しばらく歌を口ずさんでいた。相変わらずサビしか歌えないような、最近聞いた曲を。猫はその間じっとしていて、私に撫でられている。そして私は何気なく、視線を上げた。

「うわっ」

 そこで私は、思わず声を上げた。無理もない。目の前に人がいたのだから。
 目の前の彼は、ただじっと私を見つめていた。何を言うでもなく、ただじっと、純粋さを称えて。

「えっと、何か…?もしかして邪魔とか」

 彼もベンチに座りたいのだろうか、と立ち上がろうとして、彼の声に制止される。

「そのままで。もう一回」
「え?」

 彼の言葉の意図を読み取れないまま、私は彼を見つめる。

「もう一回、歌って」

 真っ直ぐに彼も私を見つめる。

「え…え?」

 戸惑いを隠せない。この公園には私と彼しかいないようではあったけれど、見ず知らずの人の前で二つ返事で歌を披露するような自信を持ち合わせてはいない。

「いいから。お願い」

 お願い、という言葉を使ってはいるものの、その態度に申し訳なさのようなものは一切含まれていない。ただじっと私の目を見ているだけで、表情は変わらない。

 ここで逃げてもよかったのだろうけれど、彼の瞳に見つめられていて、なぜか私は逃げられなかった。
 彼の言うとおりに、先ほど歌ったフレーズを繰り返す。彼は私が歌っている間も、じっと私を見つめているだけだった。
 そして、私が歌い終わって、彼は口を開いた。

「君の声を、俺に買わせて」