雨の中、しばらく後方を気にしたが、
自走機械はミカの車に乗らず追いかけずに、
どこかへ行ってしまった。

「言ったかな。言ってないかも。
 自走機械なら病院に帰ったよ。」

彼女がなにかしらの命令をしていたようだ。

車が着いた先は病院ではなかった。
鋼鉄製の門扉をスライドさせて、車を中に入れる。

そこは小さな小学校のようなところだと思った。
こじんまりとした四角い建物。

「おしっこ我慢(がまん)できた?」

「うううっ!」

「なに言ってるか分かんないね。それ。」

車を降りて雨にさらされると余計に身体が冷える。

「手、出して。」

差し出された手を握ると、
ミカの小さな手はとても暖かく、
身体が軽くなった気がした。

「それ、取れるよ。」

(おそ)る恐るシュノーケルを外す。
顔がずぶ濡れで気づかなかったが、
身体を取り巻く雨水は足元に落ちてなくなった。

ミカが差し出した傘から雨が入り込むこともない。

「え? どうして? なにしたの!」

「とりあえず中入りな。風邪引くよ。」

2階建ての白亜色をした建物に、
そのままミカに手を引かれて招かれた。

「ただいまー。」

「おかえりー!」

「ねーちゃーん!」

「お客さんだからお行儀よくしてね。」

「はぁーい。」

広い玄関口。壁に並ぶ靴箱。大きな傘立て。
プラスチック製のスノコ。

そこは小型の小学校のような
懐かしい雰囲気があった。

可愛らしい女の子ふたりが、私達を出迎えた。
顔も髪型もそっくり、双子だろうか。

ボブヘアでふたり仲良く手をつなぎ、
タオルを持ってミカに渡した。

それから遅れてオートマトンがやってきた。
一般家庭に置くにしては高価な存在。

「はい、ふたりとも自己紹介できる?」

「スズリ・アキミヤ、10歳です。」

「スミ・アキミヤ、10歳です。」

ふたりの愛らしい顔を見てから、
ミカの顔を眺めた。似てない。

ふたりが10歳なら、母親のミカは何歳だろう?

「顔拭いたら?」

髪から水が(したた)り落ちて、
たぶん化粧も落ちて酷いことになってると思う。

ミカが手を離すと、服に吸い込んだ水が
絞り出されるように首からはい上がる。

「え? ちょっと。」

「これ使う?」

タオルを差し出すタイミングがおかしい。

「待って、説明して。」

「ここはあたしの家。
 元は養護施設だったかな。
 スズとスミは預かってる子供ね。
 ねぇ、レオは?」

「先生、ごはん作ってる。」

「今日のメニューはなに?」

「エビチリとバンバンジーでございます。」

「素晴らしい。褒めてつかわす。」

「ありがたきおことばー。」

ちびっ子ふたり(そろ)って深々(ふかぶか)とお辞儀(じぎ)をする。
私はなにを見せられているのだろう。

「まって! まって! お客さまはー?」

たぶんスミちゃんの方の言葉に、
視線が私に集まった。

「マコトちゃん、ちゃんと自己紹介できる?」

「おちょくらないでください。
 マコト・カケメよ。28歳。」

「マコトちゃんは、レオ先生と同い年だよ。」

「マコちゃん。」

「マコちゃん! いらっしゃいませ。
 どうぞ、ごゆっくりとくつろいでください。」

「スズ、レオいないうちに、
 アレやって見せてよ。」

「いいの?」

「レオには内緒ね。」

スズリと呼ばれた片方の顔が明るくなる。

手をつないでいたふたりが、手をほどき、
スズリちゃんは膝を曲げて
ゆっくり伸ばすと宙に浮いた。

初めはワイヤーかなにかで吊り上げた
手品だと思っていたが、天井に両手を付けると
今度は私の方に向かって勢いよく飛んできた。

「あっ! だめだって。」

目の前でミカがスズリちゃんを止めたが、
今度はふたりしてゆっくりと浮き始めた。

「あー。」

スミちゃんがその様子を見上げて声を発する。
この事態を察するに手品じゃないっぽい。

「ちょっとオートマトン!
 スミに、手貸して。」

スズリちゃんを抱えて壁を垂直に立っているミカ。

スミちゃんは彼女の伸ばした手を、
オートマトンに抱っこされて両手で握った。

すると浮遊(ふゆう)していたミカとスズリちゃんの身体は、
重力に従いガチャンと金属的な音を立てて落ちた。

「スズー。」

「ごめんなさーい。」

手を握り横に倒れたままのミカに、
抱かれたスズリちゃんを
スミちゃんが手を取って起こす。
それからミカも立ち上がった。

「ほら、この通り。
 分かりやすいでしょ?」

「なんにもわかんないんだけど?」

「おかえりー、ねーちゃん。
 ご飯の準備できたからみんな手伝って。」

玄関に現れたのはスタイルのよい成人女性。
目鼻立ちの大きくハッキリした顔に、
赤いエプロンが似合う。

ねーちゃん…?

