「人が近づいてくるわ。人数は七人」
ユリアーナが東へと延びる街道の先に視線を向けた。俺もそちらを見るが、それらしい人影は見えない。
「二キロメートル以上先よ」
人間は魔力があるから魔力感知に引っかかったのか。
「魔力感知で魔物と人間の区別がつくんだな」
「人間と亜人族との区別はつかないけど、魔物か人族かくらいは何となくね」
「結構な速度で近づいてくるから馬に乗っているのかも」
「こっちの世界の人間との初めての接触か」
「こんな時間に馬を駆けさせているってことは何かあったのかしら……?」
声音から警戒しているのが分かる。
「この状況は不味いんじゃないのか?」
旅人が持ち歩きそうにない、椅子とテーブル、ベッドや釜戸を視線で示す。
異空間収納はレアなスキルだと言っていたし、収納量は魔力量に比例するとも言っていた。相手がどんな人間なのか分からない以上、不用意に情報を与えるのは避けた方がいいだろう。
「ひと先ず、ベッドやテーブルは片付けた方がよさそうね」
「OK」
旅人が持ち歩きそうにない椅子とテーブル、ベッドを片付け、イノシシの皮を加工してリュックサックを二つ作成する。
その間にユリアーナが釜戸を片付け、それらしい焚火を用意した。
甚だ軽装だが、二人の旅人の出来上がりである。
程なくして馬蹄の音が響き、騎乗した七人の男たちが姿を現した。
男たちは全員が剣や槍で武装している。
「盗賊ね」
ユリアーナが言い切った。
人を外見で判断するのは反対だが、今回ばかりは彼女に賛成だ。七人の男たちは抜き身の剣を手に俺たちに近付いてくる。
対する俺とユリアーナは丸腰だ。
焚火の明かりで盗賊たちの表情が見て取れる。
下卑た笑いと言うのはあんなのを言うんだろうな。見本のような笑みに嫌悪感を覚える。
「こりゃ大当たりだ」
焚火の炎に照らしだされたユリアーナを見た男たちが、口々に下品な言葉を並べ立てる。
「ちょっと若すぎるが美人じゃねぇか」
「若すぎるのが趣味だっていう貴族や金持ちは大勢いるから大丈夫だ」
「むしろそっちの方が高く売れるってもんだ」
これまで感じたことのない感情が俺を襲う。
自分の連れの女の子に下品な言葉を投げかけられることが、これ程までに不快なことだと初めて知った。
「さっき攫った村娘みたいに、なぶり殺したりするんじゃねえぞ」
「アジトに連れ帰って数日楽しもうとおもったのによー」
「まったくだ。お前はやり過ぎるんだよ」
頭の禿げあがった年配の男が左の頬に傷のある若い男を小突くと、
「勘弁してくださいよ。今度は殺さないようにしますから」
そう言って悪びれるようすもなく笑った。
こいつら、近隣の村から娘を攫ってなぶり殺しにしたのかよ。
沸々と怒りが込み上げてくる。
それはユリアーナも同じだった。
「神罰を下しましょう」
「俺たちに何か用ですか?」
彼女の抑揚のない静かなささやきと、爆発しそうになる感情を抑えた俺の声とが重なった。
「このガキ、大人に対する口の利き方も知らねえみてえだな」
「ちーっと、躾をしてやるか」
男たちの間から下品な笑い声が上がった。
「それじゃ、逃げらんねえように脚を切り落とすか!」
突然、一人が大声を上げると、これ見よがしに剣で焚火の明かりを反射させた。
威嚇のつもりなんだろうな。
視線でユリアーナに合図を催促するのと別の男が声を上げるのが同時だった。
「待てよ、男の方も可愛らしい顔してんじゃねか」
「傷物にするなよ、値が下がるからな」
「どっちも高く売れそうじゃねえか」
男たちが上機嫌で笑う。
「たっくん、大丈夫?」
