極北の罪人はかく語りき

この島国には四方にそれぞれの領域ナワバリがある。

南の平原に広がる人間の街・ロンディウム。
東にあるドラゴンたちの住処、切り立った岩ばかりのガレリア渓谷。
西に広がる魔女や魔法使いのみ立ち入ることを許されたフリウェルの森。
そして北側を覆いつくす雪と氷を生み出す秘境、グラシエル山脈。

すぐ隣にある大陸は陸地が目視できる程度の距離で、船や飛空艇でも日帰りで移動できる近さにある。

とはいえ、国内外の人間が足を踏み入れられるのはあくまで南側のロンディウムの街だけ。国民であっても基本的に足を踏み入れることが許されないのが東西と北にある「他者」の領域である。

この国は王侯貴族を中心に、成金が政治の核に居座っている。

庶民の暮らしはスラムが無い程度には悪くないが全員が毎日満足に食事をとれるほど良くもない。

結局、金は金のある所にしか回っていないのが現状で、愛国心とか戦争とか言われたら国力としてはそんなに強い国ではない……のだがそれでもこの国が平和で、外から攻撃されないのは東西の竜と魔法使いたちの存在があるからだ。

創世記から語られるこの国の魔法使いと竜は歴史の中で何度も侵略者たちの大量虐殺を行っている。それは本当にこの国が領土侵犯された側だったのかと疑いたくなるほどの圧倒的な力で。

竜も魔法使いもここ数百年、まともに姿すら見ていないが国民であればなんとなくわかる。

ダイヤのスートにバッテンを書き込んだように四方に区切られている〈領域〉だが、境界線を越え、東西の敷地内で好き勝手しているとあまりよくないことが起こる。

流行り病であったり、何人もが事故というにはあまりに連続的な大けがをしたり、大嵐になったり、原因不明で作物が枯れたり……偶然にしてはできすぎたそれらを国民は竜と魔女の警告なのだと考えている。なんせ、近づかなければ驚くほど何も起きない。

少し近づくくらいであれば、たとえば境界より西側からすこぅし薬草を取ったり、東側で水を汲んでも別になにも起きないのだ。

竜と魔法使いに「ふざけた真似をしている」と判断されると危ないというだけで。まあそれも憶測の域を出ないので結局領域に踏み込まないというのが一番安全なのだ。


「ねぇ、もう帰ろうよぉ、いやだよぉ、すでに寒いじゃん」

「行く前から弱音を吐くな! グラシエルのどこかに『語り部』がいるんだ」

「それもおとぎ話みたいなもんですけどね……ほんとなんでしょうね、ジオルグ?」

では北には、なにがいるのか(・・・・・・・)

ロンディウムから真北へずうっと進んでいくと、鉄線や川でなんとなく見分けのつく程度の東西と違って、人為的な石の壁と重い鉄の門により境界を閉ざされた永久凍土の山がある。白の限界を超えて真っ青に凍ったその壁の向こうのことを記した記録は一切無く、本当のところは誰も知らない。

ただ永く永く語り継がれてきたそのおとぎ話によると、国土の二十五パーセントをも占めるその極寒の地にはどうやら「竜と魔法使いのダブル」がいるらしいのだ。

子供の頃から寝物語として聞かされるのはこんな話だった。


―――むかぁし、むかし。まだ人間がこの土地に足を踏み入れて間もないほど昔のこと。
大きく二分された領地には竜と魔法使いたちが住んでいました。
遠い昔、竜と魔法使いは親しい種族でした。住んでいるところはそれぞれありましたが、交流を持ち、助け合い、時には二つの種族が結婚することもありました。
竜の魔力を得て、より強くなる魔法使い。魔法使いの知恵を得てより賢くなる竜。ところがあるとき諍いが起きました。
小競り合いは徐々に大きくなりいつのまにか戦争へと姿を変え、領土が分割され、竜と魔法使いは交流を絶ってしまいました……。
その最中、愛し合ってしまった竜と魔法使いがありました。その二人の子は罪の子であるとして今も最北にひとり、その身を凍らせているのだといいます。―――


