ガランガラン
乾いた鈴の音が境内に響き渡った。
パンパンッと柏手を二回打ち目を閉じる。
「……誰か運命の人が現れて三十歳までに結婚できますようにっ!」
想いが大きすぎて心の中で唱えようと思っていた願い事が勢い余って声になって出てしまった。
でもいい。
私は今それだけ必死なのだから。
二十五歳を過ぎたあたりから周りの友達がちらほらと結婚し出した。会社の同期も続々と結婚していき、この数年で私は結婚式貧乏だ。ご祝儀だけでいくら払ってきたかわからない。まあ、お祝い事だからいいんだけどさ。
それよりも、だよ。
私も二十九歳。
立派なアラサー独身彼氏なし。
まだ結婚していない友達もいる。だけどみんな彼氏持ち。彼氏すらいないのは私だけ。一人取り残された感が強く焦った私は藁にもすがる思いで神頼みに来たわけだ。
賽銭箱に千円も入れたんだから、どうにかしてよね神様っ!
「……千円じゃ安かったかな。お賽銭が少な過ぎて変な男紹介されても困るし。一万円くらい入れるべきだったかしら」
私はカバンから財布を取り出し中を確認する。
「……なけなしの、一万円っ!くっ!」
私は一万円を掴んでもう一度本殿へ振り返る。プルプルと震えながら賽銭箱の上まで一万円札をかざすが、潔く手を離すことができない。
「往生際の悪いやつめ」
突然笑いを含んだ声がしてはっと顔を上げると、賽銭箱に頬杖をつきながらニコニコと私を見ている若くて綺麗な男性と目が合った。
「ひえっ!……あっ!」
驚きと共に手を離してしまい、一万円札は私の手から滑り落ちてヒラヒラと賽銭箱の中に入っていった。
「あーーーーっ!」
「あはははは!」
私の叫びと彼の笑い声が被る。
一万円を失くしたこと(いやまあ賽銭箱に入れただけだけどさ)と見知らぬ男性に笑われたことに怒りが込み上げる。
なんなの、このデリカシーのない男はっ!
ていうか、なぜ本殿の中にいるの?
「……はっ!まさか不審者っ!」
「失敬なっ!」
男性はムッとしながら立ち上がり、本殿からすっと降り私の横へやってきた。
「私は神様だ。お前の願いを叶えてやる。私と結婚しよう」
「……は?」
言われた意味が理解できずにポカンと固まる。
神様?
誰が?
この男が?
言われてみれば彼は装束のようなものを身に纏い、髪は長く後ろで一つに束ねてさらさらと銀色に艶めいている。
だからといってこの男が神様だと断言できるほど確信は何もない。むしろただのコスプレをした変態にしか見えないのだが。しかも結婚しようとか言っていたのでこれは本格的にヤバイやつに違いない。
「……お構い無く。では」
私はさっさと踵を返し早歩きでその場を離れる。
神様の意地悪!
私がお願いしたのはこんな変態(でも顔は綺麗)に出会うことじゃなくて、もっとちゃんとした人とお付き合いして結婚したいっていう普通の夢だったんですがっ!
一万円も払ったのにっ!
ムカムカとする気持ちをぐっと堪えながら速度を速める。
と、鳥居の前に来たとき、なんと私の目の前にさっきの変態が立ちふさがった。
「っな!!!!」
驚きすぎてつんのめりそうになる。
だって私は早歩きだったし、追いかけてくる足音なんてまったくしなかった。それに抜かされた気配すら感じなかったのだ。
「何を驚いているのだ、珠子」
「ひえっ!」
名前を呼ばれて私は震え上がる。
この変態に名前を教えたつもりはないし、何か身分を証明するもの、例えば社員証を首からかけているわけでもない。
なのになぜ知っているの──。
「なに、そう驚くことではなかろう」
「……神様だからわかる、とか?」
「いや、私とお前は古い付き合いなのでな。お前は覚えていないだろうが」
そう言って、変態神様は柔らかく笑った。
だけどその笑顔はどこか憂いを帯びている気がして、私は知らぬまに自分の中の記憶を探る。
この変態神様と出会ったこと──。
いやいや、いくら考えてもこいつに会ったのは今日が初めてだ。だってこんな変態、会ったことがあれば覚えていそうだもの。まず銀色の髪ってだけで印象深くなる気がするんだけど。
訝しんでいると変態神様は意地悪そうに笑う。
「知りたそうだな」
「そりゃ、そんなこと言われれば……」
