「世界の危機を救う?」
俺が考え込んでいると、「そんな深刻な顔をしないで」とユリアーナが先を続ける。
「世界が消滅するようなことないけど、パワーバランスが崩れて各地で人の手にあまる事件がこれから発生するの」
「これから発生する? 女神様だから先のことが分かるのか?」
先回りして解決するのだろうか?
彼女は俺の質問を『まあ、そんなところね』、と軽く流して先を続ける。
「召喚者であるたっくんには特別なスキルが備わっているはずよ」
強大な魔力に特別なスキル、か。なんて魅惑的な響きだ。自然と口元が綻ぶ。そんな俺の様子を見たユリアーナが文字通り女神のような笑みを浮かべた。
「少しはやる気になったようね、嬉しいわ」
「頼まれたら断れない性格なんだよ」
「理由はどうあれ、やる気のある助手は大歓迎よ」
こんな美少女と一緒に魔物を撃破して悪を懲らしめる旅をするのか。
いいねー。女神様を背に庇って悪を懲らしめる自分の姿に胸が躍る。
俺の中にある天秤の傾きが更に大きくなる。
「それと『女神様』はやめて。一緒に世界を巡るのよ。それなのに同行する男の子に『女神様』、なんて呼ばれたら周りの人が不審に思うでしょ」
確かにその通りだ。同行する少女を『女神様』なんて呼んでいたら、いろんな意味で不審に思われそうだ。
「OK。これからはユリアーナと呼ばせてもらうよ」
「よろしくね、たっくん」
他の協力者と上手くやれるか不安に思いながら聞く。
「それで、他の助手は?」
「それがさー、最後の力を使って召喚したから、追加で誰かを召喚するって無理なのよねー」
「ちょっと待て。最後の力だって? それじゃ二人きりで世界を救うつもりなのか?」
「そうなるわね」
俺の中で何かが弾けた。
「無理だ! 絶対に無理だ! 俺を元の世界に帰せ! いますぐ帰せ!」
「いますぐ戻すなんて、それこそ無理よ」
「俺の輝かしくなるはずの高校生活を返せ! 未来の彼女とリア充生活を返せ!」
「空想の産物でしょ?」
いま、鼻で笑ったな。
なおも俺が抗議をしようとすると、突然その手に炎を出現させる。
「魔法、使いたくない?」
使いたくないと言えば嘘になる。
だが……。
「命が惜しい」
「冷静になって考えて。元の世界に戻るにはあたしが力を取り戻すしか方法はないの。そして、力を取り戻す方法はたった一つ。この世界に散った神聖石を回収すること」
「二人きりで何ができるんだ?」
現実を見つめようぜ。力を失った女神と高校生のコンビだ。
「言ったでしょ。召喚された者は特別なスキルを手に入れられるって」
「この世界で戦い抜けるだけの力が俺の中に備わっているとでも言うのか?」
「あたしが選んだ助手よ。自信をもってちょうだ」
マジか! 口車に乗せられている気もするが……、チート能力があるなら美少女と二人きりというのも悪くはない。
思案する俺の耳に女神様の魅惑的な声が響く。
「ミッションコンプリートのあかつきには、元の世界に戻るときに魔法を使えるようにしてあげるなり、この世界で面白おかしく生きるなり、好きな方を選ばせてあげるわよ」
文明社会に戻ってイジメた連中に仕返しをする未来も捨てがたいが、中世ヨーロッパの領主のように贅沢三昧は得難い魅力があるな。
俺の中で天秤が振り切った。
「なるほど、この世界が正常に近づくにしたがって女神様の力も復活すると言うわけだ」
「理解が早くて助かるわー。それと、女神様じゃなくて『ユリアーナ』ね」
愛らしい笑顔でウィンクをした。
心臓の鼓動が途端に早まる。
俺は鼓動が早鐘のように打っているのを気付かれないよう、平静を装って一つの疑問を口にする。
「それで、何で俺が選ばれたんだ?」
「別にたっくんを選んだわけじゃないのよ。慌てて召喚したら、それがたっくんだった、ってだけ」
「何てこった……」
勇者として召喚されなかったまでも『女神様に助手として選ばれた』、と自分のことを少し誇らしく思ったことが恥ずかしい。
『自分の中に特別な力があるから選ばれたのでは?』、と胸を高鳴らせていた自分を殴ってやりたい。
俺はあまりの恥ずかしさと情けなさから、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
ユリアーナが無神経に俺の顔をのぞき込む。
「何でもない、何でもないから、そっとしておいてくれ」
「涙拭く?」
眼の前に黒いレースのハンカチが差しだされた。
「要らない。ちょっと目にゴミが入っただけだから大丈夫だ」
「そう?」
「ところで、最後の力ってことは、ユリアーナにはもう力が残っていないってことなのか?」
「いまのところ、よ。そのうち凄い力が復活するんだから」
「つまり、戦えるのは俺だけってことか。それで俺はどんな力を持っているんだ?」
俺は期待に胸を膨らませて聞いた。潜在的な凄い力はなくても、召喚者特典でチート能力を貰えるだけでも良しとしよう。
「こっちが知りたいわ」
「は?」
今の一言はなんだ?
