「教会です」
ロッテが緊張した様子で口にした。
教会に着くと行きがけに通りかかったとき以上に大勢の人々で溢れ返っていた。
「怪我人です! 怪我人を通しますから道を開けてください!」
冒険者らしき人たちが運び込まれ、辺りは痛みを訴える声と肉親や知人を心配する悲痛な声とが入り混じっていた。
「孤児院の者です! 通してください! シスターや子どもたちが教会の中にいるんです!」
ロッテの声が周囲の喧騒に掻き消された。
「光魔法が使えます! 治療の手伝いをするので通してください!」
人々の視線が俺に集まり眼前に道が拓けた。
効果抜群だな。
「行くぞ!」
ユリアーナとロッテを伴って教会へと飛び込んだ。
教会の中も混乱をしていた。怪我人たちが無造作に横たえられ、教会の神父やシスターたちが悲壮な面持ちで走り回っている。
「重傷者と軽傷者の区別をする余裕もないみたいね」
「妹は光魔法が使えます。治療のお手伝いをさせてください」
治療を申し出る傍ら、ロッテにシスター・アンジェラと子どもたちを探すように指示する。
「見つけたらすぐに知らせろ」
小さくうなずいてロッテが足早に奥へと向かった。
「何があったの?」
ユリアーナが比較的軽傷の冒険者を治療しながら訊ねた。
「オーガの群れだ」
八体のオーガとそれを追いかけるアンデッド・オーガに襲われたのだという。
「ギルドが募った冒険者が足止めしているが数が足りない。戦える者をもっと集めなきゃだめだ」
「騎士団は何をしているんだ?」
「街の外壁を突破されないよう、防備を固めている」
最後の砦ということか。
続いて隣の男からも答えが返ってきた。
「大型兵器を用意していた」
「投石機やバリスタか?」
「運ばれるときに攻撃魔法が使える部隊とすれ違ったから、街への侵入はしばらく防げるはずだ」
投入された戦力がどの程度か判然としないが、安心できる状況じゃないと言うことか。
「八体のオーガは冒険者と騎士団でなんとでもなるだろうが、アンデッド・オーガを倒すには火力が足りねえ」
「攻撃魔法が使える魔術師が必要と言うことか?」
「回復も追い付かねえはずだ」
それはこの状況を見れば想像がつく。できるだけ早めに駆け付けた方が良さそうだな。
俺とユリアーナの目が合った。互いに小さくうなずいたタイミングで、よく通るロッテの声が響く。
「シュラさん、ユリアーナさん、こっちです!」
声のする方を振り向くと、二十代半ばと思われる女性の傍らにしゃがみ込むロッテがいた。俺とユリアーナはロッテの下へと足早に駆け寄った。
横たわるシスターを見たユリアーナが優しい声で言う。
「大丈夫よ、この程度の傷ならすぐに治るわ」
「ありがとうございます。私よりも子どもたちを先にお願いします」
「子どもたちなら心配ないわ」
子どもたちは軽傷なので後回しにされているのだがそのことは適当にごまかして、シスター・アンジェラの治療を開始した。
細かな裂傷が瞬く間に消え、背中にあった大きな傷もみるみる塞がっていく。それに伴って血の気が失せていた顔にも生気が戻る。
「シスター!」
ロッタの喜びの悲鳴と同時に周囲からどよめきが沸き起こる。
やはりユリアーナの光魔法は驚愕に値するようだ。
覚悟はしていたがこれは後が大変そうだ。そう思った瞬間、俺たちの周囲で湧きおこったどよめきを遥かに凌駕する歓声が上がった。
「奇跡だ!」
「助祭様が奇跡を起こされた!」
歓声の中、確かに聞き取れた。
人混みの隙間から見えたのは二十代後半の青年。恐らく彼が赴任してきたばかりの助祭なのだろう。
ユリアーナに集まりかけた注目を攫ってくれたことに内心で感謝しながらユリアーナへと視線を戻す。
「このシスターはもう大丈夫なのか?」
「ええ、問題ないわ」
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
涙で顔をグチャグチャしたロッテが何度も頭をさげた。
「他の重傷者の手当てをするから、ロッテちゃんはこの女性の側を離れないでね」
ロッテにそう告げながら立ち上がり際に俺に耳打ちをした。
「あの助祭、神聖石の恩恵を受けているわ」
「分かるのか?」
ユリアーナがうなずいた。
