予想通り、再会の機会は比較的すぐに訪れた。
 曇り空の土日を経て、週明けの月曜。今日も今日とて朝から灰色の雲に覆われた空は、学校に到着するや否や、早々に雨空へ変わった。
 通学路を進む途中、児童公園の前を通りがかったけれど、ユウの姿は見えなかった。やはり、雨が降りそうな状態では駄目なのだ。実際に雨粒が落ちてこない限り、私にユウは見えない。

 どうか中途半端にやまないでほしい――誰にともなくそう願いながら、ようやく下校時刻になる。幸い、その時間まで雨はやまなかった。
 ほとんど走って辿り着いた児童公園の東屋に、今日もまた白い塊が覗く。朝には見えなかったそれを自分の目で確認し、私は思わず「ユウ!」と大きく手を振った。誰かに見られていたらどうしようという気持ちもあるにはあったが、それよりも、また会えたという安堵が大きかった。
 途中から走ったせいか、制服が少し濡れてしまった。購入したばかりの赤い傘をテーブルの端に引っかけ、今日は自分からベンチへ腰を下ろす。対するユウは、今日も私の向かいに座り、そして開口一番呆れの滲んだ声をあげた。

『なんでいつも急にいなくなるんだ、あんたは』

 はぁ、と溜息交じりに言われ、一瞬なんの話か察し損ねる。
 傘が新しくなったことに気づいてくれるかな、とそわそわした気持ちでここまで歩いてきた分、予想外の言い草に苛立ちが芽生え、勢いに任せて言い返す。

「し、仕方ないじゃん。雨がやむと見えなくなっちゃうんだから」
『……はぁ。正直、いきなり無視されるのはつらい』
「あ、やっぱりユウ、その場に残ってるんだね。私が見えなくなるだけってことか……なんかごめん」
『……いや、別に。仕方ないんだろうけど』

 こればかりは私にも対処のしようがないから、素直に頭を下げる。すると、向こうも刺々しい喋り方をすぐに引っ込め、もごもごと居心地悪そうにそう呟いた。
 その仕種を眺めながら、微かな違和感を覚えた。

「……あれ?」

 正面に座るユウを、目を細めて注意深く見つめる。覚えた違和感は、間を置かず閃きに変わった。
 前に会ったときよりも、形がはっきりして見える。
 白いぼんやりとした輪郭が、布らしきものを羽織っている。そちらも白くぼんやりとしていることに変わりはないが、服というよりは大判の布、それもバスタオルのような分厚いものではなく、もっと薄手の布に見えた。

『なんだ』
「あ……うん、その」

 言い淀んでしまう。
 急にどうしたんだろう。前はこんなに細かく見えなかったのに――もしかして、なにか思い出したのか。
 問題なく話が通じることや、言葉遣いが現代人のそれであること、また漢字を含めた文字が読めることなどは、過去のやり取りですでに判明している。それらについてユウ自身がきちんと自覚したのも、おそらくは前回私たちが顔を合わせたときだ。そうした事情も、今日の彼の見え方に影響しているのかもしれない。

「ええと。ユウ、こないだと変わったこと、なんかある?」
『は? なんで』
「なんでって……この前より、はっきり見えるから」

 私の言葉を最後に沈黙が落ちた。静まり返った東屋の中に、ぽた、ぽた、と屋根から零れてくる雨音だけが残る。
 居心地が悪くなる。雨粒が地面の土にくぼみを作ってそこへ溜まる様子に、私は黙って視線をずらした。

『どんなふうに見えるんだ』
「え? ええと。なんだろ、シーツ……みたいな布っぽいの、巻きつけてる感じ」
『シーツ……?』

 抑揚のないユウの声が、耳に届いてはまた途切れる。
 ユウの顔はのっぺらぼうだから、今の彼がどんな表情をしているか、私には分からない。シーツか、と独り言のようにもう一度呟いたユウの声を、黙って聞いているしかできなかった。

 外見の変化から考えるに、ユウはなにかを――元々の自分の記憶や思い出を取り戻しかけているのだろうか。
 分からない。それが良いことなのかどうかも、ユウが本当に望んでいるのかどうかも、私は分かっていないし直接ユウに尋ねてもいない。最後には困惑したように聞こえたユウの声を頭の中で反芻しながら、本当にさっきの話をユウに伝えて良かったのか、急に不安になった。
 真向かいに座るユウは、すっかり考え込んでしまっている。かける言葉も見つからず、覚えたばかりの不安を持て余しつつ、私は黙って時間の経過を待った。

