「え、なんで」
「何が」
「何がって」

 目の前のとぼけたふりをする同級生に、私は一つ溜息をつく。

「分かってるでしょ、なんでアンタがここにいるの」

 相手は同じ学部の瀬戸。顔を合わせれば口喧嘩をするような間柄だ。

「私彼氏と待ち合わせしてるんだけど」
「うん。知ってる。だから教えにきてやったんだよ」
「は?何を」
「川崎、今日一緒に帰れないって」

 川崎は私の彼氏の名前だ。でもどうして瀬戸がそれを伝えに来るのか。訝しげな表情が伝わったのだろう。彼は「さっきの授業一緒で、お前に伝えといてくれって言われたから伝えに来たんだよ」と面倒臭そうに付け足した。

 メッセージくらいくれてもいいのに、と心の中で思う。私の彼氏は…大河は、それほど連絡をマメにしてくる方ではない。それに最近、用事があるとか言って相手をしてもらっていない。重い面倒な彼女にはなりたくないけれど、ほったらかしにされているような気がしてモヤモヤしてしまう。

「なぁ、飯でも食いに行かね」

 唐突な瀬戸の誘いに、「はぁ?」と返した。そんな気分じゃない。というかなんでアンタと一緒に。

「この前課題教えてやっただろ。まだその借り返してもらってないんだけど」
「うっ…」

 それを言われると、ぐうの音も出ない。つい先日、全く理解できなかった課題を手に唸っていると、瀬戸がやって来てこう行ったのだ。「飯奢ってくれたら教えてやってもいいけど、どうする」と。それはもう勝ち誇った笑みで。必修科目であったため単位は落とせない。しかし目の前のコイツに教えてもらうのはプライドが…。そんな葛藤の末、落単への恐怖には勝てず、瀬戸に教えてもらったのだ。

「…はいはい、分かりましたよ。奢ればいいんでしょ奢れば」
「やったね、食費が浮くわ」

 今月危ないんだよなーと話す彼は私の前を歩いていく。

「え、待って、どこの店行くの」
「俺いいとこ知ってるから」

 いいとこってどこ。高い店だと困るんだけど。そう思いながらも、私は瀬戸の後ろをついて行った。
 しばらく歩いて着いたのは、よくあるチェーン店のカフェだった。いいとこ…なのか?別に普通じゃん。まぁよかった。特別高い店でもない。

「何頼もっかなぁ~」

 悪戯っ子のような笑みでメニューを広げる瀬戸。もしかして大量に頼むとか、そういうつもりだったりするんだろうか。

「…夏奈?」

 唐突に、頭上から聞き覚えのある声がする。少し、嫌な予感がした。ゆっくりと視線を向けると、そこにいたのは大河だった。

「え、なんでここにいるの」
「え?」
「先生に呼ばれて今日は遅くなるんじゃなかったの」

 大河の言っている意味が分からなかった。そんなこと、私は一言も言っていない。

「…しかもなんで瀬戸と一緒にいるの」

 大河の声のトーンが下がる。怒っているのだと、すぐに分かった。

「…大河だって、今日用事あるんじゃなかったの」
「は?そんなこと言ってないけど」

 どういうこと?大河は用事があるって、瀬戸が…。そう思って瀬戸の方を見るけれど、瀬戸は呑気にメニューを眺めている。

「…嘘ついて瀬戸とご飯食べに来てるって何?浮気?」
「いや、違っ」
「最低だな」

 大河は聞く耳を持たずそう言う。好き勝手言われて、浮気まで疑われて。確かに瀬戸と二人きりでご飯を食べに来てしまった私も悪い。でも、でもさ…。

「大河だって」
「は?俺が何」
「大河だって、最近全然構ってくれないじゃん。連絡も返してくれないし。大河の方こそ、浮気してんじゃないの?」

 怒りに任せて飛び出した言葉は、大河の表情を冷めさせた。

「…そんなことしといて責任転嫁か。やっぱ最低だな、お前」

 敵意、軽蔑、失望。大河の向けるその表情は、そんな色合いが混ざり合っていた。呆然としてしまい、気づいた時には大河はもうその場にいなくて。
 あぁ、嫌われてしまった。きっともう、私達はおしまいだ。勢いに任せて言ってしまったとはいえ、後悔が駆け巡る。目頭が熱くなって、思考が上手く働かない。頭の中はめちゃくちゃで、もう、何が何だか分からなかった。

「吉川」

 優しく、柔らかな声で、私の名前が呼ばれた。

「瀬、戸」
「うん。今日はさ、思いっきり食おうぜ。俺が奢ってやるからさ」

 そう言って、瀬戸は私の隣に移動してきた。優しく頭を撫でられて、その体温に縋りたくなってしまった。

 傷ついた私は、空っぽだった。だからきちんと考えられなかったし、気づけなかった。
 私に用事があると大河に伝えるよう根回ししたのが誰なのか。どうしてたまたま入った店に大河がいたのか。どうして最近大河は構ってくれなくなったのか。どうして、瀬戸は今笑っているのか。



End.