四.思い出し笑い

窓の外の雨は僕の感情を表しているのか。
冷蔵庫からプリンを取りだし食べる。
自分の意見によって改良されたプリン。
いや、彼女の意見によってだ。
彼女とは誰か?
真鍋由紀だ。
彼女は僕の妻だ。
いや過去形だ。
妻だった。
離婚したわけでもない。
夜の暗闇に一人で話している自分が嫌になる。
だがこれは独り言でもいい。
口に出してこの話を酸素に触れさせなければならないのだ。
今日企画室という僕の仕事場に電話が入ったのは
昼休憩の終わり頃だった。
企画室長である野村さんという男性が震えている。
「お、お、お、おい。お前の奥さんが」
見るからにまともではない彼から電話を受け取った。
「こちら変わりました。真鍋由紀の夫ですが」
「こちら森野病院です。真鍋由紀さんが
たった今交通事故に合い意識不明の重体です。
今すぐ病院に来てください。
早くしないと手遅れになります」
人は本当に窮地に追い込まれると笑ってしまうんだな。
そこで僕は感じた。
決して面白いわけではい。
今まで彼女と過した思い出が走馬灯のように流れる。
いや走馬灯は死ぬ前に流れるものか。
走馬灯ではないが走馬灯のようなものが流れる。
そしてその場に立ちすくんでしまう。
上を見て涙がこぼれ落ちないようにする。
野村さんが肩を揺らし僕の意識を呼び寄せた。
「間に合わなくなるぞ。おい?おい?」
野村さんも気が気でなくなっている。
僕もだ。
だが何をすればいいのか僕には何も分からない。
とりあえず車の鍵と携帯とスマホを持って
スーパーの駐車場へ向かった。
よく小説とかには
『俺は冷静になって考える』
などとあるがそれは空想だけの話だとここで感じた。
自分から冷静になろうとは思わない。
本能的に冷静になるのだ。
妻が交通事故に合った。
妻の命が危ない。
わかっている。
わかっている。
焦らないといけない。
なぜ僕の心はここまで落ち着いているのだ。
なぜ焦らないのか。
焦ろ僕。
その感情だけを持って運転していた。
気がつくともう病院に着いていた。
自分では病院に着くまで運転した記憶もないが
今そこは関係ない。
病院の受付に走って向かう。
息が上がっているがそんなのも整えずに受付の女性に要件を伝えるとすぐに緊急治療室の前に
連れて行ってもらった。
手術中のランプは灯っている。
その光があるだけで中では生死の境を彷徨っている。
もしかして病院というのは天国と地獄を繋ぐ
場所なのではないか。
そうとも考えてしまった。
下を向くと涙の水たまりができ始めてる頃
ランプの灯りが消えた。
カチャンという音とともに重い空気がこちらへ流れ込む。
手術を行った先生だろう、男がこっちへ来た。
「彼女はいつ退院できますか」
「いえ……」
「入院してる時って面会時間は何時までですか」
「いえ……」
「彼女は……笑ってましたか」
「はい……。
.........。申し訳ございません!」
フロア全体に響く声で謝る先生。
その背中を何か尖った物で刺してやりたいと思ったが病院でそんなことをするものではない。
あはははははは。
あまりの展開の早さに笑ってしまう。
今日の朝彼女は歩いていた。
手が動いていた。
体温があった。
言葉を話せた。
感情があった。
外に出ると影があった。

目の前にある遺体をみると感情という感情が無くなる。
「由紀……。ねぇ今日何食べる?」
返事が来ないことは安置室に行くまでの時間で
わかっていたはずだ。
だが彼女を前にして返事が来ないから喋らない
というわけにはいかなかった。
「あの時覚えてる?僕がトマトジュースを由紀に
かけてしまった時。
覚えてる?
君が僕のケーキをまた食べたいって言ってくれたこと。
覚えてる?
鍋を食べたこと。
覚えてる?
デートのこと。結婚式のこと。
覚えてる?
初めての子育て。
今日も頑張ってたよね。
覚えててね。
僕のこと。
子供たちのこと。
この世界のこと」

葬儀は家族葬で終わらせた。
向こうの両親とも話し合い
子供たちは僕が引き取ることになった。
子供たちの寝顔をみて思い出す。
あんなことあったな。
こんなことあったな。
全てが過去だ。
彼女がいればその過去の未来だって作れた。
だがもう作れない。
線路の先が崖になっている。
笑う。
とにかく笑った過去を思い出す。
思い出して思い出して
出会った頃の僕たちの頃を思い出した。