そんな日々が続くある日、ココアを淹れている私に、彼は「ひよ」と声をかけてきた。ここ最近では珍しい。仕事の話なのかもしれない。それでも、彼が話しかけてくれたことが少しだけ嬉しい。

「なに」

 自分の口から零れたその2文字は、少しだけ硬かった。

「……しばらく、来なくていいよ」

 彼は、手元に視線を落としたままそう言った。

「え……っと、なんで?」

 まるで何も気づいていない、馬鹿な子のふりをした。しなければよかった。

「……ひよも、来たくないでしょ」

 彼はそう言う。私と目を合わせないまま。
 そんなことない、と言いたかった。私は、アキといたくないなんて思っていない。しかし、彼は「ひよ"も"」と言ったのだ。つまり、彼自身は会いたくないということ。

「……そうだね」

 そう返すしかなかった。わがままで馬鹿な子どものふりは、できなかった。嫌だなんて、駄々をこねるような真似は、できなかった。そんなところだけ、私は聞き分けの良い子どものふりをしてしまった。
 彼はきっと私に近々そう言うつもりだったのだろう。最近レコーディングをすることが多かったのは、しばらくしなくてもいいようにするためだったのだ。
 
「じゃあ、俺行くね」

 ココアを飲み干した彼は立ち上がる。今日、私が来る前から服装が整っていたのは、私をすぐに帰すためだったりしたんだろうか。

「行ってらっしゃい、アキ」
「うん、じゃあね、ひよ」

 バタンと玄関の閉まる音がして、その瞬間、何も考えたくなくなった。どうして、こうなってしまったのか。きっと私が悪かったんだろう。でも、どうすればよかったのか。考えても答えは出ないような気がして、私は考えることを放棄した。