『桃、口開けて』
『えっなに?』
『これは……ー』
ピピピピ、と耳障りなアラーム音が鳴り響く。朝が来た。来てしまった。
ゾンビのように布団の中から這い出て、部屋を出て、顔を洗いに行く。鏡はできるだけ見たくない。自分の顔がどうしようもなく嫌いだからだ。それでも鏡を嫌でも見なければいけない時間がある。それは、メイクをする時間。いくら鏡が見たくなくても、メイクをしないという選択肢はない。こんな顔を人前に晒すことなどできない。これはお洒落などではない。外に出るのに必要不可欠な頑丈な鎧だ。
腫れぼったい目も、低い鼻も、口角の下がった口も。全部全部、嫌い。鏡を割ってしまいたくなる気持ちを抑えて、どうにかメイクを終える。メイクをしても、自分の顔を好きにはなれないけれど、それでもマシになった。そう思わなければ外に出られない。
準備を済ませて家を出る。既に帰りたい気持ちを無理矢理引きずり、大学に向かった。構内に入り、学部棟を目指して歩く。その間にすれ違う女の子たちがキラキラして見える。彼女たちに私はどう思われているんだろう。不細工とか、思われているのかな。それとも、視界にすら入っていないのだろうか。
ぐるぐるとかき混ぜられるような思いと共に、教室に入る。できるだけ目立たないように後ろから入って、一番後ろの端の席に座った。
どうにか一日の授業を終え、逃げるように大学を出た。疲労感に襲われる。周りの笑い声に、泣きそうになった。どうして、私だけこんな思いをしているんだろう。どうして私には劣等感しかないの。どうして私は、あの子たちみたいになれないの。ぐるぐる、ぐるぐる。考え始めると、もう逃げられない。溢れる涙を必死に拭って、どうにか家に辿り着く。家の鍵を鞄から出して、差し込んだ。
「桃」
ふと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「どした」
聞き慣れた声。幼馴染であり彼氏の、呑気な声。
「泣いてんじゃん」
「見ないで」
「なんで泣いてんの」
「見ないでってば!」
思わず大きな声を出してしまった。そんな自分にも嫌気がさす。ただの八つ当たり。何も悪くない陽太にこうやってぶつけてしまうのも何回目だろう。
「なぁ、桃。家、入れて」
顔を覆ったままの私に陽太はそう言って、私の肩を抱く。もう、身を委ねるしかなかった。
薄暗い部屋の中に入る。明かりもつけずに、リビングに座り込む。陽太はそんな私の正面にゆっくりと座った。
「桃、そんなに目擦んなよ」
そう言われても涙は止まらないし、こんな顔は見せられない。
「桃、手、退けて」
「無理」
「もーも」
「無理だって、だって、私、可愛くない。もう、嫌、消えたい」
ただでさえ私は不細工なのに、泣きじゃくっている今は特に、メイクも滲んでボロボロだ。そんな顔を晒すことなんてできない。
メンタルが急降下している今、何を言われたって無理だ。
「桃は可愛いよ」
「そんなわけない」
「彼氏のこと信じろよ」
陽太は笑いながらそう言って、私の手首を優しく掴む。
「ほら、可愛い」
そして、ゆっくりと私の手を下ろした。
可愛いわけない。それなのに、陽太は慈しむような表情で私を見る。
「桃、口開けて」
その言葉は、今までに何度も聞いてきた。それも、小さな頃から。
「桃が、元気になる薬」
そう言って口に放り込まれる、甘くて少し酸っぱいそれ。
小さい頃からそうだった。私が転んだ時も、かけっこで最下位になった時も、いじめられた時も、怒られた時も。私が泣いているとき、彼は駄菓子屋で買ったその薬を処方してくれる。
私にしか効かない処方箋。彼にしか出せない処方箋。
その薬のおかげで、私の涙は徐々に止まっていく。そして、自己嫌悪と劣等感から、少しだけ、ほんの少しだけだけど、解放される。
子供騙しと言われてもいい。薬は、効くと思えば効くのだ。それが、自分を肯定してくれる、信頼できる相手が処方してくれるものならば、尚更に。
End.
