「そして、出来上がり」
俺は鋼の短いナイフを錬成し、それを右手に取り出してみせた。
「それ……」
「錬金工房の能力で作成した。岩から鋼と軟鉄を抽出して刀身を造り、木で造った柄にはなめしたクマの革を巻き付けてある」
「クマの革?」
「錬金工房内でクマを解体した」
「まさか、生きたまま……」
ユリアーナがちょっと引き気味に後退る。
「そんな残酷なことはしないって。窒息死させてから解体したんだよ」
多少の忌避感はあったが、それでも剣や斧で倒すことを考えればずっと少ないはずだ。
続いて錬金工房内のクマの状態を告げる。
「肉と内臓、骨に皮とちゃんと分類もできている」
『驚くばかりだわ』、とのつぶやきに続いて言う。
「異空間収納と錬金術、両方の上位互換を兼ね備えたスキルなのは間違いなさそうね」
「次は収納容量がどれくらいあるか確かめたいんだけど、この辺りの岩や木を適当に取り込めばいいかな?」
「収納力は魔力量に比例するから、この世界の住人がもつ異空間収納なんて足元にも及ばないはずよ」
「世界トップクラスの性能ってことか」
「ええ、恐らくあたしと同程度……。ううん、それ以上の収納力があるはずよ」
そう言って、無駄に岩や木を収納することを止められた。
「桁外れの異空間収納持ちが二人。これで異世界を巡る旅も大分楽になりそうだな」
「戦闘もね」
「俺の錬金工房なら、遠距離からの狙撃や不意討ちさえ対処できれば無敵なんじゃないか?」
「どんな特殊なスキルを所持している相手が敵になるか分からないのよ。あんまり調子に乗らいでね」
ユリアーナが心配そうに諫めた。
「慎重に行動するよ。俺も死にたくないからな」
「身体強化の訓練をする間にクマの血抜きをしようと思っていたけどそれも必要なさそうね」
「血抜き?」
「そうしないと臭くて食べられないでしょ?」
「ちょっと待て。女神なのにクマを食べるのか?」
「女神だってお腹くらい空くわよ。できればクマよりも美味しいものが食べたいけど、贅沢が言える状況じゃないでしょう?」
「随分と人間臭い女神だな」
いや、神様って供物を要求するよな。
やっぱり人間と同じように美味いものを食べたいと思うものかもしれないな。
「神界にいればお腹が空くこともないわよ。そもそも不老不死だからね」
違った。今の状況が特殊なのか。
「もしかして、人間界に降臨した今の状態だと、怪我したり、その、死んだりするのか?」
「そうなるかしら」
どこか困ったような曖昧な微笑みを浮かべた。彼女の表情に俺は言葉を詰まらせる。
「自己犠牲とかじゃないから。その、誰かがやらないとならないでしょ?」
慌てたユリアーナが不意に視線を逸らした。
「……元気出せよ。俺も頑張るからさ」
「ありがとう」
世界を守るために頑張る少女。眼前の健気な少女の味方が自分だけだと思うと、胸が締め付けられるような気がした。
「その、なんだ……俺がここにいる状況には納得できないところもあるけど、ユリアーナがそんな危険を冒してまで頑張ってるんだ。男の俺がいつまでもクダクダ言っていられないかならな」
「たっくんのそういうところ、大好きよ」
不意討ちの笑みに心臓が大きく波打つ。
「お、おう」
ゆっくりと歩きだした彼女の背中を視線で追う。
「それじゃ、そろそろ身体強化の練習をしましょうか」
そう言って不意に振り返った。
「錬金工房が十分に戦力になることは分かったけど、魔物が脅威であることは変わりないわ。自分の身を守るうえでも身体強化は重要よ」
「手を抜くつもりはないから安心してくれ」
当面は二人の能力を活かして戦う。
本格的に武器や防具、アイテムが作成できるようになったら、それぞれの弱点を補うアイテムを作成する。隙が少なくなれば生存確率は上がるはずだ。
そんなことを考えた瞬間、俺の中で何かが閃いた。