竜と魔法使いの結婚自体は微細ながらも文献が残っており、それ自体が事実であることはほぼ間違いない。だから今いる人間たちの中にもその名残が見えることがある。いわゆる先祖返りの一つで、耳がとがっているとか角が生えるとかうろこがあるとかそういう身体的特徴に何かが現れることがあるのだ。

残念ながら魔法が使える人間はこの数百年確認されていないけれど。

だからこそこのおとぎ話に疑問を持つものも多い。なぜ、この一人だけが「罪の子」なのだろうか、と。

「だからってさぁ、グラシエルの語り部とその罪の子が同一人物ってのは話がとびすぎじゃないのぉ?」

「とびすぎなわけがあるか。残っているおとぎ話でこの二つだけがやけに符合するんだ。事実に基づいた話じゃなきゃむしろおかしいだろう」

「うーん、一理あるような、ないような」

 さて、この『語り部』がなにかというとこちらもおとぎ話、寝物語ではなく大人でも夢を見るような伝説や遺失した文明のような話に分類されるが、山脈に住み着く『語り部』が両部族の真相を知っているというものだ。語り部は『占い師』や『呪術師』と呼ばれることもあり、魔法使いよりも人外じみた容姿の姿絵で記されている。もっともそれもいわゆる想像図のひとつでしかないので考えるだけ野暮ではあるのだが現状それしか手掛かりがない。

 ところで彼らがなんなのかというと……

「ついたな、門の前までくるとさすがに風が痛いな……」

「世界中のダンジョンを潜り抜けた私たちですよ、きっと大丈夫です」

「ダンジョンは寒くないじゃん、俺やだよぉー帰ろうよぉー」

 いわゆる冒険者、というやつである。

 冒険者といっても、この国も大陸も狩るような魔獣やモンスターはそういない。たまに超大型魔獣が出たとしても、その方面の専門家パーティに要請して麻酔銃などで捕獲できないかというのが先である。できれば殺さないようにしないとバッシングが酷いからだ。

 なので冒険者のほとんどの仕事は地学や、生物学調査がメインで、腕の立つ者たちが未開の地である自然発生したダンジョンに潜り込みその中でのみモンスターを狩り、ダンジョン内のドロップ品を持ち帰ってくるのだ。

 ダンジョンは生き物ではないか、というのが通説で、というのもドロップ品やモンスターが枯渇しないため、ダンジョン産のドロップ品は言ってしまえば生体反応の産物なのだということになっている。人間が生きてさえいれば爪や髪が伸びるのと同じような。


 そんな「腕の立つ」彼らにとって、グラシエル山脈の攻略は言ってみればひとつのチャンスでもある。目的は『語り部』でも生きて帰ってくるだけでその後の人生を約束されたようなものだからだ。それだけこの壁と門には意味がある。この国でも、大陸でもだ。


「一応、いろいろ多めに持ってきてはいるが片道で使う物資は三分の一までだ、その時点で一度戻ってくるしかない」

「まあ、妥当ですね。半々で帰ってこれるとは思いませんし」

「この山一生吹雪いてるからなぁ」

 明確に入ってはいけないといわれる東西と違い、北は入るのは簡単だ。良いとか悪いとかでなくそもそも死ぬであろう場所に入る人間なんてそうそういないため門番もいなければ鍵もない。

 遭難防止にそれぞれの腰にロープを巻き付け、凍傷防止の分厚いグローブをつけた手で門扉を押す。ぎぎぎ、と錆ついた音をさせて口を開けた門の中に三人は滑り込む。門はそのまま自重でゆっくりと閉じてしまった。