「問題ない」
七人全員、いつでも錬金工房に収納できることを告げた。
初めて生きた人間を収納することになりそうだが、俺の精神状態は極めて落ち着いている。
むしろ『さっさと視界から消したい』、という感情が急速に膨れ上がっていく。
「たっくん、顔が怖いわよ」
俺は口元を引き締めて彼女にささやく。
「もう十分だろ?」
「まだよ。言質を取ってからね」
文字通り女神様の愛らしい笑みだ。
「あたしたちをどうする気かしら?」
そう言葉を発したときには、たった今、俺に向けられた愛らしい笑みは消えていた。そこにあったのは酷薄な笑み。
「まずは俺たちのお屋敷にご招待だ。そこでたっぷりと楽しんでもらったら街へ連れてってやるよ」
何が待ち受けているのか容易に想像ができるような言葉をわざと選んでいる。
彼女が怯えるのを見て楽しむつもりなのだろう。
「そっから先は貴族や金持ちの商人のところだ」
「もしかしたら外国に連れてってもらえるかもな」
盗賊たちの下品な笑い声が沸き起こる。
大声で笑う盗賊たちにユリアーナが冷笑を浴びせた。
「あなたたちは人さらいね? あたしたちを奴隷商人に売るつもりなんでしょ?」
「良くできました」
「お嬢ちゃんはこっちのガキと違って賢いな」
「たっくん、やっちゃって」
盗賊たちの笑い声が響くかな、ユリアーナのささやきが俺の耳に届いた。
次の瞬間、笑い声もろとも盗賊たちが消える。
「終わったよ」
「ご苦労様」
「こいつらどうする?」
「情報を聞き出したいから、取り敢えず拘束した状態で一人吐き出してくれる?」
「アジトを襲撃するのか?」
自分でも声が弾んでいるのが分かる。
俺は武装解除した盗賊の一人を手枷と足枷をで身動きできない状態にして地面に転がした。
「なんだ? てめえら、何をしやがった!」
「これからあなたに質問をするから正直に答えてね」
ユリアーナが楽しそうに告げた。
「おい、お前らこいつらを痛めつけろ!」
自由にならない手足を必死に動かして大声を張り上げた。
状況が把握できていないようだな。
この男にある最後の記憶は、武装した仲間たちで俺とユリアーナを囲んで笑っていた瞬間なのだから無理もない。
「誰もいないぞ」
地面に転がった男は初めて周囲を見回す。
「皆、あなたを見捨てて逃げていったわよ」
男が顔を蒼ざめさせた。
自分が独り取り残され、拘束されていることをようやく理解したようだ。
盗賊はアジトの場所と戦力をあっさりと白状した。
「所詮、盗賊。命を対価に脅せば、義理も根性も罪の意識すらないから簡単に口を割るわよ」
彼女の言葉通りだった。自分の命惜しさにベラベラとしゃべる。
こちらが聞いてもいない情報まで教えてくれた。
「さあ、盗賊のアジトに乗り込むわよ!」
盗賊のアジトを急襲しようとかけ声をかけたのが十分程前のこと。
俺とユリアーナの口から洩れたのは諦めの言葉だった。
「そろそろやめないか? これ以上時間を無駄にするわけにはいかない」
「そうね、ちょっとハードルが高かったかもね」
荒ぶる二頭の馬を錬金工房に収納した。
聞きだした連中のアジトに馬で駆け付けようとしたのだが……、それが大きな間違いだった。一度も乗馬なんてしたことがないのに何故乗れると思ったのだろう。
他人のせいにするつもりはないが、ユリアーナの軽いノリに惑わされた気がしてならない。
『乗ったことはないけど、見たことはあるんだし、何とかなるでしょ』とはユリアーナ。
結局、なんともならなかった。
「歩くしかなさそうね」
盗賊たちのアジトはここから五キロメートル程先にある洞窟。