俺とユリアーナの最大の目的である、この世界に散った百余個の神聖石の回収。その一つが早くも見つかった。
思いもよらぬ幸運に鼓動が早まる。
手が震える。
自分でも緊張しているのが分かった。
いますぐ行動を起こすつもりなのだろうか、とユリアーナを見つめると彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
「穏便に返してもらう算段も考えないとならないし、細かいことは後で話し合いましょう」
「分かった」
神聖教会の助祭だからといって、話し合いをするつもりということはないよな。
乱暴に扉が開かれる音で俺の思考が中断される。視線を巡らせると、そこには傷だらけの冒険者と衛兵がいた。
どうやら新たな怪我人たちが運び込まれてきたようだ。
「怪我人だ!」
「重傷者なんだ! 優先してくれ!」
「冒険者と衛兵に怪我人が続出している! 頼む! 光魔法が使える魔術師を門へ派遣してくれ!」
そんな悲痛な叫びと共に次々と怪我人が運び込まれてくる。
「ユリアーナ、ここは任せていいか?」
「まさかアンデッド・オーガを仕留めに行くつもり?」
「元を断たないとキリがないだろ」
「錬金工房を頼らずに戦えるの?」
作成した魔道具だけでアンデッド・オーガを倒せるかは分からないが、錬金工房を使えば楽に倒せる自信はある。だが、錬金工房の能力を知られるのは避けたい。
特に生きた魔物を百メートル以上離れた位置から収納できることは秘匿する必要がある。
「錬金工房は俺のスキルだ。存分に利用するつもりだ」
「大勢の見ている前で?」
「安心しろ。魔道具による攻撃と併用して錬金工房の能力を悟られないように戦って見せる」
「できるの?」
「問題ない」
実践するのは初めてだが脳内シミュレーションは十分だ。
自身満々に言い切る迫力に気圧されたのか、ユリアーナは何かを言いかけて口をつぐんだ。
「俺だってバカじゃないんだ。自信のないことは口にしない」
「信用しましょう。でも、念のためあたしも同行するわ」
こいつ、信用してないな。
「あたしも行きます。一緒につれて行ってください」
そう口にしたロッテの目に涙はなかった。
「よし! アンデッド・オーガを倒しに行くぞ!」
俺は教会の外へと駆けだした。
◇
門にたどり着くと既にバリケードが築かれ、防壁の内と外とに二重の防衛ラインが構築されていた。
防壁の外は冒険者と思しき臨時戦力を中心に騎士団の下部組織である衛兵たちで、馬防柵のような簡易なバリケードに取り付いたオーガと交戦中だった。
防壁の内側は騎士団が中心で、防壁の上からの攻撃魔法や弓矢での遠距離攻撃による援護に終始している。
「二体だけ、随分と後方にいるが……」
「オーガがオーガを食べてますよ!」
俺の横でロッテが悲鳴を上げた。
黒ずんだ皮膚の不健康そうなオーガが褐色の健康そうなオーガの内臓をむさぼり繰っている。あの不健康そうなオーガがアンデッド・オーガで間違いなさそうだ。
突然、吐き気に襲われた。生きたオーガの腹を割いて内臓をむさぼり食うアンデッド・オーガから、思わず目を逸らしてその場にしゃがみ込む。
オーガの断末魔の咆哮が耳朶を打つ。喉の奥まで戻りかけた胃の内容物が鼻孔を刺激する。
リバースしそうになるのを寸前のところで堪えていると、傍らから平然とした口調の声が聞こえた。
会話の主はロッテとユリアーナ。
「オーガも食べられたくないから必死ですねー」
「アンデッド・オーガが追い付いたら冒険者も食べられるんじゃないかしら?」
「お腹が空いているみたいだし、大きい肉に向かうと思います」
「冒険者たちはそうは思ってないみたいよ」
ユリアーナの視線が食事中のアンデッド・オーガから、強行突破しようとするオーガと交戦中の冒険者へと移った。
「後衛担当の方の視線がアンデッド・オーガに向いてるような気がします」
どうやら俺が一番グロ耐性に欠けるみたいだ。
無理もないか。
召喚前から含めて、生死を賭けた戦いどころか、断末魔の声すら聞いたことがない。
己の平穏だった半生を振り返っていると、顔色を豹変させたユリアーナが突然俺に話しかけた。
「たっくん、見つけたわ!」
見つけた? 何を見つけたんだ……?
