「信じられないな」
「信じられないわね」
俺とユリアーナの声が重なった。
「本当です、嘘は吐いていません」
「嘘を言っているとは思ってない」
信じられないのはそこじゃない。
「街から逃げだすのに行商人さんの馬車に無断で潜り込んだのは反省しています。信じてください、悪気はなかったんです。他に方法が思いつかなくて……」
隣街まで三日。三日分の食料を抱えて馬車に潜り込む後先を考えない行動力も信じ難いが、信じられないのは、盗賊に襲撃されたにもかかわらず、積荷に隠れたまま眠ってしまう神経の方だ。
泣き崩れる少女を落ち着かせてようやく話を聞きだすことができたのが十数分前のこと。
少女の名はリーゼロッテ・フェルマー。ここから半日の距離にあるラタの街の住民で三日前に十四歳になったばかりだという。
十一歳のときに両親に先立たれて以来、地元の孤児院で暮らしていたそうだ。だが、最近赴任してきた代官に目を付けられ、身の危険を感じて街からの脱出を図ったのだそうだ。
「それでリーゼロッテはこれからどうするつもりなんだ?」
「取り敢えず隣の街に逃げ込んで、落ち着いたらどこかの商家か商業ギルドの職員として働かせてもらおうと思っていました」
十四歳の少女がそんな簡単に職に付けるものなのか、と疑問に思っていると、
「あたし、文字の読み書きと計算ができるんです」
そう言ってリーゼロッテがほほ笑む。
俺と目が合ったユリアーナがリーゼロッテの言葉を肯定するように小さくうなずいた。
なるほど、この国では文字の読み書きと計算ができる人材というのは貴重なのか。一応、考えてはいるようだが……。
「目を付けられた相手は街の代官なんだろ? 隣町に逃げたくらいで何とかなるものなのか?」
「どうでしょう? あたしもお代官様から逃げるのはこれが初めてなのでよく分かりません」
あまり考えていないようだ。
「街の一つや二つ離れたくらいで逃げ切れるとは思えないけどな」
「その代官の執着度合いにもよるでしょうけど、本気で追いかけてくるようなら逃げきれないでしょうね」
「隣町でなく隣国に逃げ込むなら、その代官からも逃げきれるかもしれないな」
街を一つ二つ隔てたくらいで逃げ切れるなら、世の中は犯罪者で溢れ返るだろう。
「そんな!」
計画が根底から覆り、絶望がリーゼロッテを襲ったところにユリアーナが追い打ちをかける。
「そもそも、その代官は本当にあなたを狙っているの?」
それはあんまりじゃないのか?
もし、彼女の勘違いだったら、この逃亡計画そのものが喜劇にしかならない。
リーゼロッテが恥ずかしそうに頬を染め、うつむき加減で話しだす。
「孤児院の帳簿確認を手伝っているときもやたらと身体を触られました」
二歳しか違わない俺ならともかく、大人ならロリコン確定だ。
「お屋敷に来るよう言われたり、無理やり馬車に連れ込まれそうになったりしたのも一度や二度じゃありません」
世界が変わっても権力者のやることは汚い。俺の中の正義感を何かが刺激する。
「それに、昨夜は怪しい男の人たちにさらわれそうになりました」
そう言って涙を流しだした。
決まりだ。悪代官、許すまじ。
「リーゼロッテ、君には三つの選択肢がある。一つは、ここで俺たちと別れて隣国を目指す。もう一つは隣街へと向かう。もう一つは俺たちと一緒にラタの街に戻る」
「お二人と一緒に隣国に向かう、という選択肢はありませんか?」
「あなたねー、慈悲深いあたしでも限界があるわよ」
「ごめんなさい! 希望です、希望を行ってみただけなんです」
「それで、どうするつもり?」
「どうしましょう?」
小首を傾げるリーゼロッテに、ユリアーナがため息交じりに返した。
「聞いてるのはこっちよ」
「ヒッ、ごめんなさい」
「俺たちは三十一人の盗賊を簡単に倒せる力がある。その悪代官がリーゼロッテに迫ってきても俺が守ってやる」
「え?」
驚くリーゼロッテの頬がわずかに赤らんだ。
おや? これは脈ありか?
