俺達三人は馬車に揺られていた。
 イーファの宮廷魔導師としての特権は交通にも適用されるらしく、専用の馬車を借りることが出来た。
 目指す先はグリフィズから少し離れた町アーザス。イーファ曰く、そこには大図書館があり、翻訳魔法に関する記録が見られるはずだということらしい。
 馬車が揺り籠になったのか、ルアとイーファは肩を寄せ合ってすやすやと無防備な寝顔を晒している。イーファは泣きまくったために、ルアは祭りではしゃぎすぎたために疲れ切っていたらしい。その反対側の席で俺は腕を組んで、二人を見守っていた。
 二人の寝顔はどれだけ見ていても飽きない可愛らしいものだった。

「お兄……ちゃん……」

 突然のことだった。小さな呟きがルアの唇から漏れ出して、馬車の走行音にかき消されていく。彼女は起きている様子もない。寝言らしい。
 しかし、兄が居たとは知らなかった。詳しいことを聞きたくなったが気持ちよさそうに寝ている手前、わざわざ起こして訊くことも出来ない。
 その寂しそうな呟きに多少の疑問を抱きながら、俺も馬車の心地よい揺れに意識を落としていく。気づいたときにはもう俺も二人の仲間入りを果たしていた。
 車輪の回る音だけが聞こえてくる。馬車は静かに、しかし確実に次の目的地へと向かっていた。


『ダンナ……エクリのダンナ……?』

 馬車の客車の横から誰かが呼んでいる声が聞こえた。それと同時に、明るい光が目蓋を越えてまで目に入ってきた。思わず俺は目を開いて、声のする方を確認した。
 馬車を駆っていた馭者だった。微妙な表情でこちらを見ていたが、ややあって俺が起きたのに気づくとホッとしたような表情になる。
 気分良さそうに寝ている人を起こすのは気が引けるが、目的地に着いたら客を降ろして新しい客を見つけないと商売に成らないというところの葛藤だったのだろう。この馭者、根は良い人間と見える。

『着いたのか?』
『ええ、アーザスですぁ。皆さん、寝てぇて、わえも困ってたんどぁ(皆さん、寝てて、私も困ってたんですよ)』
『そりゃ、済まなかったな』

 奇妙な喋り方はブレイズ語の方言だった。確かブレイズ王国の東側と西側とでは大きく方言による差があって、最悪言葉が通じないくらいに差が開いている場合もあるという。この馭者の場合は西側方言らしい。
 馭者は俺の答えを聞いて、へっへっへと薄く笑って答えた。イーファは既に起きていたようで俺と馭者のやり取りを静かに聞いていたようだった。一方のルアはまだ惰眠を貪っている。
 俺はルアの肩を掴んで揺った。

「おい起きろ」
「あと五分……」
「ここは実家じゃねえぞ」

 肩を引き上げて無理矢理にでも起こしてやる。オレンジ髪の少女は目をしょぼしょぼさせながら、頑張って光に慣れようとしていた。
 馬車を降りるまで実際に五分掛かったかもしれない。何はともあれ、俺達は無事にアーザスに到着したのであった。

「懐かしいです、この雰囲気」

 イーファはノスタルジックな視線を町に投げかけていた。青色髪のポニーテールが風に揺らいでいる。

「前にも来たことがあるのか?」
「ええ、何度か来ましたよ。ここは本の町ですから、魔導書とかを探しによく来るんです」
「ふむ」

 通りの様子を見てみる。さすがは大図書館の町ということもあり、行き交う人々はほとんどが片手に本を抱えていた。
 町の空気は落ち着いた理知的なものだった。人々が朗らかに、そしてユーモアに溢れた笑顔を交わし合っている。平和な情景だ。
 一方で、俺の横からは逼迫したようなくぅーっという情けない音が聞こえてきていた。
 その音の主――ルアは俺達二人の視線が集まると、自分のお腹を見てから、こちらを見て、目を輝かせて言った。