放心しかけた俺に気付かないのか、彼女が説明を続けた。
「世界を渡るときに何かしらの特別な能力を一つ手に入れたはずよ」
召喚された人間や動物、魔物が異世界へと転移する際に何らかの特別なスキルを手に入れるそうだ。
もちろん、例外はある。過去の例だが、何のスキルも手に入れられない不幸な召喚者もいたそうだ。
説明するユリアーナも『例外』の部分に触れるときは顔色が悪くなっていた。
「どんな能力なのかは本人にしか分からないのよ」
「特別なスキルか。どうやって調べればいい?」
「自分の中に力を感じるはずなんだけど? 取り敢えず目を閉じて意識を集中してみて」
俺は言われる通りに目を閉じて心を落ち着ける。すると、直ぐに身体の奥底で今まで感じたことのない何かが感じられた。
「これか!」
「あったのね、スキル! どんなスキル?」
期待に目を輝かせる彼女に俺は頭に浮かんだ単語をそのまま告げる。
「錬金工房だって」
「生産系かー」
途端、今度は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「随分な落ち込み様だな」
釈然としない気持ちを抑えきれず、それが口調に現れてしまった。だが、ユリアーナはそんな俺の口調など気付かずに頭を抱える。
「ここは危険な世界だから、攻撃系のスキルが欲しかったわー」
「その危険な世界を生産系のスキルしかない俺と、俺以上に能無しの女神様とでどうやって生きていくんだ」
「目的が変わってる! 神聖石を集めるの! 世界を救うのよ! それにあたしは役立たずじゃないわよ。女神の力を失ったとは言っても、治癒系の光魔法と地、水、火、風の四属性の魔法を全部使えるんだからね」
誇らしげに胸を張りユリアーナが『それだけじゃないのよ』、とさらに続ける。
「魔力感知と異空間収納に簡単な飛行能力もあるのよ」
戦闘はユリアーナに任せて俺は生産に精をだすか。戦う女神様の傍らで生産に従事してスローライフ。
それも悪くないかもなー。
「俺は日用品でも作ることにするから、戦闘は任せるよ」
「安心しなさい。たっくんも前衛で十分に戦えるから。属性魔法の才能がなくても魔道具の助けを借りて強力な魔法を使えるわ。つまり、錬金術で魔道具を自作して戦えばいいのよ」
「錬金術じゃなくって錬金工房な」
スキルの正式な名称を告げた。
「それよ。あたしも長いこと女神をやっているけど、錬金工房なんて初めて聞くスキルよ」
「俺だけの固有スキルか」
未知のスキルであることに若干の優越感を覚えた瞬間、ユリアーナが冷水を浴びせる。
「誰かに使い方を教えてもらうこともできないから自力で何とかするしかないわね」
「頼むから俺の前途に不安の影を落とさないでくれ」
「落ち込みたいのはこっちよ」
ユリアーナが憂わしげな表情を浮かべた。悩みは俺と同じ、多難そうな前途のようだ。
「でも、普通は誰かに教えてもらうまでもなく、自分のスキルなら直感である程度分かるはずなのよねー」
「やめてくれ。心が折れそうだ」
「先ずは魔道具ね。試行錯誤して何とか魔道具を作れるようになりましょう」
立ち直ったユリアーナが当面の目標を打ち出した。俺に自作の魔道具を装備させた戦わせようという計画だ。
「根本的に無理がある。俺は運動神経があまりよろしくないんだ」
「運動音痴なんて気にしなくても大丈夫」
オブラートに包んだのに、俺のブライドを一言で打ち砕いてくれたな。
言葉に詰まっている俺を置き去りにしてユリアーナが続ける。
「魔力による身体強化が可能よ。たっくんの魔力は容量も出力もこの世界の住人とは比べものにならないくらい大きいの。魔法による身体強化で上位の戦闘職以上の肉体能力は簡単に得られるわ」
「つまり、俺は十分に強いってことか?」
俺の中で一度は失われた意欲が再び頭をもたげた。そのタイミングでユリアーナがさらに持ち上げる。