「このままじゃ他国に逃げない限り、常に悪代官の追手に怯えて暮らさないとならないぞ」
「それは……」
「必ず守る」
彼女の手を取ると、頬の赤みが増した。
もう一押しだな。
「リーゼロッテも故郷を離れたくはないだろ?」
「それはそうです、が……」
「俺を信じてくれ。もし、途中で信じられないと思ったら逃げだしてくれて構わない」
彼女に金貨の入った皮袋を投げる。
「これは?」
「信じられないと思ったときに逃げるための逃亡資金だ」
「信じます! あたし、シュラさんを信じます!」
身を乗りだして俺の手を強く握り返した。
背後から聞こえるユリアーナの『ばっかじゃないの』という言葉は聞かなかったことにしよう。
こうして俺たちの次の目的地が決まった。
次の目的地向かうにしても事前準備は必要だ。錬金工房から出した椅子を二人に勧めテーブルの上に作成し終えたばかりの装飾品を並べる。
「リーゼロッテは魔法が使えるのか?」
「いえ、使えません」
「そんな君に朗報だ。この指輪をはめるだけで、誰でも属性魔法が使えるようになる」
テーブルの上から白金の指輪を手に取り、彼女の指にはめた。
「あたし、お金なんて持ってません!」
「お金は要らない。対価は知識。俺たちの知らない事を色々と教えてく欲しい」
湧きあがった邪な想像を頭の片隅に追いやる。
「え!」
「ちょっと!」
怯えた表情でリーゼロッテが手を引っ込め、ユリアーナが怒りの形相でテーブルを叩くのが同時だった。
「どうした?」
「いたいけな少女に何を要求するつもりだったの?」
立ち上ったユリアーナが、椅子の上で震えているリーゼロッテを抱きかかえた。
「誤解しないでくれ、やましい気持ちもなければ、下心もない。本当だ」
一瞬だけよぎったが口にはだしていないからセーフだ。
「いま、ものすごくいやらしそうな顔をしていたわよ」
「御代官様を思いだしました」
悪徳代官と一緒かよ! 酷い言われようだな。
「誤解だ。その指輪の説明を聞いてリーゼロッテが驚く顔を想像しただけだ」
「本当でしょうね?」
「女神様に誓う」
左手を上げてドラマで見た宣誓のポーズをした。
「いいわ、信用しましょう」
「疑ってしまってごめんなさい! あたし、神経質になっていたみたいです。許してください!」
まだ疑惑を捨てきれていない眼差しのユリアーナとは対照的に、リーゼロッテは心底反省したようで何度も謝罪の言葉を口にした。
「それじゃ、俺の信用が回復したところで話を再開しよう」
リーゼロッテを真正面から見据える。
「その指輪には地・水・火・風、四種類の属性魔法が付与されている」
「四つ魔法が使えるんですか!」
「四つじゃない。四種類の属性魔法が使えるようになる。一般に出回っている魔道具のように固定された魔法が使えるんじゃなく、属性魔法の才能を持って生まれた人のように、訓練次第で幾つもの魔法が使えるようになる」
付与したのは盗賊たちから剥奪した地・水・火・風の属性魔法のスキル。
「えーと、よく分かりません」
この世界に存在しない性能の魔道具なので、すぐには理解できないのも無理はない。
「魔道具は属性魔石を使って、その属性ごとに何か一つの魔法が使えるようになるものだ。だが、この魔道具は特別なものだ」
俺はリーゼロッテに理解できるよう説明を始めた。
「持っていることも秘密にしないといけないような魔道具だと理解してくれ」
「……シュラさんは神器が作れるんですね」
抑揚のない語調だ。それに目の焦点があっていない。いまなら何を言っても疑問の声をあげることなく受け入れてくれそうだ。
ユリアーナに視線を向けると、同意するように小さくうなずいた。
「そんな便利な指輪があと二つある」
一つをユリアーナに指輪を差しだす。
これで属性魔法のスキルがない俺とリーゼロッテは魔道具の力を借りて属性魔法が使えるようになる。ユリアーナは失われた女神の力に頼らずに強力な属性魔法が使えるようになる。
「でも、よく同じ形のものが三つもあったわね」
「形状を変えた。元の持ち主の関係者が現れて、盗賊に奪われた品だなんて騒がれても嫌だからな」
犯罪組織が盗んだ宝石を加工しなおして足がつかないようにするのと同じだ。
「この世界じゃ、盗賊が奪った品の所有権が討伐者に移るのは普通のことよ」
「俺の気分の問題だ」
ユリアーナの『小心者ね』との言葉を聞かなかったことにして話題を変える。
「そんなことよりも、試しみなくていいのか?」
結果。
「予想通りだ」
口では平静を装っているが、内心では今にも歓喜の叫び声を上げそうだ。対してユリアーナは驚愕を隠せずにいる。
リーゼロッテに至っては殻を閉ざしたようにブツブツとなにかつぶやいて自分の世界に入り込んでいた。
「予想通りって……、これを予想していたっていうの?」
錬金工房の主である俺だけが予想できたことなのだろう。
事実、魔道具を使用するまで、ユリアーナでさえ予想していなかったのがその表情と口調から分かる。
指輪に付与した魔法スキルは地・水・火・風の四つの属性魔法のスキル。
属性魔石と違い魔法スキルの付与では、地・水・火・風それぞれの属性で複数の魔法が使用できた。
「この指輪が常識から外れているってことは俺だって想像がつく。だから、指輪とは別にこんな魔道具も作ってみたんだ」
銀製の幅広のブレスレットをリーゼロッテに渡して意見を求めた。
「え? あたしですか?」
「この地域でどう思われるか、意見を聞かせて欲しい」
手にしたブレスレットの説明を始める。
幅広のブレスレットには横に四つ、縦に三つ、合計十二個すべてが異なる形状のシンボルを刻んである。それぞれのシンボルに触れて魔力を流すことで、四つの属性魔法から三つずつの魔法、合計十二個の攻撃や防御の魔法が使える魔道具だと告げた。
盗品の中にも水と火がだせる魔道具があったのだから、それほど非常識な魔道具ではないはずだ。
「えーと……、これに近い魔道具の噂を聞いたことがあります」
「噂?」
「騎士団の団長が先王から頂戴した宝剣で、火球と水刃と岩弾が使えるそうです」
そう言うと幼い子がイヤイヤをするように首を横に振りながら、ブレスレットの魔道具を無言で俺に差し戻す。
宝剣だと?
