「おはよう、まどちゃん。…出かけるの?」

日曜日。

普段の服装との違いに、
9時過ぎになって起きたサクラちゃんが気づいた。

家主は用意した朝食を無表情で黙って食べている。
今日のメニューはホットケーキ、生クリーム付き。

「デートだよ。このまえ言ったでしょ。」

「あー忘れてた! えーいいなー。
 私もまどちゃんとデートしたい。」

「時間のムダですよ、それ。」

「ひどっ。反抗期ぃ。」

「じゃあ、いってきます。
 たぶん夜までには帰ってくるから。」

「はーい、ってらっしゃーい。」

今日の服はちょっと高いものを(そろ)えた。
でも下着はもっと高い。
土曜日1日分のバイト代がすっ飛ぶくらい。

相手は生徒会長だけど、知ってる人じゃない。
初対面であっても服装にはそれなりに気を使う。
これは祖母からの教訓。

気になっていた春物のアウターを買っておいた。
ハイカットのスニーカーとスキニーのパンツ、
インナーはストライプで胸元が出るVネック。

異性の性欲を喚起(かんき)させる気はないけど、
自分が女だっていう自覚は大事だ。

それを相手がどう受けとめて、
どんな反応を返すかでアタシは評価する。

デートの日まで、会長とは
一度だけメッセージでやり取りをした。

『日曜日、駅前10時に集合。
 できれば歩きやすい格好で。』

と、業務連絡っぽい内容に、
肩透かしを食うメッセだった。

バイトをしていて会えない分、
相手から過度な要求をされたことが
過去に何度か経験がある。

「これから会えないか?」

「いまなにしてる?」

「バイト、サボれないの?」

初めてのときはこんなもんかと思ったけど、
付き合うことが面倒になる相手ばかり。

所有欲を満たすために相手をするほど暇じゃない。

結局すぐに別れ、別の男と交際を求められる。
求められること自体はイヤじゃない。

でも結果的に別れるために付き合うから、
悪いウワサが絶えない悪循環(あくじゅんかん)

それで、別のクラスの知りもしない女が、
勝手に恨みを募らせるもんだから嫌気がさす。

今日の相手がそうならないのを願うとしよう。

「なんかいるし…。」

建物の影に隠れてこちらの様子をのぞく
女を見てアタシはぼやいた。
あのシルエットは重松だ。

上下黒のスウェット姿。
出歩くには不審者同然の格好だった。

警察に通報した方がいいのか、
スマホを手にして悩んでいると
生徒会長がやってきた。

「おまたせ。で、いいのかな。」

彼は赤地のチェック柄をしたネルシャツに、
薄ベージュ色のチノクロス(綾織り綿布)のパンツと
学校指定の白のスニーカーを履いていた。

「…フォーマルですね。」

服装に無頓着(むとんちゃく)な高校生っぽい格式ばった服装に、
評価を自由に受け取れる言葉を送った。

「沢さんもちゃんと歩きやすい格好だね。
 学祭のときみたいにドレスで来るんじゃないかと
 内心ドキドキしてたよ。」

「そんな格好するわけないですよ。」

冗談のつもりかもしれないけれど、
なにを考えたらそんな発想に至るのか。

「事前に連絡した通り、
 今日はたぶんそこそこ歩くよ。
 疲れたら言ってね。」

「どこに行くんですか? 水族館とか?」

デートといえば遊園地、動物園、水族館など
古典的になりつつあるテーマパークに行くのが
定番で無難かもしれない。

けれども過剰な反応を求められて疲れる。
学校行事で散々行くような場所なのに。

気の許せる相手なら楽しめるかもだけど、
同じ年頃の異性からはほぼ決まって
女の子っぽさを期待される。だから疲れる。

美術館や映画なんかの静かでゆっくりできる
施設でもいいけど、趣味の一致が必要だし、
結局のところそれは相手の価値じゃない。

同好の士を探すだけなら、いまどきは
SNSでもやれば充分だと思う。

高校生で同伴出勤するようなキャバ嬢や、
トロフィーワイフになるつもりはない。

アタシは他者に見せつける飾りじゃないってこと。

会長の提案は、アタシの想像しないものだった。

「今日はランブリングをします。」

「ランブ…リング?」

「そう。知ってるかもしれないけど説明すると、
 ウォーキングの仲間なんだけど
 歩くことを目的とはせずに、趣味のために
 会話を楽しみながら歩く、散策かな。」

「趣味のために?」

「そう。趣味っていっても難しいよね。
 なのでちょっと趣向(しゅこう)を変えて、
 好きなものを探して歩くのはどうかなって。
 僕が探して見つけたら、次は天沢(あまさわ)さんが。
 交互に好きなもの言い合うのがルール。」

「へぇ。それ面白そうですね。
 好きなものがなかったら負けとか?」

「勝敗とか罰ゲームとかはないよ。
 なんなら僕が好きな物だけで、
 1日付き合ってもらうつもりでもいるから。」

「欲張りですね。
 できる限りやってみます。」

他人の好きな物にどれほど興味が湧くか
分からなかったけど、そんなルールなら
相手に気を使う必要はなさそう。

「じゃあまず僕の番ね。」

会長は最近学んだ近代史の話をはじめ、
最初は近くの書店へと入った。

昔はよく戦国史を読んでたらしく、
アタシも祖父の影響で大河ドラマなどから
勉強をしていたので会話がはずんだ。

商品棚の影からアタシたちを見ている
重松が視界に入ったが、無視をした。

「じゃアタシの番か…。書店(ここ)じゃダメです?」

「今日のデートの趣旨(しゅし)を決めたのは僕だから、
 行き先の候補はいくつも持ってるし
 僕のが有利になるよね。
 最初はそれでもいいけど。」

「それなら、別の場所行きます。」

「図書館とか?」

「会長はジョークが下手ですね。」

「手厳しいね、いまどきの若い子は。」

「アタシ祖父母に育てられたんで、
 それ言われるとアタシもいまどきの感性は
 持ってないかも。」

「学祭もレトロな選曲だったね。」

「おばあちゃんが歌手だったんです。」

「それはすごい。」

「カバーシングルを2枚しか
 出してないんですよ。」

「いくら身内の話だからって
 そんなに卑下(ひげ)することはないだろう。」

「…そうですね。」

アタシは古いレコードショップに会長を案内した。

店の奥の壁の片隅には、
サイン付きの色あせたポスターが貼られている。

「あれが祖母ちゃん。」

「『愛の讃歌(さんか)』だね。」

戦後間もない時代、フランスの女性歌手が
不倫しているプロボクサー相手に
別れを告げる為に送った歌。

その相手に送るよりも先に、
彼は飛行機事故で亡くなった。

天沢(あまさわ)さんの歌が上手いのは
 おばあちゃん(ゆず)りか。」

「去年の春に亡くなったんだけどね。
 なんか未練がましいって感じ…。」

いつかは訪れるはずだった祖父母との別れは、
突然の事故によってやってきた。

「そうか。でも亡くなったからって、
 好きでいたことには変わらないだろう。
 大切なものならなおさらだ。」

アタシはなにも言い返せない。
それから会長は念押しする。

「今日はそういう趣旨(しゅし)だからね。」