「そうよ、たっくんは強いわよー。悪人どころか魔物だって簡単に倒せるくらいなんだから」
可愛らしい笑顔。あの笑顔に騙されたんだよなー。
当面どうするのか聴こうとする矢先、俺は視界の端に動く影を捉えた。
影に視線を向けると巨大な黒毛の猛獣と目が合う。
「魔物?」
「魔物じゃないわ。普通に猛獣よ」
後退りながら『たっくん、頑張って』、とささやくような声援。
「いやいや、無理だろ。動物園でも見たヒグマの三倍はあるぞ、あれ。だいたい武器の一つもないのにどうやって戦うんだよ」
「錬金工房で武器は作れないの?」
「無理だ。使い方が分からない」
「魔力で身体強化を図りましょう。武器はその辺の岩で大丈夫なんじゃないかしら? あ、怪我しても光魔法で治してあげるから安心して」
明るく振舞っているが声が切迫している。
これはかなりヤバい状況だ。
「属性魔法が使えるって言ったよな? 魔法でチャチャっと片付けられないのか?」
「それこそ無理よ。力がほとんど失われているんだから、属性魔法なんて申し訳程度のことしかできないわ」
「それじゃ怪我したって直せないんじゃないのか?」
「それは大丈夫。光魔法だけは健在よ」
どこまで信じていいのか怪しいな。だが、いまはそんなことを気にしている場合じゃない。
突如、猛獣が駆けだした。
速い! 距離が一気に詰まる。まずい! 百メートルを切った!
「魔力による身体強化ってどうやるんだ? 身体強化の方法を教えてくれ!」
俺の言葉が終わらないうちに、彼女の左手が俺の背中に触れた。
刹那、身体中に何かが流れ込んでくる。
「分かる? いま、強制的に魔力を身体中に循環させて身体強化を図ったわ」
猛獣が咆哮を上げた。
鼓動が早まる。
全身から汗が噴きだしたような錯覚を覚える。
巨体が眼前に迫った。
五十メートル。
間に合わない! そう思った瞬間、身体強化とは別の力を感じる。その力に意識を集中すると自分が持つ力を一瞬で理解した。
「これが、俺の力……」
高揚感が湧き上がる。自然と口元が綻ぶのが分かった。
「……錬金工房」
「たっくん? ちょっと、大丈夫なの!」
迫る巨体と凶悪な眼光に女神が悲鳴にも似た声を上げた。
「安心しろ。ただの猛獣なんて俺の敵じゃない」
恐怖心と高揚感がない交ぜとなって襲ってくる。
「来るわよ!」
巨体に似合わぬスピード。
瞬く間に距離が詰まる。眼前に迫った猛獣が咆哮を上げて後ろ足で立ち上がった。
「問題ない」
自分のものとは思えない程落ち着いた声が静かに響いた。
凶悪な前足が俺へと向かって振り下ろされるタイミングで錬金工房を発動させる。
「消えた!」
俺たちの眼前から脅威が消えた。
驚きの声を上げたままその場で硬直するユリアーナに声をかける。
「さ、片付いたぞ」
「何を、したの……?」
疑問と狼狽がない交ぜとなった表情がうかがえる。
「錬金工房の中にクマみたいなヤツを収納した。さっきユリアーナが口にした異空間収納も同じような機能なんじゃないのか?」
錬金工房の能力を理解した瞬間、ゲームによくある『アイテムボックス』や『ストレージ』と呼ばれる機能を連想していた。
更に意識を集中することでそれ以上の機能があることも瞬時に分かった。
「異空間収納は生きたまま収納することはできないけどね」
「生きたまま収納できるのは珍しいのか?」
「あたしが知る限り、たっくんの錬金工房以外にないわ」
生きたまま収納できるというだけでも驚愕に値するようだな。
俺だけが使える能力。
俺だけの力。
額に汗を浮かべたユリアーナが続ける。
「錬金工房のスキルで何ができるのか、実験してみる必要がありそうね」
「賛成だ。色々と試してみたいこともあるしな」
錬金工房の持つ他の能力に思いを馳せながら俺はそう口にした。