「さっき、飛行能力があるとか言ってたろ? なら、俺を抱えて飛べば魔物に遭遇しなくてすむんじゃないのか?」
「空を飛ぶ魔物だっているわよ。それにたっくんを抱えて飛ぶなんて無理よ。今のあたしが持っているのは低レベルの飛行能力だもの」
「でも、上空から街を探すくらいはできるんじゃないのか?」
大まかな方向が分かるだけでも、無闇に森の中を歩き回るより安全で確実だ。
「エッチ」
「何を言っているんだ?」
「あたしを宙に浮かせて、下から覗くつもりなんでしょ」
恥ずかしそうに頬を染めるユリアーナに俺の心臓が再び大きく跳ねた。
「しないって! そんなことする訳ないだろ!」
「ふーん。怪しい……」
ほんのりと頬を染めた彼女が上目遣いで見つめる。
疑惑の眼差しだと分かっていても、心臓がまるで早鐘を打つように高鳴る。
「違うから。やましいことは考えてないからな。俺は純粋にお互いの弱点を補えあればと考えただけだから」
自分でもしどろもどろになっているのが分かる。
「そう言うことにしておいてあげる」
「そう言うこと、ってなんだよ」
なおも抗弁しようとする俺の言葉を遮る。
「この話はここまでよ。少し離れているけど雑魚が集まってきたわ」
「魔物か?」
ユリアーナが神妙な顔でうなずいた。
ユリアーナの視線の先に意識を集中する。
「無理よ。まだ視認できる距離じゃないわ」
「どうして分かったんだ?」
「魔力感知よ。さっきのクマは魔力がなかったから、近付かれるまで分からなかったけど、魔物は魔力があるから分かるの」
魔力専用のセンサーみたいなものか。
「距離は?」
「およそ一キロメートル。敵はまだこちらに気付いていない、と思う」
俺は取り込んだ樹木で全身が隠れる大きさの盾を二つ作成し、一つをユリアーナに差しだす。
「少しはマシだろ」
「ありがとう」
お礼の言葉に続いて彼女が言う。
「隠れてやり過ごすか先制攻撃をかけるかよ」
「先制攻撃を仕掛けよう」
「敵の正体が分からないのに?」
「こちらが敵の正体を確認する手段は視認しかないんだ。もし敵が犬やオオカミみたいに鼻が利く魔物だったり、聴覚が異様に優れた魔物だったりしたら、隠れても発見される可能性が高いんじゃないのか?」
「ええ、それはそうだけど……」
ユリアーナが不安そうに言い淀む。
「だったら見えるところまで近づこう」
「その選択肢は身体強化をそれなりに使えるようになってからにして欲しかったわ」
「百メートルだ。百メートルまで近寄ることができれば、錬金工房に収納することができる」
クマを生きたまま収納できたのだ。それが魔物だとしても生きた状態で収納できるはずだ。
俺の言わんとしていることを理解したのか、ユリアーナが静かに首肯する。
「いいわ、やりましょう」
俺たち二人は、ユリアーナの魔力感知を頼りに風下から敵の側面へと回り込むように近付いて行く。
しばらく進んだところで彼女の動きが止まった。
「ゴブリンよ」
その視線の先を見ると、深緑色の皮膚をした小柄な魔物が周囲を警戒しながら進んでいた。
「数は分かるか?」
「魔力感知に引っ掛かったのは十二匹」
自分自身が敵の位置を把握できていないことに多少の不安はあったが、恐怖で足がすくむこともなければ混乱することもなかった。
普段以上に頭が冴えているのが分かる。
「本当に一人で大丈夫?」
「問題ない」
「弓矢を持っているのが三匹と片手剣を手にしているのが二匹」
彼女の視線の先に目を凝らした。
「その五匹を視認した」
言葉と同時に錬金工房を発動させる。
弓矢を手にした三匹のゴブリンとその両側を歩いていた二匹のゴブリンを瞬時に取り込んだ。
成功したことに俺は胸を撫で下ろす。
「鮮やかなものね」
感嘆の声に続いて、ゴブリンの位置を知らせるささやきが耳に届く。
「左の方に三匹。もうすぐ茂みから出てくる」
