突き放されても、離れていっても、触れさせてくれなくても、彼はやっぱりどこかでわたしに優しかったことを、理解していた。


恋になれなくても、それを願ってしまう。それでもいいって思ってしまう。

そんな未来でもよかったけど、その未来じゃないほうを選んだ。


「あえてそっちに行って伸ばそうかとも思ったんですけど、それなら得意な理数をやろうって思って、選びました」


将来、ピアノ教室をひらきたいなあとか。

将来、ピアノが鳴るカフェを経営してみたいなあとか。

だから、お金の仕組みも学びたくて、晴臣先輩がいない場所を選んだ。


「うん。それが槙野らしいよ」

「わたしは、晴臣先輩を追いかける自分のほうがずっと、自分らしいって思う…」


そして、あの頃の自分は少しだけうらやましい。
だけど、違うほうを選んだから今がある。


「自分に正直なところが槙野らしいってこと」


正直の中から、少しずつ、彼が消えていく感覚。

それを覚えている。淋しかった。かなしかった。できることならずっと想って、抱えて、絡めて、彼のことで悩んでいたかった。

でもそんな自分は嫌だった。

きっと晴臣先輩もそんなわたしは嫌じゃないかと思った。


「…ありがとうございます。待っててくれたなんて、うれしかったです」


あの、掴めないまますり抜けていくこの人が。


「こっちも、迷ってくれてありがとう」


卒業式の日に言われたその言葉の記憶が、どんどん重なっていく。切ない響きになっていく。