「私ね、亮くんと一緒にいるときは、一つ感情を消すんだ」
目の前の彼女はフラペチーノを混ぜながら、口の端から零すようにそう言った。
同じ学部で学籍番号が1つ違いだった彼女と僕はそれなりに仲良くなり、こうして二人きりで話すことは珍しくない。僕から話すことはそれほどなく、彼女もそれほどおしゃべりというわけでもないため、なんとなく一緒にいるというだけ。恐らく、彼女にとっては。
彼女の口から発された"亮くん"というのは僕のことではなく、同じ学部の同級生だ。彼は学部内でも人気者だ。軽音サークルに入っていて、ファンも多いと聞く。当然彼はモテる。女子が彼の話をしているのを何度も見たことがあるし、告白する女子も少なくない。目の前の彼女も、その一人。
「私、亮くんに告白しようと思うんだ」
初めてそう言われた時、特別驚きはしなかった。これまで彼女から恋愛相談はよく聞かされてきた。あくまでも聞かされていただけだ。僕はアドバイスをあげられるような知識も経験も持ち合わせていなかったのだから。
「そっか。頑張って」
「あっさりだな~。まぁ予想できたけど」
そう言う彼女の笑顔は、いつもより少し硬かった。
そして、その日の夕方。"ちょっと会えない?"という彼女からのメッセージが届き、いつものカフェで待ち合わせた。現れた彼女の目は赤かった。それからすぐに、振られたのだと告げられた。
「そっか」
気の利いた言葉は思い浮かばなかった。何を言っても上手く励ませる気がしなかった。
「相変わらずだなぁ」
彼女はそう言って笑った。しかしすぐに彼女の目は潤んで、泣き出してしまった。
「何にも言わなくていいから、ここにいて」
そう言われた僕は、彼女に言われた通りに黙って座っているしかできなかった。
あれから1ヶ月ほど経った。目の前の彼女は、冒頭の台詞を言ったのだった。
「亮くんね、きっと他にもたくさんの人に告白されてて、その一つ一つに丁寧に返してるんだって。私にも、優しく返してくれた。"ごめんね、気持ちは嬉しいんだけど"って」
彼女から語られる言葉を、僕は何も言わずに聞いていた。
「それでね、亮くん、振った相手にもいつも通り接してくれるの。優しさなのかもしれないし、告白されたことを対して気にしてないのかもしれない」
おしゃべりなわけではない彼女の口数がいつもより多い。その代わり、いつも目を合わせて話してくれるのに目線はフラペチーノからこちらに向けられることはない。
「最初はね、なんでこんなに優しくしてくるのって、思った。そんなのこっちからしたら辛いだけなのにって。だけど、だんだんこっちばっかり意識してるのが悔しくなってきてさ。だから、亮くんと話すときは、"好き"っていう感情を消すようにしたの」
なんでもないことのように彼女は話していた。しかし、徐々にその言葉は、途切れ途切れになっていく。
「でも、さ。その時は消せても、亮くんと話し終わって、亮くんが私から離れていくと、出てきちゃうの。無理矢理消そうとした"好き"は、本当に消えてくれるわけじゃなくて、抑え込んであるだけだった」
彼女の声が、揺れた。
「どうせ消えてくれないなら、どこかに投げ捨てられればいいのにね。こんな気持ち、重たくて、ずっと持ってるの、辛い」
顔を見ずとも、泣いているのだと分かった。無意識に自分の手が彼女の涙を拭おうと伸びているのに気づき、慌ててテーブルの下に隠した。
もし彼女が、本当に投げ捨てることができるのならば、その"好き"を、僕が拾い上げられたらいいのにと思った。どれだけ重くても、僕はそれを捨て置いたりしない。丁寧に拾い上げて、ついてしまった傷を綺麗に拭って、柔らかく包み込むだろう。
しかし、そんなことはできないと、彼女の涙を見て思った。
僕の中にも、"好き"があった。
渡せないまま一人で抱えるそれは、重くて痛かった。
僕の"好き"を渡したい君は、他人への"好き"で両手を塞がれていて、僕の"好き"を受け取ることなどできない。
だからといって、彼女の抱える"好き"を僕が受け取ることはできない。
僕は、彼の代わりにはなれないのだ。
テーブルの下で行き場がなく彷徨っていた拳を強く握って、僕は一つ、感情を消した。
End.
