僕は彼女に相応しくない。

 その考えに至るまでに、僕は色々なことを考えた。しかし何を考えるにしても、結論は一つ。僕は、彼女に相応しくない。

 彼女ほど才色兼備という言葉が似合う人間を、僕は知らなかった。本当は、それ以上にもっと彼女を表せる言葉があればいいのだけれど、生憎僕のボキャブラリーでは足りないくらいに、彼女は素晴らしい人物だ。

 だからこそ、遠くから見ていただけの彼女が僕を好きだと言ってきた時は、信じられなかった。届かないと思っていた言葉が、彼女を笑顔にしたり、時にはわざとらしく怒らせたり。それを幸せだと素直に感じられるようであれば、どれだけ楽だろうか。
 僕は怖くなってしまったのだ。その、有り余った幸せが。頭を空っぽにして彼女の優しさを甘んじて受け入れるような真似が、僕にはできなかった。僕にその資格はないし、彼女に返してあげられる術も知らない。

 だから、僕は彼女に告げた。

「別れよう」

 たったその一言が、彼女の大きな瞳を更に開かせた。パチパチと瞬きをする度に揺れる長い睫毛。こんな時でも、彼女は美しかった。

「どうして…?」

 信じられない、というように彼女は僕の目を見つめる。こうして彼女と近い距離で顔を合わせるのも、最後かもしれない。

「僕は、君に相応しくない」

 その言葉を、彼女は黙って聞いていた。俯く彼女のその表情は、艶やかな黒髪に隠されている。

「僕では、君を幸せにはできないと、そう思ったんだ」

 しばらくの間、沈黙が流れた。

「ねぇ」

 彼女の美しい、鈴の音のような声が、その静けさに波紋を作った。彼女は伏せていた目を、僕に向けた。芯のある、凛とした、真っ直ぐな瞳。

「別に私は、幸せになりたくて君の隣にいるわけじゃないよ」

 今度は、僕が目を見開く番だった。

「君の、そういう所。色々一人で考えこんでしまうところや、ぐるぐる自分の思考に囚われて身動きが取れなくなるところ。そういう所も含めて、君の隣にいることを選んだ。でもそれは別に、君に幸せにしてもらいたくて、選んだんじゃないよ」

 さも当たり前かのように彼女はそう言う。忘れていた。彼女は、そういう人間だった。
 彼女は強い人間だった。自尊心の低い僕とは違った。意志の弱い僕とは違った。彼女は、一人でだって生きていけそうな、そんな雰囲気を持っていて。誰かに縋らなくたって、依存しなくたって、一人で立っていられるような、そんな人だった。

 そんな彼女が、華奢な肩を震わせていたところを、僕が見つけた。上手く人を慰める方法を知らない僕は、不器用な言葉をいくつか彼女の傍にぽとりぽとりと落としたのだ。彼女はそれを拾い上げて、涙に濡れたその目を細めた。その後、彼女は僕に好きだと、そう伝えてきてくれたのだ。

 そうだった。彼女は僕に"幸せにする"といった類いのことを求めてなどいなかった。

「君はそのまま、繊細で、優しい君のままでいてよ」

 いつだって、君はそう伝えてくれていたのだ。僕といるときの空気で、僕と話すときの仕草で。だから、僕は隣に居られたのだ。そして、これからもきっと、君の隣から離れられないのだ。



End.