的確な指示だ。
すぐに三匹のゴブリンが茂みから姿を現し、そして消える。
突然ゴブリンたちが騒ぎ出した。
「異変に気付いたようね」
「ユリアーナはゴブリンだけでなく、周辺を警戒してくれ」
「言うじゃないの」
そう言って口角を吊り上げると、
「任せてちょうだい」
愛くるしい大きな目でウィンクをした。それとほぼ同時に四匹のゴブリンが姿を現す。
残ったゴブリンたちは周囲を警戒しているというよりも、何が起きたのか分からずに慌てふためいているように見える。
「警戒していても慌てふためいても一緒なんだけどな」
独り言を口にしながら残る四匹のゴブリンを錬金工房へと取り込んだ。
「街道よ、見える?」
耳元でユリアーナの軽やかな声が響いた。
彼女が指さす先、樹々の間から明らかに森や草原とは違う、乾いたむき出しの地面がわずかに見える。あと十数分も歩けば到着する距離だ。
「最初はどうなることかと思ったが、日が暮れる前に森を抜けられるな」
移動を開始する直前、飛行能力で上空から周囲を確認したユリアーナとの会話が蘇る。
地上から百メートル程の高さで、フワフワと浮いているユリアーナが言う。
「町も村も見えないわねー」
「もっと高く飛べないのか!」
地上から声を張り上げた。
「低レベルの飛行能力、って言ったでしょ。これが限界なの」
「山小屋とか街道も見えないのか」
「ちょっと! のぞかない、って約束したでしょ」
「微妙に見えないから安心しろ」
風でスカートが揺れるが膝の上あたりまでしか見えない。想像は掻き立てられるが充分セーフの範囲だ。
「本当でしょうね?」
ゆっくりと降下してきた彼女が疑わしげな眼差しを向けた。
「俺だって、のぞき見で神罰なんか下されたくないからな」
これは本音だ。
彼女は『まあいいわ』、と軽く流すと、
「取り敢えず樹々がまばらになっている南を目指しましょう」
迷いなく言い切ったのが数時間前のこと。
「随分と時間がかかったな」
赤く染まりだした西の空を見る。
「身体強化を使わなかったら、今日中にたどり着けなかったでしょうね」
「終始発動させっぱなしっていうは、精神的にも疲れるんだな」
「精神的な疲労感は魔法障壁を展開しているからよ」
道中、俺は魔力による身体強化と同時に、魔力で身体全体を覆う練習も並行して行っていた。
それが魔法障壁だ。魔法障壁は魔法攻撃と物理攻撃の両方に対してダメージを軽減する効果がある。
一般的には戦闘時に展開するものなのだが、今回は訓練を兼ねて身体強化と一緒に終始発動させて移動していた。
程なく街道に到着した俺たちは路面の様子を確認すると、幾つもの馬蹄と轍の跡がすぐに目に付いた。
「割と新しい轍の跡が幾つもあるから、頻繁に使われている街道みたいだな」
「轍の跡も結構深いし、隊商か行商が最近通ったのかもしれないわね」
そのことから、ユリアーナはそう離れていないところに、ある程度の大きさの街があると推測した。
「今夜はあの辺りで野営しましょう」
街道から百メートル程離れたところにある平地を指さした。
「野営の準備って何をすればいいんだ?」
「先ず火よ」
ユリアーナはそう言うと、昼食でクマの肉を焼くのに作った、石でできた釜戸と薪の残りを異空間収納から取り出した。
そして、石の釜戸に薪をくべながら言う。
「たっくんは寝床を用意して」
「寝床? 街道脇の草でも集めるのか?」
「錬金工房でベッドを作って頂戴。それが終わったら椅子とテーブルをお願いね」
「OK」
道中、狩った鳥やイノシシはもちろん、目に付いた巨木や岩など幾つも収納していた。俺は錬金工房内にあるそれらの素材に意識を集中して作成を始める。
「料理はあたしに任せなさない。夕食は鳥肉よ」
「焼いただけの肉だろ」
昼食がまさにそれだった。料理でも何でもない。何の味付けもせずにクマ肉を焼いただけだ。
