自分は別に特別な個体なわけじゃない。
翼種に匹敵する力があるわけでも、他種族に悪感情があるわけでも、人類種になりたいわけでもない、何の変哲もないごく普通の精霊個体。
精霊が他種族を愛しているのは当然で、サイカもその一人だったにすぎない。多少の愛着はあったけれどそれが特別なものなんて言う自覚をもつことはついぞなかった。
ただ、どうしても眠りにつく前の彼女を安心させてあげたくて、本当にただただそれだけだった。
『……ねえ、サイカ。ボクは、まだまだずうっと、長生きするヨ。そういうものだかラ。ボクに、なにかしてほしいことはあル? なんでも、本当になんでも、ボクが叶えてあげるヨ』
当時の自分は人型だったけど、それはあくまで見てくれの話。壁も崖もあってないようなもの。それでもその姿を貫いたのは、やっぱり特別な気持ちがあったからなのだろうか。
自分が涙を流せることさえ、その時まで知らなかったのに。
『二人のことを、守ってあげてほしい、の……』
こんなときまで誰かの心配なんかしなくていいのに。
もっとわがままを言えばいいのに。死にたくないって一言そういえば自分がそれを叶えてあげられるのに。
サイカはそれを知っていて、望まない。その利己的な負担が精霊の負担になることを知っているし、自分の死を捻じ曲げようと思っていないから。
『あのね、シイ』
『ン?』
『ひとつだけ、ひとつだけ、とってもわがままなことを言ってもいい?』
シンが一人じゃなくなるまで、あの子を守ってあげてほしいの。
それはさっきの、アマルティアの心を守れなかったとき、あるいはアマルティアが死んだときのための予防線だった。
『アマルティアが、禁号魔法の研究をしてるのは知ってるの。きっと魂割転用を使う気なのね。だから、それをね、利用するようであの人には悪いけど、そのエネルギーと私の体を触媒にしたら真第九・区域結界を展開できるでしょ?』
『理屈ではまあ、可能かもしれないけド、賭けみたいなやり方にはなるヨ』
『いいの、わかってる。……あの子を、閉じ込めることになるけれど、独りぼっちにしてしまうけれど、これは、私のエゴなんだけど、死んでほしくないの。ぜったい、ぜったいに、あの子に死んでほしくないよぉぉぉ』
絞り出すような声で、ひどいエゴイズムであると自覚しながら、彼女が一番願っているのはシンのすべてだった。
『精霊なら第九に出入りができるでしょ? だからね、私の体を使って内側から第九を展開させるの。シイの魔力の残滓だけでもできるでしょ?』
『シンはいつか、外に出たいと思うんじゃないかナ。そんなことしても、意味ないとおもうけド』
『わかってる。わかってるけど、そうね、いつか第九をこじ開けてでもシンを外に連れ出してくれるような、そんな人が、現れたらその時は』
サイカのエゴのためにシンの時間を刈り取った。
シンに生きていてほしいと自分も強く願ってしまった。
あの子を生かしておくために、強固な檻を支えられるなら、そしてそれが愛しい彼女の最期の頼みだというのなら
『……約束すル。ボクがいつか、この世界に還るその日までハ、必ズ』
もっと確実に魔法を成功させる方法を考えよう。それとなくアマルティアに進言して、カラミタたちを巻き込んでしまおう。魂割転用で魂を三分割する方法を考えよう。それがたとえどんなに非道で、どんな結末を迎えようとも。
そうしていろんなものをうまく隠して、それがサイカの願いで、精霊の仕業だと気づかれないようにしよう。
記憶を書き換えよう。幸せな記憶があったほうがつらいに決まってる。最初からなにもかも絶望的だったとあきらめさせたほうが、いっそシンのためになるかもしれない。
そんな、二人の身勝手で、傲慢で、深い愛をこじらせた切なる願い。
『……シイ、だいすき、だよ。シイだけが、わたしの……理解者で、共犯者で、最愛』
『ボクもきみのことをとてもとても、愛していたヨ』
五年が過ぎた。
シンの生まれてきたその日、シイは一つの命の終わる音を聞いた。
その音は、極北の罪人の新たな誕生の日でもあったのだ。