 ふと外を見やると、灰色に淀んだ景色が見えた。
 ざわざわと鳴る木々の音が、無駄に不安を煽る。苦い気分に拍車がかかってしまいそうで、勢いをつけて視線を真正面に戻したそのとき、ユウが声をあげた。

『それ。こないだと違うな』
「え?」

 素っ頓狂な声をあげた後、ユウの腕が、俯き加減だった私の視界に入り込む。ぼんやりとした白い腕がなにかを指し示すように動き、私は思わずそれを視線で辿る。
 テーブルに引っかけておいた傘に目が留まり、納得した。ユウは傘の話をしている。こないだと違う、という言葉がようやく腑に落ちた。

「あ、うん。新しいの、買ったの。可愛いなって思って」
『……傘……』
「え?」
『いや。なんでもない』

 呟くような声だった。気になって聞き返してみたけれど、結局、ユウはそれ以上なにも言わなかった。
 こちらから切り出さずとも傘に気づいてくれたと胸が躍りかけ、しかしそれきり途切れた会話のせいで、浮ついた気分はすぐに冷めてしまう。
 土を濡らす雨の音が、私たちの間に落ちる沈黙を掻き立てる。ユウの表情がさっぱり分からない分、ユウの声や話を聞き取らない限り、私は彼がなにを考えているのか察せない。つくづくもどかしかった。

 雨の日は、普段よりも早く空が暗くなる。ここを訪れたときからどんよりとしていた空は、時間の経過によってさらに灰色を濃くしていた。
 ここに来てからどのくらい経っただろう。そう思ったけれど、こうしてユウと向かい合っている状態で、鞄からスマートフォンを取り出すことはためらわれた。それではさっさと帰りたがっているみたいだ。
 とはいっても、そろそろ帰路に就いたほうがいい。このままでは、ユウと初めて顔を合わせたときのように、私が恐れる「雨の日の夜」が訪れてしまう。

 雨は一向にやむ気配を見せない。
 今日は、きちんとお別れを伝えてから帰れそうだ。

「ねぇユウ。私、そろそろ帰るね」
『あ……そうだな。暗くなる前に行ったほうがいい』
「うん。また雨の日に来るから。そのときまで、なにか新しいことが分かるといいけど……またね」

 言い終えてから、今日は参考書やノートを開かなかったなと思った。
 いまさらという気もするが、次回はもう少し気を引き締めたほうがいいかもしれない。

「じゃあね」
『うん。気をつけて』

 別れを告げて通学鞄を手に取り、東屋を後にする。
 傘を開いて出入り口まで足を進めてから、そっと背後を振り返った。ユウはまだ東屋のベンチに座っている。周りに人がいないことを入念に確認してから、私はユウに小さく手を振り……胸がじくじくと痛んだ。

 ユウは、どうしてあんな姿になってしまったんだろう。そのことについて、これ以上自分が深く関わってもいいのか。ひとりで考えていても答えが出そうにない疑問を胸に、私は前に向き直る。
 少々急ぎ足で自宅を目指そうと、傘の柄を持ち直した――そのときだった。

「……あ……」

 前方に人影が覗いた。人がいるというだけでもぎょっとしたのに、その人物が自分の見知った相手であると気づき、私は露骨に頬を引きつらせる。
 児童公園を出てすぐの歩道、距離にしておよそ五メートル。
 黒い傘を片手にそこに佇んでいたのは、ハルキだった。

「あ……っ」

 濡れたアスファルトを蹴り上げる勢いで、傘を差したまま走り出す。
 雨の中、濡れることも厭わず豪快に駆け出した私を、ハルキがどんな顔で眺めていたかは知らない。ハルキが立つ側とは反対側の歩道を強引に走り抜けていく途中、「おい」と声をかけられたけれど、それも無視した。見向きもしなかった。
 この雨の中、ハルキがずっと同じ場所に留まっていたとは思いがたい。ユウとの会話を聞かれていたわけでもないだろう。とはいっても、最も鉢合わせたくない人物と遭遇したせいで、瞬く間に気分が荒んでいく。

 ハルキが追いかけてくる気配はなかった。それでも、足を止める気にはならなかった。
 結局、自宅の前に辿り着いた頃には、私の全身は傘を差していた意味がないほどずぶ濡れになってしまっていた。