「まさか……」
「あのアンデッド・オーガが二つ目の神聖石の持ち主よ」
ユリアーナの射抜くような視線がアンデッド・オーガに向けらる。
傍らのロッテが息を飲んで口をつぐんだ。
「アンデッド・オーガを先に叩く」
「願ってもない選択よ」
俺も同じ選択をしておいて何だが……、神聖石が最優先のユリアーナらしい、清々しいくらいに冒険者たちの損害を鑑みない答えだ。
「錬金工房の能力を悟られないような戦い方をするつもりだが、それでも目撃者からできるだけ離れた場所で戦いたい」
「冒険者たちにはオーガの対応に追われもらいましょう」
言葉を選べよ、女神様。
「ユリアーナは光魔法で怪我を負った冒険者たちの回復を頼む」
「任せて。そう簡単に防衛ラインを崩壊させたりしないわ」
「ロッテはユリアーナの護衛だ」
「はい!」
「アンデッド・オーガは俺が派手に倒す」
「派手に?」
ユリアーナの顔に不安の表情が浮かんだ。
「派手に倒せば俺たちの強さが証明できる。不正騎士や悪代官でも強いヤツにそうそう無茶な要求をしてこないんじゃないのか?」
「やってみる価値はあるわね」
納得するユリアーナの傍らで、ロッテが頬を染めて瞳を潤ませる。
「シュラさん、あたしのために……」
ロッテのためというのもあるが……、頬を染めて身体をくねらせるのはやめようか。
「何も心配するな。すべて俺に任せておけ」
「はい」
今度は自分の両肩を抱きかかえたまま身体をよじりだした。
「お前ら、そこで何をしている!」
騎士の声が響いた。
声の方を振り返ると年配の騎士が歩いてくるところだった。
「光魔法を使える魔術師が不足していると聞いたので駆け付けました」
俺たちが旅の商人であることと、妹であるユリアーナが光魔法の使い手であることを年配の騎士に告げた。
「光魔法が使える魔術師は歓迎だが、子どもを最前線に行かせる訳にはいかない。騎士団の後方で待機していなさい」
騎士団が築いたバリケードのさらに後方にある幕舎を示した。
「教会に運ばれてきた瀕死の冒険者に頼まれたんです。『最前線の怪我人を少しでも救って欲しい』って」
「ありがとう。でも、気持ちだけで十分だ。戦うのは我々大人に任せなさい」
だめだ、人が良すぎる。そして話が通じなさすぎる。
「いま、俺たちがあそこに行けば前線は維持できます」
七体のオーガ相手に次第に押され気味になってきた冒険者たちの防衛ラインを親指で示した。
騎士が言葉に詰まる。
「それに俺たちは冒険者ギルドに派遣されて来た訳じゃありません。純粋に街を守りたいから立ち上がったんです。どこで戦うかは俺たちに選択権があるはずです」
「ギルドの依頼じゃなかったのか……」
適当にカマをかけてみたが、騎士の顔を見る限り正解だったようだ。
もう一押しというきもするが時間が惜しい。さっさと、騎士との問答を切り上げるとしよう。
大人に対して失礼とは思いますが……、ごめんなさい、親切な騎士さん。
口調と態度をダークヒーローモードに切り替える。
「俺は一流の魔術師だ。俺ならアンデッド・オーガを倒せる」
「違いますよ! シュラさんは超一流の魔術師です! いいえ、あたしの中では英雄です!」
何か言おうとした騎士が、口を開いたままで固まった。
「分かっているじゃないかロッテ」
「へへへー」
嬉しそうにするロッテから騎士へと視線を戻す。
「聞いての通りだ。超一流の魔術師である、この神薙修羅がいまからアンデッド・オーガを倒してくる! お前たちは安心してオーガの殲滅に専念しろ」
「あたしたちのことは見なかったことにしてね」
「騎士様、そういうことで、ひとつよろしくお願いします」
何も言わずにたたずむ騎士にそう言い残して、俺たち三人は防壁を越えた。