弟が亡くなって数ヶ月。葬儀を終えると、俺は母との連絡を断った。
 いつ死んでもいいと思った。生きる理由がなかった。死ぬ理由だけがあった。それだけだった。

 ネットサーフィンをしていて、引退してから年月が経っても俺に関する投稿を目にする。千明暁がいなくなって何年だとか、今でもずっと聴いてるだとか、心の支えにしてるだとか、救われてるだとか。俺を祭り上げるような言葉もいくつも見つかる。今でもあなたは私の神様だとか、唯一絶対の存在だとか。

 馬鹿馬鹿しいと思った。ただの人間を神だと崇めているのが。弟一人さえ救えないような、いや、弟を殺したような人間を、神だと思っているなんて。

 人間は、何かに縋らなければ生きていけない弱い存在だ。それは、これまでの人生で理解してきた。俺の音楽に、俺という存在に、縋りつかなければ生きていけない人間が存在している。これは自惚れではなく、受け入れざるを得ない事実だった。

 どうせ死ぬならば、知らしめてやろうと思った。お前らが信仰している神とやらが、どれだけ脆く崩れやすい虚像であるかということを。幻想は、幻想でしかない。どれだけ頼りないものに縋りついていることか。

 人々の言う神を復活させ、そして人々の前で死んでやろうと思った。神を信じる者たちに、見せつけてやろうと思った。どうだ、お前らが信じてきた神は、こんなに無様に、そして醜く死んでいくのだと。