運命の人なんていない、絶対に。


「あなたのことは好きじゃないけど、いいわ。付き合ってあげましょう」

 僕を呼び出した少女は、開口一番にそんな突拍子のない台詞を口にした。

 放課後。まだ日が高い時間帯の、空き教室での話だ。

 あと一時間もしないうちに空は夕暮れに染まり、気温も下がってくるだろう。

 校庭から聞こえる部活の喧騒も、廊下を走る生徒の笑い声も、そろそろ落ち着きをみせるはずだ。

 そんな、もう少しで青春のゴールデンタイムを迎える時間帯の中、僕はクラスメイトの小島真咲(こじままさき)と一緒にいた。

 真咲は学内でも指折りの有名人で、その理由は彼女の目立ちすぎる容姿にある。

 色艶の整ったブロンズの髪に、大きく存在感を放つ目。

 姿勢の良さから滲む気品とただならぬオーラ。

 日本人離れした顔立ちによく似合うメリハリの利いたスタイルは、プロのモデルとも遜色ないほどだった。

 彼女の噂の一つに、家族でパリ観光に行った際、現地のスカウトマンに声をかけられたというものがある。

 さすがに冗談の範疇だとは思う。

 だけどその冗談が一瞬でもまかり通ってしまいそうなほど、真咲の美しさは本物だった。

 しかしというべきか、だからというべきか。

 狭いコミュニティーの中で真咲の容姿は、円滑な人間関係を構築する際の障害となり得るものになった。

 有り体に言えば、真咲は浮いていた。

 彼女の分かりやすい美貌に大抵の男子は委縮し、女子は女子で嫉妬や羨望、露骨すぎる男子の態度など入り混じる感情の中で、自らの答えを決めかねているようだった。

 苛められているわけではない。

 極端に避けられているわけでもない。

 だけど明確に、壁は存在している。

 そんな卑屈めいた感情から、周りは真咲を「近寄りがたいもの」として距離を取り、最低限の会話以外では関わらないことによってバランスを取っているようだった。

「えーっと」

 とりあえず真咲に向かって微笑みかける。

 一向に要領を得ないけど、とりあえず何か答えるべきだろう。

「ゴメン。ちょっと意味が分からないんだけど」

「それは、付き合うって具体的に何をすればいいか分からないってこと?」

「そうじゃない……いや、そうだけど。論点はそこじゃない、と思う」

 真咲が首を傾げる。

「なら、私からの告白を受けられないってこと?」

「いや……というか、やっぱりこれは君からの告白と捉えていいんだね?」

「ええ、そう捉えてもらって構わないわよ。でも勘違いしないで。さっきも言ったけど、私はあなたに恋愛感情はない」

 随分な言い方だと思う。

 それに話の脈略も滅茶苦茶だ。僕にどうしろというのだろうか。

「恋愛感情がないのなら、どうして僕に告白したのかな?」

「恋人が欲しいの。恋というものに、興味があるのよ。恋に恋してると言ってもいいわ」

 淡々と、あらかじめ決められた台詞を朗読するような口調だった。

 内容と表情のミスマッチ具合を差し引いても、小島真咲に抱いていたイメージとの乖離がすごい。

 恋に恋してる、だなんて。

 それこそ、一番恋愛に困らなそうな君が言うセリフじゃないだろう。

「つまりそれは、誰でもいいから付き合いたいってこと?」

 ほとんど面識がないとはいえ、僕と真咲は同じクラスだ。

 ならば彼女は、僕が今クラスでどんな扱いを受けているか、ある程度把握しているはずだ。

 腫れ物扱いという点では、僕も真咲も似たようなものだと言っていい。

 そんな中、誰でもいい言いながら僕を恋人にしようとするのはあまりに不自然だ。

「ん……」

 一瞬、真咲の顔がこわばる。

 そこで初めて、真咲は先ほどまでと違う表情を見せた。

「誰でもいい、わけじゃないけど」

「えっ?」

 思わず聞き返す。

 聞き取れなかったわけじゃない。ただ、普段の態度とは似ても似つかないしおらしい反応に驚いて、咄嗟に出てしまったのだ。

 だけど真咲は、すぐに毅然とした態度を取り直して言った。

「誰でもいいわけじゃない。色々考えたうえで、十河(そごう)君相手だと都合がよかっただけ。どうしても無理だというのなら、他を当たるわ」

 ここで僕は、どういう言い方をすればいいかを迷ってしまった。

 押し黙ったまま、時が過ぎていく。ふぅ、と。真咲の小さなため息が聞こえてきた。

「そう。どうしても駄目なのね」

 沈黙を受けて、真咲が喋り出す。その表情に、特別な変化はない。