「ユリアーナ、提案と言うか相談がある」
「歩くのが嫌だとか言わないでよ。盗賊を掴まえて騎士団に突きだしたら報奨金が貰えるのよ」
先程の尋問で、盗賊団のボスを含めた五人の盗賊たちに賞金がかかっていることを聞きだしていた。さらに盗賊が盗んだ財産は討伐した者に所有権が移ることも確認済みだ。
「先立つものは必要だし、善行を積んで大金を得られるんだから反対するつもりはない」
「じゃあ、歩きましょう」
「盗賊の持っているスキル」
そこで言葉を切ると、案の定ユリアーナが即座に反応した。
「何か面白そうなスキルでもあったの?」
「全員、公用語のスキルを持っていた」
「当たり前じゃない」
「そのスキルを馬に付けられないかな?」
声帯が違うからしゃべることはできなくても、こちらの命令を正しく理解することができるようになるかもしれない。
理解できれば俺たちでも馬に乗れるはずだ。
公用語を理解できなくなった盗賊の末路を想像すると若干の罪悪感を覚えるが、これも因果応報と諦めてもらおう。
振り返ったユリアーナの口元に笑みが浮かぶ。
「盗賊が公用語を理解できるよりも、馬が公用語を理解できる方がずっと価値があるわ」
予想はしていたが迷いがない。
「言いだしておいて何だが、反対しないんだな」
「公用語スキルを失った盗賊には、女神であるあたしから感謝の祈りを贈りましょう」
胸の前で両手を組むと静かに目を閉じる。
「それだけ?」
「過分な同情は禁物よ」
俺は盗賊の公用語語スキルの剥奪を試みることにした。
「そろそろ馬を降りて歩きましょう」
馬を並走させるユリアーナの声が馬蹄に交じって響いた。俺は彼女の言葉にうなずいて馬に語りかける。
「よし、もういいぞ。止まってくれ」
「いい子ねー。他の馬よりもたくさんの飼葉を食べさせてあげるからね」
盗賊から剥ぎ取った公用語スキルを馬に付与することで、乗馬の経験がない俺たちでも容易く馬をあつかえた。
「飼葉は村か街に着いたら買ってやるからな」
「盗賊のアジトに行けば飼葉くらいあるわよねー」
すると小さないななきを上げて二頭の馬が大きくうなずいた。
俺は二頭の馬を錬金工房に収納し、盗賊のアジトがあるという岩場に目を凝らす。
アジトまで一キロメートル余。身体強化で視力を強化しても、月明りの下では有用な情報は得られないか。
諦める俺の隣でユリアーナが言う。
「二十五人いるわ」
「あの盗賊、嘘を吐いたのか?」
尋問した盗賊の情報ではアジトにいる仲間は二十四人だと言っていた。
「頭悪そうだったし、単純に人数を数え間違えただけじゃないの」
そう言いなが彼女は月明りの岩場に目を凝らす。
「何か見えるのか?」
「目視も魔力感知もこれ以上は無理ね」
「近付くしかないか」
岩場が見えてくると盗賊たちがアジトとして使っている洞窟の入り口がすぐに分かった。
「あれがそうだ」
かがり火に照らしだされた洞窟の入り口と二人の見張りを岩の陰から覗き込みながらささやいた。
「洞窟の中に二十二人。外に三人……」
「見張りは二人だけだぞ」
身体強化で視力を強化して周囲を改めて見直すが、洞窟の前に立っている二人以外は見当たらない。
「もう一人はあの辺りね」
そう言って彼女が指さしたのは、入り口の側に放置された三台の馬車だった。
大きく切り裂かれた幌は黒ずんだ染みが広がり、その切れ間からは水が入っていると思しき樽や服などの日常生活を連想させる品が幾つも見える。
瞬時に嫌悪感が湧き上がる。
「隊商か行商人を襲ったばかりのようね」
「問題ない。見張りの二人だけでなく、もう一人も馬車ごと収納できる」