この程度でもヤバい品物らしい。
「助かるよ、俺もユリアーナも魔道具に疎くってさ」
「本当、助かるわー」
「これからもこの調子で教えてくれると嬉しいな」
「こんなのがまだあるんですか?」
俺とユリアーナとは違った種類の乾いた笑いが彼女の口から漏れた。
さて、次は武器と防具に移ろうと思ったんだが……。
「この際だから、失敗はこの場で全て済ませてしまおう思うがどうだろう?」
「賛成よ」
決まりだ。
俺は素材の許す範囲であれこれと作成することにした。
御者席からリーゼロッテの声が響く。
「シュラさん、ユリアーナさん、ラタの街が見えてきましたー」
「盗賊たちを一旦出すから、馬車を止めてくれ」
「はい」
快活な声とともに馬車の速度が弱まる。停止すると同時に俺は馬車を飛び降りて、後方に檻で出来た馬車を二台出現させた。
リーゼロッテに聞いて作成したこの地域で使われている護送用の馬車だ。大きめの荷馬車の上に鉄格子の檻が設置されており、罪人の護送、奴隷や魔物の移送に使われているそうだ。
檻馬車を牽かせる馬を八頭出現させると駆け寄ってきたリーゼロッテが馬を連れて檻馬車へと向かう。
「檻馬車に繋ぎますね」
「すまないな、リーゼロッテ」
「ロッテでいいですよー」
返ってきた笑顔は年相応の愛らしさが感じられ、少し前まで見せていた怯えは見当たらなかった。
だいぶ慣れたようだ。
手かせと足かせで拘束し、さるぐつわを噛ませた盗賊たちを空っぽの檻馬車二台に分乗して出現させる。途端、盗賊たちの抗議のうめき声で辺りが騒がしくなった。なかにはこちらを威嚇してくる者もいる。
心配になってロッテを見たが、盗賊たちの威嚇など意に介してはいなかった。
「最初はどうなることかと思ったけど、順応力が高い娘で良かったわ」
出発前に魔道具での実戦を経験しておきたかったので、丸一日森の中に入って魔物狩りをした。
『無理です! 魔物となんて戦えません! ゴブリンとの戦闘経験だって数回しかないんですよ!』
と涙ながらに主張するロッテも、ゴブリンとの戦闘経験が一度しかない俺と並んで魔物と戦った。
最初の数戦は戦闘開始を待たずに気絶。
その後も、泣くわ、喚くわの大騒ぎの末、開始間もなく気絶する始末だった。
だが、そこは順応力の高いロッテ。
俺と並んで次々に魔法で魔物をなぎ倒し、最後の方はショートソードでの接近戦も無表情でこなしていた。「あの様子なら悪代官を前にしても、畏縮することはなさそうだ」
「それどころか、悪代官に攻撃魔法をぶっ放さないか心配よ」
そう言ってユリアーナが笑った。
笑い事ではなく、本当にそれができてしまうだけの力がいまの彼女にはある。
彼女の右手薬指に光る白金の指輪。
地・水・火・風、四つの属性魔法のスキルを付与してあるのだが……、スキル付与は同じスキルを重ねて付与することで、少しずつだが強化できることが分かった。
遭遇した魔物が持っていた魔術スキルは全て剥奪し、三人が持つ指輪に重複付与した。魔術師としてどの程度の位置にいるのかは分からないが、ゴブリンの一個小隊くらいなら単独撃破できるはずだ。
もっとヤバいのは魔力とそれに伴う身体強化。
興味本位で収納した魔物から魔力を剥がしてみたら剥ぎ取れた。別の魔物に剥ぎ取った魔力を付与してみたら、ほんの少しだけ魔力があった。
やることは決まった。
あとは片っ端から魔力を剥ぎ取ってロッテに付与して彼女の魔力量を底上げした。すると、底上げされた魔力量に応じて身体強化も底上げされる。
魔物との最終戦、ゴブリンの顎をミドルキック一発で砕いた。
それが自信になったのだろう、盗賊たちを恐れる様子は微塵もない。
「終わりました。出発の用意をしますね」
檻馬車二台に馬を繋ぎ終えたことを知らせると、先頭の馬車へと駆けていった。