「わかってくれたなら嬉しいよ」

「それはやっぱり、茂木紗枝(もえぎさえ)のことがあるから?」

 自分の眉が吊り上がるのを感じた。

 何でそれを、と質問する前に。ほとんど反射的に答えていた。

「紗枝は関係ないよ」

 凡そ自分のものとは思えないほど、冷たい声だった。

 茂木紗枝とは、同じ学校に通う僕の友人だ。

 異性の中で、もっとも仲の良い相手と言い切ってもいい。

 人当たりが良く、さっぱりとした性格で話していて気持ちが良い。

 最近は会う時間が減ってきてはいるが、それでもたまに時間を作って食事に行ったり、遊びに行ったりすることだってある。

 先週の土曜日が、まさにそれだった。

「話したいことがある」と呼び出された遊園地で、要件も言わず夕方まで遊びつくして、観覧車に乗ってようやく本題に触れた後、分かれ道まで一緒に帰宅。

 ただそれだけの、平凡な一日になるはずだった。

「…………」

 松葉杖を持つ手に、思わず力が入る。

 ギブスで固定されている左足が、急に痛み出したような感覚だった。

 遊園地からの帰り道、僕らは事故にあった。

 何気ない会話の途中、歩道に暴走トラックが突っ込んできたのだ。

 不幸中の幸いとしてか、僕も紗枝も命に別状はない。

 だけど、僕がその週の水曜日にはすぐ顔を出せる程度の怪我なのに対して、僕をかばった紗枝は全治一か月の入院が決まった。

 本人は「気にしないで」と繰り返し、最後まで笑顔を崩すことはなかったが、本来その怪我は僕がするべきものだったはずだ。

 それだけじゃない。

 本当なら僕たちは、事故に合う必要すらなかったはずなんだ。

 だから、紗枝が入院生活を送っている間、僕だけが浮かれることなんてあってはならない。

 恋人を作るなんて、あまりにも馬鹿げている。

 そしてそれを、紗枝のせいにすることなんて。絶対に、あってはならないはずだ。

 真咲は続ける。

「あの日、彼女と一緒に出掛けていたのでしょう。学校中、噂でもちきりよ」

「知ってる。でもまさか、君にまで届いているとは思わなかった」

「仮にも告白しようとしている相手の情報だもの。それなりに集めるわよ」

 どうやって? とは聞かなかった。

 学校中で噂になっているなら、聞き耳さえ立てれば事の概要くらいは簡単に掴めるだろう。

 事故があったことは、すぐ学校に報告が言ったらしい。

 そのせいで僕は、退院してすぐに腫物のように扱われた。

 これもまた、真咲と同じで無視というわけではない。

 どう声をかけたらいいものか迷った結果として、僕を避けるという結論に行き着いたに過ぎないのだ。

 今日は金曜日。

 事件から約一週間は経つが、未だにその扱いは変わっていない。

 だけど、目の前の彼女は、そんなことは気にしない。

 僕の事情に構いもせず、軽々と土足で踏み込んでくる。

「デートだったの?」

「君には関係ないよ」

「どうして? 一番関係していることだと思うけど」

「何が……って」

 真咲の首が真横に曲がる。

 その、あまりにも無垢な表情を見て僕はようやく気付くことができた。

「あなたと茂木紗枝が付き合っているかどうかは、告白をしている私にとってとても重要で、無視することができない事実だと思うけど」

「そう、か。……うん、まあ、そうだよね」

 頭を掻きながら、我ながら冷静さを欠いていたなと反省する。

 つまり真咲は、僕と紗枝の事故のことなんてちっとも興味がなくて、単純に僕らが休日にデートへ行くような仲なのかを知りたがっているだけらしかった。

 よく考えれば、まだ事故から数日しか経ってないこの状況で告白してくるような相手だ。

 深読みするだけ無駄なのだろう。

 咳払いをして、改めて表情を作ってから彼女と向き合った。

「僕と紗枝には何もないよ。君が勘繰るような間柄じゃない」

「特別な感情はないの?」

「紗枝は特別だよ。大事な友達だし、とても大切な相手だよ」

「なら、好きなの?」

 真咲の目がじっと覗き込んでくる。その目に見つめられていると、僕は何だか試されているような心地がした。

 とはいえ、何もかも本音で答える必要も義理もない。

「友達としては、好きだよ。恋という意味では、あまり考えたことない」

「そういうものなのね」

 相変わらず表情が読み取れない。

 もっとも僕は、そういった人の感情の機微に鋭い方じゃない。

 紗枝なら、あるいは分かるのかもしれないけれど。

