」