「贅沢は敵よ。少なくとも街で塩を手に入れるまでは我慢しなさい」
「街に着いたら料理屋に入らないか?」
この世界の標準的な料理を口にしてみたい、という好奇心が不意に湧きあがった。
「その前に金策ね」
「もしかして無一文なのか?」
「今はお金がないけど、そのベッドを売れば当面の生活費くらいにはなりそうね」
クマの毛皮と大木を素材に錬金工房で作成した二台のベッドを見ながら満足げに言った。
俺としてはベッドよりも食欲をそそる鳥肉の焼ける音と匂いが気になる。
昼食のクマ肉よりは期待できそうだ。
たったいま作成した椅子とテーブルを取り出し、同じように木から削りだした皿とコップ、スプーンとフォークを並べた。
鳥肉を皿に取り分けながら、思いだしたようにユリアーナが口にした。
「途中で食べられそうな野草や果物を採取してくるんだったわ」
「それを言うなら、せめて香草だけでも取ってくるんだった」
素材の味しかしない鳥肉にかぶり付いた。
食事を終えたタイミグで、俺はゴブリンが持っていた碁石程の大きさの石をテーブルに置いた。
「鑑定で『闇属性の魔石』とでた」
正確には錬金工房の能力の一つで、収納したモノを鑑定することができた。利用用途を聞こうとする矢先、彼女が先回りするように答える。
「闇魔法の魔道具が作れるわ」
「例えば?」
「剣に毒の魔法を付与すれば、斬り付けた敵を毒状態にできる」
準備や後始末など多少の面倒はあるが、剣に毒を塗れば十分な気がする。
「毒だけなのか?」
「魔石の質や大きさにもよるけど、この大きさなら毒の他に、麻痺や睡眠も可能かもね」
あまり魅力は感じられないが、錬金工房の実験にはなる。
「昼間収納したゴブリンにスキルを持っている個体が三匹いた。火魔法、頑強、そして狙撃と頑強の二つだ」
「頑強は先天的なスキルね。魔法と狙撃はどちらも後天的なスキルよ」
「ちょっと待ってくれ。魔法は生まれ持った才能やスキルじゃなく、後から習得できるのか?」
「できるわよ。ただし、『魔法の才』がないと習得に時間もかかるし、たとえ習得しても発動効果はたかが知れているわね」
先天的な魔法の才能がなくても魔法は習得できるが才能のある者には遠く及ばない。
「般的に生活魔法と呼ばれている、魔力さえあれば使える魔法がそれね。魔術師と呼ばれる人たちは、何らかの魔法の才を持って生まれた人たちよ」
戦うのに不十分でも魔法が使えると言うだけで十分に魅力的だ。
あとで魔法を教えてもらおう。
「そこで発達したのが魔道具よ。魔力さえあれば何の訓練なしで属性魔法が使えるわ。しかも、強力な魔道具ならスキル所持者とそん色ない魔法を使うことも可能よ。ただし、強力な魔道具は簡単には作れないから希少で高額だけどね」
強力な魔道具を自作すれば解決するわけだ。
湧きあがる高揚感を抑えて話題を戻す。
「ゴブリンが持っていたスキルを錬金工房のスキルで剥ぎ取ることができた」
「え……?」
「剥ぎ取ったスキルは素材として保管できる」
「なに言ってんの? そんなことできる訳ないでしょ……」
生きた魔物からスキルを奪って他のアイテムや生物に付与しなおす。
薄々予想していたが、普通ではないらしい。
「他のゴブリンに付与しなおすこともできた」
「もしそれが本当だとしたら、とんでもない能力ね。怪物を作りだすことが出来てしまうわ」
ユリアーナの表情が強ばる。
彼女が何を心配しているのか直感的に分かった。力を求めて力におぼれる、心の弱い者の未来。
「怪物を作ることは出来るかもしれないけど、俺自身が怪物になることは出来ないんだ。付与できるのは錬金工房の中だけで、俺自身は錬金工房の中に入れないからな」
『残念』と少しおどけて微笑む。
「本当残念ね。最強の助手を手に入れ損ねたわ」
彼女が胸を撫で下ろした。