「でもそれなら、私と付き合えない理由は何?」

 もう一歩、真咲が踏み込んでくる。

「自分で言うのも変だけど、私は結構良い見た目をしているとのことだわ」

「確かに変だし、どことなく独特な言い回しだね」

 主観的な台詞でありながら、内容自体は妙に客観じみている。

 まるで噂で聞いた自分の姿を、自身のフィルターを通さずそのまま口にしていているみたいな文章だった。

「一部からの評価では、私から告白されて落ちない男はいないとも聞いたわ」

「仮にそうだったとして、よくそんなこと堂々と言えるね」

 そしてそれが、あながち冗談ではなさそうなのが怖い。

「私の言葉じゃないわ。あくまで全部、信頼できる人からの一意見よ」

「まさかそれ、両親なんてオチじゃないね」

「ああ、そういえばお父さんも言ってたわ。真咲は将来女優さんになるって」

「それ、いつの話?」

「幼稚園の頃よ」

 いくら何でも、さすがにそれは時効だと思う。

 だけど意外だ。真咲もこんな、ジョークらしいジョークが言えるのか。

「とにかく僕は、君の告白に応えられない。すぐに付き合うには、僕は君のことを知らなすぎる」

「それもそうね」

 粘ったわりに、真咲はあっさりと引き下がった。

 本当に僕と付き合いたかったというよりは、純粋に自分が断られた理由が知りたかっただけみたいな反応だ。

 会話も終わり、どう切り上げたものかと悩んでいると、不意にチャイムの音が鳴り響いた。

「もう下校時間ね」

 それまでの空気は一転し、人格が切り替わったかのように真咲が帰り支度を始める。

「カバン、持つわよ」

 準備をしようと立ち上がった僕に、真咲がそんなことを言ってきた。

 気を遣ってくれたのだろう。

 ありがたいけれど、カバンの中には最低限の荷物しか入っていないし、わざわざ女子に持たせる程のものでもない。

「いいよ、大丈夫」

「いいから。ほら」

 断った矢先、半ば強引に手からカバンをひったくられた。

 そのまま、教室を出て行ってしまう。

「バス停まででいいかしら」

「あー、うん」

 ドア口でかけられた声に、思わず返事をしてしまった。

 強引な対応だが、何だか妙に心地よかった。もしかしたら、結構気を遣える子なのかもしれない。

「ありがとう」

「気にしないで。勝手にやっていることだから」

 廊下を並んで歩きながら、そんなやり取りを交わした。

 真咲は僕の歩幅に合わせて歩いてくれているようで、同じ速度の歩調が妙にくすぐったく感じる。

「ところで、次は他の子にも告白をするの?」

 聞いた後、しまったと思った。

 いくら「誰でもいい」と言った告白とはいえ、振った身で尋ねていい内容じゃない。

 だが真咲は特に気にしていないらしく、すぐに質問に答えてくれた。

「少し考えるわ。やり方が間違っていたのかもしれないし」

「それは……まあね」

 いきなり「好きじゃないけど付き合って」と言われて、即答できる男子がどれくらいいるだろう。

 真咲ほどの見た目ならあるいは、とも思うけど、僕のように気味悪がる人も少なくないはずだ。

 やり方を考えるというのは、そういう意味でもとても大事なことだ。

「それじゃあ、また明日」

 バス停で荷物を受け取って、僕と真咲は別れた。

 窓側の席に座ると、斜め先に真咲が歩いていくのが見えた。

 通り過ぎる際、ほぼ無意識に彼女の横顔を目で追う。

 相変わらず、綺麗な顔だ。現実離れしていると言ってもいい。

 その彼女が、僕に告白。

 ちょっと特殊なシチュエーションだったとはいえ、本来であれば考えられないことだ。

 真咲はまたいつか、別の男子に告白するのだろうか。

 新しい手を思いついて、別の男子に告白をした時。

 その男子が、彼女の告白を受けたとして。

 僕は二人のことを、どう思うんだろうか。

「…………ふぅ」

 結論が出る前に、ため息が漏れる。何だか今日は妙に疲れた。

 考えたところで、それは意味のない過程でしかない。

 その時に嬉しいのなら喜べばいいし、悲しいのなら悲しめばいい。ただ、それだけの話だ。

 それに、今考えることはもっと別にある。

 目的地のアナウンスが入り、停車ボタンを押す。

 敷地の広い建物に入り、スピードを緩めたところで立ち上がって、小銭の確認をした。

 バスを降りて、建物を見上げる。

 大川総合病院。ここに来るのは、自分が運ばれた時を含めて三回目だった。