「……口を開けたら舌が千切れそうです」

「あまり話さないようにしよう。とりあえず山頂のほうに向かって歩いてみるか」

「待って待って待って、ジオルグ、カーミラ!」

「なんですか、リッツ?」

「門……取っ手がない」

「はあ?」

 二人が振り向くと確かに門には取っ手がない。カーミラと呼ばれた少女が寒さのせいではなく、その顔からさーっと血色を失った。

「も、門って、こっちからあけるには、引かないと……ですよね、取っ手がないなんてどうしたら……」

 取っ手にできそうなものを探してもいいが辺りは一面氷と雪に覆われた青い世界。加えて「一生吹雪いている」と言いたくなるほど晴天には恵まれない場所だ。下手に動くわけにもいかない。

 壁はおよそ六十メートルあり、装飾もなにもないただの板のようなつるりとした造りで、つるはしなどで叩いてもつるはしのほうが折れるような特殊な岩でできている。

「大体なんで取っ手がないの⁉ これじゃ中に入ったら出られなくなるじゃん」

「そりゃあ、牢屋なんだから中から開いちゃあ困るだろ?」

「牢屋って……え? なん、だ、だれだお前は!」

「誰だってそりゃないでしょ、俺のこと探しに来てたんだろ? ここに来るやつは大体そうだからな」

 ジオルグの背後にいつの間にか現れた人物は透明な角と透明な翼を生やし、黒いシックなワンピース一枚の、青年だった。


「お客さんかな? それとも泥棒? どっちにしても地獄へようこそ。可哀想にね、あんたら人間でしょ?」

 さくさくと軽やかな足取りで、素足のまま雪の上を歩く青年は風も、雪も影響を受けておらずしれっとした態度で話しかけてくる。そもそも雪山にいる格好じゃないだろうとジオルグは目を見開く。

 普通のワンピースだ。防寒対策もなにもあったものじゃない。襟巻も耳当ても手袋もなく、あまつさえ足元は素足と来ている。少しだけぴらぴらと揺れるワンピースの裾から覗くくるぶしより上も肌色だ。タイツなんかも履いていない。

 どうして。門の外でも、門の目の前で、気温はマイナス五度くらいの場所だ。耳なんて出したままにしていたら凍って崩れ落ちるような場所なのに、どうして。

「お前が『語り部』か?」

「ああ、この数十年はそんな言い方になったの? 多分そうだよ」

「どうにかして出られないんですか⁉ このままじゃ私たちっ」

「死んじゃうだろうね」

 にっこりと笑って、だからなんだといわんばかりの態度で青年はそういった。

 絶望的な表情のカーミラとリッツがかたかたと震えるが寒さのせいではなさそうだった。


「出る方法はないのか?」

「ないね、言っとくけど俺に文句言わないでね。その門作ったの俺じゃないんだから」

 やれやれといったふうに青年が首を振るとリッツが掴みかかった。

「そんな無責任な話あるぅ⁉ だいたい閉じ込められてるのは「罪の子」だけで俺たちは関係ないじゃん! 本当はあんでしょ、出る方法!」

「だからないって。そりゃね、閉じ込められてるのは俺一人よ、けどここに誰かが入ってくるって想定してないんでしょ。俺が出られないこと(・・・・・・・・・)に重点おいて作られてんのよ」

 やんわりとリッツの手を外すと、大きなため息をつく。その指先の血色はいいし、吐いた息も凍らない。

 ジオルグは頭の中で可能性を探す。この角と羽はなにか関係があるのか、ロンディウムの先祖返りたちと似たような容姿だがこんな氷のような角は見たことがない。

 羽もそうだ。まるで氷を削り出したかのような、到底生き物のそれには見えない蝙蝠のような形のそれ。装飾としてつけているのかとも思ったが青年は自称『語り部(仮)』だ。もしおとぎ話のとおりであれば、彼は長寿の竜と魔法使いのダブル。竜は竜でも種族があったはずだ。だとしたらこれは先祖返りではなく竜の血が色濃く出ている状態。