『えっなに?』
『これは……ー』
ピピピピ、と耳障りなアラーム音が鳴り響く。朝が来た。来てしまった。
ゾンビのように布団の中から這い出て、部屋を出て、顔を洗いに行く。鏡はできるだけ見たくない。自分の顔がどうしようもなく嫌いだからだ。それでも鏡を嫌でも見なければいけない時間がある。それは、メイクをする時間。いくら鏡が見たくなくても、メイクをしないという選択肢はない。こんな顔を人前に晒すことなどできない。これはお洒落などではない。外に出るのに必要不可欠な頑丈な鎧だ。
腫れぼったい目も、低い鼻も、口角の下がった口も。全部全部、嫌い。鏡を割ってしまいたくなる気持ちを抑えて、どうにかメイクを終える。メイクをしても、自分の顔を好きにはなれないけれど、それでもマシになった。そう思わなければ外に出られない。
準備を済ませて家を出る。既に帰りたい気持ちを無理矢理引きずり、大学に向かった。構内に入り、学部棟を目指して歩く。その間にすれ違う女の子たちがキラキラして見える。彼女たちに私はどう思われているんだろう。不細工とか、思われているのかな。それとも、視界にすら入っていないのだろうか。
ぐるぐるとかき混ぜられるような思いと共に、教室に入る。できるだけ目立たないように後ろから入って、一番後ろの端の席に座った。
どうにか一日の授業を終え、逃げるように大学を出た。疲労感に襲われる。周りの笑い声に、泣きそうになった。どうして、私だけこんな思いをしているんだろう。どうして私には劣等感しかないの。どうして私は、あの子たちみたいになれないの。ぐるぐる、ぐるぐる。考え始めると、もう逃げられない。溢れる涙を必死に拭って、どうにか家に辿り着く。家の鍵を鞄から出して、差し込んだ。
「桃」
ふと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「どした」
聞き慣れた声。幼馴染であり彼氏の、呑気な声。
「泣いてんじゃん」
「見ないで」
「なんで泣いてんの」
「見ないでってば!」
思わず大きな声を出してしまった。そんな自分にも嫌気がさす。ただの八つ当たり。何も悪くない陽太にこうやってぶつけてしまうのも何回目だろう。
「なぁ、桃。家、入れて」
顔を覆ったままの私に陽太はそう言って、私の肩を抱く。もう、身を委ねるしかなかった。
薄暗い部屋の中に入る。明かりもつけずに、リビングに座り込む。陽太はそんな私の正面にゆっくりと座った。
「桃、そんなに目擦んなよ」
そう言われても涙は止まらないし、こんな顔は見せられない。
「桃、手、退けて」
「無理」
「もーも」
「無理だって、だって、私、可愛くない。もう、嫌、消えたい」
ただでさえ私は不細工なのに、泣きじゃくっている今は特に、メイクも滲んでボロボロだ。そんな顔を晒すことなんてできない。
メンタルが急降下している今、何を言われたって無理だ。
「桃は可愛いよ」
「そんなわけない」
「彼氏のこと信じろよ」
陽太は笑いながらそう言って、私の手首を優しく掴む。
「ほら、可愛い」
そして、ゆっくりと私の手を下ろした。
可愛いわけない。それなのに、陽太は慈しむような表情で私を見る。
「桃、口開けて」
その言葉は、今までに何度も聞いてきた。それも、小さな頃から。
「桃が、元気になる薬」
そう言って口に放り込まれる、甘くて少し酸っぱいそれ。
小さい頃からそうだった。私が転んだ時も、かけっこで最下位になった時も、いじめられた時も、怒られた時も。私が泣いているとき、彼は駄菓子屋で買ったその薬を処方してくれる。
私にしか効かない処方箋。彼にしか出せない処方箋。
その薬のおかげで、私の涙は徐々に止まっていく。そして、自己嫌悪と劣等感から、少しだけ、ほんの少しだけだけど、解放される。
子供騙しと言われてもいい。薬は、効くと思えば効くのだ。それが、自分を肯定してくれる、信頼できる相手が処方してくれるものならば、尚更に。
End.