目の前の彼女はフラペチーノを混ぜながら、口の端から零すようにそう言った。
同じ学部で学籍番号が1つ違いだった彼女と僕はそれなりに仲良くなり、こうして二人きりで話すことは珍しくない。僕から話すことはそれほどなく、彼女もそれほどおしゃべりというわけでもないため、なんとなく一緒にいるというだけ。恐らく、彼女にとっては。
彼女の口から発された"亮くん"というのは僕のことではなく、同じ学部の同級生だ。彼は学部内でも人気者だ。軽音サークルに入っていて、ファンも多いと聞く。当然彼はモテる。女子が彼の話をしているのを何度も見たことがあるし、告白する女子も少なくない。目の前の彼女も、その一人。
「私、亮くんに告白しようと思うんだ」
初めてそう言われた時、特別驚きはしなかった。これまで彼女から恋愛相談はよく聞かされてきた。あくまでも聞かされていただけだ。僕はアドバイスをあげられるような知識も経験も持ち合わせていなかったのだから。
「そっか。頑張って」
「あっさりだな~。まぁ予想できたけど」
そう言う彼女の笑顔は、いつもより少し硬かった。
そして、その日の夕方。"ちょっと会えない?"という彼女からのメッセージが届き、いつものカフェで待ち合わせた。現れた彼女の目は赤かった。それからすぐに、振られたのだと告げられた。
「そっか」
気の利いた言葉は思い浮かばなかった。何を言っても上手く励ませる気がしなかった。
「相変わらずだなぁ」
彼女はそう言って笑った。しかしすぐに彼女の目は潤んで、泣き出してしまった。
「何にも言わなくていいから、ここにいて」
そう言われた僕は、彼女に言われた通りに黙って座っているしかできなかった。
あれから1ヶ月ほど経った。目の前の彼女は、冒頭の台詞を言ったのだった。
「亮くんね、きっと他にもたくさんの人に告白されてて、その一つ一つに丁寧に返してるんだって。私にも、優しく返してくれた。"ごめんね、気持ちは嬉しいんだけど"って」
彼女から語られる言葉を、僕は何も言わずに聞いていた。
「それでね、亮くん、振った相手にもいつも通り接してくれるの。優しさなのかもしれないし、告白されたことを対して気にしてないのかもしれない」
おしゃべりなわけではない彼女の口数がいつもより多い。その代わり、いつも目を合わせて話してくれるのに目線はフラペチーノからこちらに向けられることはない。
「最初はね、なんでこんなに優しくしてくるのって、思った。そんなのこっちからしたら辛いだけなのにって。だけど、だんだんこっちばっかり意識してるのが悔しくなってきてさ。だから、亮くんと話すときは、"好き"っていう感情を消すようにしたの」
なんでもないことのように彼女は話していた。しかし、徐々にその言葉は、途切れ途切れになっていく。
「でも、さ。その時は消せても、亮くんと話し終わって、亮くんが私から離れていくと、出てきちゃうの。無理矢理消そうとした"好き"は、本当に消えてくれるわけじゃなくて、抑え込んであるだけだった」
彼女の声が、揺れた。
「どうせ消えてくれないなら、どこかに投げ捨てられればいいのにね。こんな気持ち、重たくて、ずっと持ってるの、辛い」
顔を見ずとも、泣いているのだと分かった。無意識に自分の手が彼女の涙を拭おうと伸びているのに気づき、慌ててテーブルの下に隠した。
もし彼女が、本当に投げ捨てることができるのならば、その"好き"を、僕が拾い上げられたらいいのにと思った。どれだけ重くても、僕はそれを捨て置いたりしない。丁寧に拾い上げて、ついてしまった傷を綺麗に拭って、柔らかく包み込むだろう。
しかし、そんなことはできないと、彼女の涙を見て思った。
僕の中にも、"好き"があった。
渡せないまま一人で抱えるそれは、重くて痛かった。
僕の"好き"を渡したい君は、他人への"好き"で両手を塞がれていて、僕の"好き"を受け取ることなどできない。
だからといって、彼女の抱える"好き"を僕が受け取ることはできない。
僕は、彼の代わりにはなれないのだ。
テーブルの下で行き場がなく彷徨っていた拳を強く握って、僕は一つ、感情を消した。
End.