あの日通った道をなぞる。途中にある公園をちらりと見ると、あの黒猫がベンチで伸びをしているのが見えた。ベンチに近寄って、傍にしゃがみ込む。

「リンさん」

 私が声をかけると、黒猫は耳をピクピクと動かし、私と目を合わせて「にゃあ」と鳴いた。頭が良いようだ。そして、私が名前を呼ぶことを許してくれたようだった。
 私が立ち上がると、黒猫、もとい、リンさんもベンチから降りた。まるで私のこれからの行動を予測しているかのよう。私が歩き出すと、リンさんも歩き出す。
 いつの間にかリンさんは私より数歩先を歩いている。その後ろを追っているうちに、同じ目的地に到着した。ピンポーンという軽快な音の後に、少し遅れて「はーい」と間延びした気怠そうな声が聞こえた。

「あ、えっと」

 名前を名乗ろうとして、口を噤む。あの日、私は彼に名乗っていない。自分の名前を言ったところで意味がないことに気づき、何も言えなかった。

「あ、分かった。この前の」

 しかし彼は、私が何かを言う前にそう言った。私の声で分かったのだろうか。「ちょっと待ってて」と聞こえてガチャリと鍵の開く音がし、彼が姿を現した。その姿に、少し驚いた。ぼさぼさの寝癖が付いたままの髪、伸びたTシャツ、眠そうな目。あの日よりも、身だしなみは整っていない。一つ欠伸をする彼と彼を見つめる私達を横目に、リンさんは彼の間をすり抜けて入っていった。

「とりあえず入ったら」

 彼はそう言って私に背を向ける。ガシガシと頭を乱暴に掻きながら進んで行く彼の後を、少し遅れてついていった。