「マコトちゃん、この子、知ってる?」

ミカに尋ねられても彼女とは初対面だ。
顔も見覚えないし、名前も知らない。

「知ってるわけないって。
 私あの日はヘルプでフロア立ってただけだし。
 もー驚いた驚いた。」

「そっかぁ。つまんね。
 マコトちゃんこいつ、あたしの妹のレオ。」

「妹さん? …は?」

「は、じゃねーし。」

「あの日、突発性重力障害で
 救急車呼んだのが私だよ。」

「そう…なんですね。」

「お腹すいたー。」

「ひもじぃよぉ。」

「あたしもひもじぃ。」

「ねーちゃんはお皿の準備して。
 あー、その格好…お風呂まだだし、
 とりあえず着替え用意しないと。」

「え? 着替えなんて。」

「ここじゃレオが一番偉い人だから、
 素直に聞いとけ。」

「スズリ。
 先生とマコトさんの着替え手伝って。」

「あーい。」

「スミは?」

「スミはあたしとご飯の支度だよ。」

「ねーちゃん、
 盗み食いしちゃダメだからね。」

「今日はしないよ。ねー。」

「はい。今日はしません。」

いつもはやってるんだ…。

条件付きで否定したミカは
見た目の通り子どもっぽい。

――――――――――――――――――――

唯々諾々(いいだくだく)、ずぶ濡れの服を着た私は
ミカの妹、レオさんの部屋へと案内された。

私は身体にこびりついた
多少の砂と唾液混じりの雨水を拭き取り、
スーツとタイツを脱いで下着姿になった。

着替えは常にスズリちゃんが、
手伝ってくれているのか手を離さない。

一見ジャマにしかならないスズリちゃんの行いも、
レオさんはなにも言ってこない。

宙に浮かんだあの不思議な手品は
一体なんだったんだろう。

「手、はなしちゃダメだよ。」

「それはどうして?」

「どうしてって…あれ、聞いてないんですか?」

「なにがですか?」

置いてけぼりを食らっていると、
レオさんはため息を付いた。

「なんか、すみません。」

「あぁ、違うの。ねーちゃんがね。
 あとで、ちゃんと説明させますから。」

「すみません。」

「気にしないで。
 ねーちゃんはいつもあんな感じなんで。」

妹さんの苦労が(しの)ばれる。
あのちんちくりんが姉というのが
いまだに信じられない。

「レオさんは、レストランの
 ホールスタッフなんですか?」

「あぁ、あれはヘルプ。
 友達のお店のお手伝いだよ。
 普段はここの…教員? 居候(いそうろう)?」

「教員? 先生なんですか?」

「免許だけは持ってるから。
 私の雇用主でここの家主がねーちゃん。
 家主なのにあんまりいないけどね。
 これフリーサイズだけど、
 マコトさんこれで収まる?」

ストレッチブラジャーを渡されて困惑する。

「そこまでしていただかなくても。」

「遠慮とかいいから、風邪引くよ。
 ホラ、さっさと着て。」

「そうだよ。ごはん。」

「ね。ご飯。」

「すみません。」

「マコトさんって私と同い年で、
 広告代理店で働いてるんですね。」

レオさんが私の濡れたスーツをハンガーにかけて、
除湿乾燥機を取り出して点けた。
中のファンが音を立てる。

「私は教員免許とってもすぐ飽きちゃって。
 最初は保育士とって、次は救命救急士とって、
 調理師とってもフラフラしてるから尊敬する。
 とにかく飽きっぽで姉にここへ誘われて、
 ようやく今に至るって感じなんです。
 まともに働いたことないから恥ずかしい。」

「え…それはそれで多才過ぎませんか?」

「ねーちゃんに比べると全然だよ。」

こんなしっかり者のレオさんが
謙遜(けんそん)するほど、ミカの存在は
偉大なのかは疑問だった。

「私はそんなにすごくありません。
 会社行ったら、いつも(しか)られてて。
 仕事じゃ後輩に抜かれて、不倫(ふりん)もして、
 結婚もできず…。」

略奪(りゃくだつ)の末の結婚に、
私は一体なにを望んでいたんだろう。

彼と離婚した奥さんや子どもは、
きっと私と同じ道をたどってしまう。

そう思うと余計に気は重くなる。

「今日だって、重力障害だって言われてたのに、
 無理やり会社行って、振られてるのに、
 バカみたいに期待して。」

私は(くや)しさにうなだれる。
それに未だに自分が病気になったことを
受け入れられずにいる。停滞(ていたい)している。

すると頭になにかが乗った。

「ばぁ!」

見上げると私の頭に手を乗せたスズリちゃんが、
舌を出して変な顔をした。

「スズー。もー。
 ねーちゃんのマネばっかすると、
 天狗(てんぐ)(さら)われちゃうよ。」

「テングやだー。」

レオさんにたしなめられ
彼女の顔がちょっと(ゆが)んだ。
その顔の変化に、悩み過ぎていたと自嘲(じちょう)する。

「レオー。」

「ごはーん。」

「ホラ来た。食いしん坊。
 はーい。もうちょっと待ってて。」

ミカとスズのふたりが部屋にやってきて、
下着姿の私は恥ずかしさに身体を片腕で隠した。

「んなデカいの、隠せるもんじゃないのに。
 ひょっとしてイヤミか。」

「違うの!」

小さな彼女のデリカシーのなさに、
顔が火照(ほて)るほど熱くなった。