あの夜から1ヶ月ほど経った。相変わらず私は朝と放課後に彼の家に通う生活を続けていた。変わったことといえば、少しだけ、彼に向ける思いを自覚したような、気がする。

「ひよ」
「なに?」
「これ。いつも通り、適当に」

 彼の曲を渡すときの口癖もまた相変わらず。そう言われて私が歌い、投稿された曲も彼の信者を沸かせるのには十分だった。
 もう一つ、変わったことは、彼は今まで以上に家を空けるようになったことだ。朝に彼の家に行ってももぬけの殻であることもあるし、放課後に彼の家に寄っても、雑に破られたメモに『今日は帰れない』と一言残されていることが多くなった。そのメモがある日は彼の部屋を軽く掃除して、時には軽食を作って帰るような生活になっていた。
 彼は仕事のことを多くは語らなかった。必要最低限の連絡はしてくれるものの、彼が何をしているのか、詳しく伝えられることはない。私も彼が話す意思がないならと深く聞くこともなかった。

 彼と会う時間が減り、彼への思いは緩やかに形を変えながら大きくなっていった。

「ね、ひよ」

 私を呼ぶ彼の声。朝だと少し掠れていて、ココアの香りも相まって、甘ったるくて、それだけで、幸せだなんて思わせる。彼といる私はらしくなかった。学校にいる自分とはまるで別人のように思えた。

「ここ、座って」

 会える日は減ったけれど、その分私が彼の家に長居するようになった。そして、以前よりも物理的な距離は近くなった。傍から見ればカップルに見えてしまうんじゃないか、なんて考えては、少しだけ優越感を感じていた。
 決定的な言葉は、何一つなかった。好きだなんて口にしたこともない。それでいいとも思っていた。そんな危ういことはしたくなかったのだ。