「それじゃ、お願いね。見張りの二人と馬車を収納したら洞窟に侵入するわよ」
彼女の言葉が終わると同時に対象を収納した。
「相変わらず鮮やかなものね」
ユリアーナは一言そう口にすると洞窟の入り口へと向かって歩きだした。
俺も彼女の隣に並んで歩き、盗賊から奪った剣を素材にして作り直した日本刀を抜き放つ。
黒い刀身にかがり火が鈍く反射する。
「やっぱり日本人は日本刀だよな」
「武器は必要ないでしょ?」
「念のためだ」
見た目が格好いいから、とは口にできない。
「だったら武器じゃなくて防具にしなさい。遠距離攻撃と不意打ちさえ防げれば勝てるんだから」
「身体強化と魔力障壁は展開済みだ」
反射神経と運動機能の強化で物理的な攻撃への対処ができること、加えて鋼の鎧程度の防御力で全身を覆っていることを告げた。
「油断は禁物よ。魔法障壁を破壊してダメージを与えられる敵がいるかもしれないでしょ」
もしそんな強大な魔力を感知していれば、とっくに警告しているはずだ。
「そんな恐ろしい魔術師はいないんだろ?」
「魔道具を持っている可能性もあるわよ」
俺たち二人は改めて盾を装備して洞窟へと足を踏み入れる。
洞窟の中を慎重に進む間も、奥からはいかにも盗賊らしい下品な笑い声と嬌声が聞こえていた。
無防備すぎて警戒して進むのががバカバカしく感じる。
「この扉の向こうに二十人が集まっているわ」
頑丈そうな木製の扉。その向こうにある程度の広さの空間が広がっているのだろう。
「扉を開けたら盗賊たちを片っ端から収納する」
扉を蹴り破る算段だったが、扉を押すと容易く開いた。扉のわずかな隙間からなかの様子がうかがえる。
「まだ気付いていないみたいね」
隙間の先にあったのは行商人を襲ったときの話を肴に笑いながら酒を飲んでいる盗賊たちだった。腹の底から怒りが込み上げてくる。
「方針変更だ。一気に収納するつもりだったが、一人ずつ収納して行こう。名付けて『そして誰もいなくなった作戦』だ」
「悪趣味ね」
そう口にしたユリアーナの目には怒りの色が浮かび、口元には冷笑が浮かんでいた。
部屋の隅で酔いつぶれている男たちを収納する。
「先ずは五人」
「気付かないものね」
彼女の言葉を聞き流して次のターゲットに狙いを定める。たったいま収納した男を探して、辺りをキョロキョロと見回している女だ。
そんな女に一人の男が近付く。かなり酔っているようで足元が覚束ない様子だ。
「男を捜しているのか? 俺が相手してやるよ」
「何であんたなんかと! お呼びじゃないんだよ!」
半ば足をもつれさせて倒れ込んできた男を女が軽く突き飛ばす。
その瞬間を待って女を収納する。
「あれ?」
倒れ込んだ男はあたりを見回すと、隣で抱き合っている男女に聞く。
「なあ、ドロシーを知らねえか?」
「知らねぇよ! アランと奥にでもしけ込んだんじゃねえのか?」
「何言ってやがんだ。たったいまここに居ただろ」
酔った男が立ち上がろうとしたタイミングで抱き合っていた男女を収納する。
これで八人目。部屋にはあと十二人。
「消えた! 消えちまった!」
「何を寝ぼけてんだ?」
「そうとう酔っぱらってんな、こいつ」
周りの男たちがからかいだした。
「酔ってないって。いや、酔っているけど、そこまで酔っちゃいねえよ!」
抗弁するが取り合う者はいない。
「うるせえぞ!」
「少し外で頭を冷やしてきたらどうだい?」
「外の見張りと交代してこい!」
「人数が減ってる! 周りを見ろよ、何かおかしいって!」
異変に気付いたのがお前で良かった。