「腹ごしらえに――」
「お前、いつもそれだな……」
「わたしもお腹空いてしまったかも……」

 お腹を押さえながら、イーファは聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟く。気づいた俺の視線に反応して、顔をほんのり赤くする。こっちは恥じらいがあるらしい。
 成長期真っ盛りの女の子というと体重を気にしがちで不健康な食生活を送りがちだが、ルアに関しては完全に気にしていない様子だった。俺としてはむしろこっちのほうが安心できる。旅の道中で変な病気にでもなられたら、医者でもない俺にはどうしようもない。
 俺は呆れつつ、周りの食堂を探した。
 町というものはなんだかんだ言って人の欲求に沿って作られているもので、お目当ての店はすぐに見つかった。


「わあっ、今回は豪華ですねえ!」
「こんなに頼んだつもりは無いんだがな……」

 出てきた食事の量に驚く。先日の茹でたじゃがいもとエールが冗談のように見えてくる。パンに、ステーキ、新鮮な野菜のサラダ、ワインがついてコストパフォーマンスは抜群と来た。
 さすがに怪訝に思って、ぼったくりの可能性を考えた。しかし、周りにいる客に提供されている量も同じようなものだった。
 しかも、奇妙なのは本の町と言うほどだから、てっきり客の殆どが司書やら学者のような風貌の人間かと思いきや、屈強そうな冒険者だらけだった。

「一体何の騒ぎだ……?」

 つい呟いてしまった俺の横に座るイーファ、彼女は自分の前に出された食事をバツが悪そうに見つめるだけで、手を触れようとしない。
 ルアはそれを見て、首を傾げた。

「どうしたんです? 食べないんですか?」
「いえ……こんなに多くは食べられないんですよ。私、少食で……」
「あー、そうだったんですか」

 ルアは心底興味のない様子でステーキにかぶり付いていた。
 イーファは困ったという表情になって、胸の前で手を結ぶ。

「どうしよう……でも、残したら作った人に失礼だし……ああ、やっぱり、私ってダメな――」
「ほら、多すぎるなら俺が食べてやるから寄越せ」

 イーファの皿から自分の皿に幾らか移す。彼女はほっとした表情になってこっちに向き直った。

「あ、ありがとうございます……」
「別に。俺も量が少ないと思っていたからな」

 嘘だ。お得意の照れ隠しはいつもどおりあからさまだった。
 翻訳者も文士の一つだと言って、もっと上手く出来るかもしれないと思うかもしれない。しかし、残念。俺の専門は文学の翻訳ではないのだ。
 ルアが隣でくすくすと笑っている。イーファは不思議そうに彼女へ視線を向けていた。至極純粋だ。そのままの君で居てくれと思うばかりだった。

「それにしても、この町の食堂はいつもこんな感じなのか?」
「……といいますと?」
「本の町という割には、よそ者っぽい冒険者がたむろしてんじゃねえか」
「確かにただ事ではないような雰囲気はしていますね……」

 どうやら、イーファは理由を知らないようだった。ルアは食べるのに夢中でそんなことには微塵も興味が無いらしい。食道楽娘と呼ばれても反論は出来まい。
 俺は情報を集めるためにいつもどおり背後に意識を集中した。会話に耳をそばだてて居ると、特徴的に繰り返される言葉を知ることが出来た。

「『ディフェランスの秘宝』ってやつが、ここにあるのか?」
「……ッ!」

 瞬間、それまで食事に夢中だったルアの顔が急にこちらを向いた。
 強張った表情。いつもの適当な感じのルアからは感じ取れないキッ――という鋭い眼差しが俺を貫いていた。何か言うべきではないことをいったかと思ったが、思いつく節は無い。
 イーファもその豹変ぶりに驚いて、固まってしまっている。

「ちょっと、お手洗いに行ってきます」
「あ、ああ……」

 不機嫌そうな声色を残して、ルアは席を立って店の奥の方へと行ってしまう。

「あいつ、様子がおかしいぞ?」
「わたしも心配です。ルアさん、大丈夫かな……」

 二人を残して、時間は過ぎていくのであった。