ゴニョゴニョと口ごもると、変態神様は人差し指を突きつける。
「珠子が私と結婚するなら教えてやろう」
「……ありえないです」
「つれないなぁ。まあ、そんなところも珠子らしくて可愛いのだが」
そう目を細める変態神様の眼差しは甘くて思わずドキリと心臓が音をたてる。男性に”可愛い”と言われるのは何年ぶりだろう。
あ、いや、そんなことに感動している場合ではなかった。
「と、とにかく、私は帰りますのでっ!」
「珠子」
名前を呼ばれて出しかけた足を止める。
「今日は会えて嬉しかった。ずっと珠子を待っていたからね」
「……私を……待っていた?」
「今日まで結婚どころか彼氏もできずにいたのはなぜだと思う?」
「なぜって……」
そんなのこっちが聞きたい。
「なぜなら私とお前は運命で結ばれているからだ。お前は私と結ばれるために生きてきたのだよ」
安い恋愛ドラマみたいなクサイ台詞を躊躇いもなく言う姿は、とても冗談を言っているようには見えなかった。けれど、はいそうですかと信じられるほど心の広い私ではない。
「珠子」
愛おしそうに呼ぶ声色は私の警戒心を少しばかり緩める。そっと右手を取られたかと思うと、変態神様は手の甲に優しく口づけた。
「……また、おいで」
呆気に取られたまま鳥居を抜ける。我に返って振り返るも、そこに変態神様の姿はなかった。
得もいわれぬような気持ちが体を駆け抜けていく。ドキドキと鼓動が早くなり、何か大事なことを思い出さなくてはいけないような焦燥感に駆られた。だけどそれが何なのか、今の私には知る由もなかった。
*****
薄暗い本殿の中、先程の神様が大きなため息をついていた。巫女のような装束を来た女性が見兼ねて声をかける。
「陽炎様、珠子様にフラれて落ち込んでおられるのですか?」
「失礼だな、何百年ぶりに珠子に会えて感動しているのだよ。今世も珠子と契りを交わそうぞ」
「せいぜい嫌われぬよう努力なさいませ」
巫女はフンと鼻で笑い、陽炎は「当たり前だ」と自信満々に凛々しく笑った。
*****
今は昔、神様と恋におちた人間・珠子は現世に転生するたびに神様・陽炎と出会いまた恋に落ちた。
もう幾度ともわからない輪廻転生は二人を分かつことを知らぬように、運命的に二人を巡り合わせる。
そしてまた現世でも、二人が契りを交わす日は近いようだ……。
【END】
乾いた鈴の音が境内に響き渡った。
パンパンッと柏手を二回打ち目を閉じる。
「……誰か運命の人が現れて三十歳までに結婚できますようにっ!」
想いが大きすぎて心の中で唱えようと思っていた願い事が勢い余って声になって出てしまった。
でもいい。
私は今それだけ必死なのだから。
二十五歳を過ぎたあたりから周りの友達がちらほらと結婚し出した。会社の同期も続々と結婚していき、この数年で私は結婚式貧乏だ。ご祝儀だけでいくら払ってきたかわからない。まあ、お祝い事だからいいんだけどさ。
それよりも、だよ。
私も二十九歳。
立派なアラサー独身彼氏なし。
まだ結婚していない友達もいる。だけどみんな彼氏持ち。彼氏すらいないのは私だけ。一人取り残された感が強く焦った私は藁にもすがる思いで神頼みに来たわけだ。
賽銭箱に千円も入れたんだから、どうにかしてよね神様っ!
「……千円じゃ安かったかな。お賽銭が少な過ぎて変な男紹介されても困るし。一万円くらい入れるべきだったかしら」
私はカバンから財布を取り出し中を確認する。
「……なけなしの、一万円っ!くっ!」
私は一万円を掴んでもう一度本殿へ振り返る。プルプルと震えながら賽銭箱の上まで一万円札をかざすが、潔く手を離すことができない。
「往生際の悪いやつめ」
突然笑いを含んだ声がしてはっと顔を上げると、賽銭箱に頬杖をつきながらニコニコと私を見ている若くて綺麗な男性と目が合った。
「ひえっ!……あっ!」
驚きと共に手を離してしまい、一万円札は私の手から滑り落ちてヒラヒラと賽銭箱の中に入っていった。
「あーーーーっ!」
「あはははは!」
私の叫びと彼の笑い声が被る。
一万円を失くしたこと(いやまあ賽銭箱に入れただけだけどさ)と見知らぬ男性に笑われたことに怒りが込み上げる。
なんなの、このデリカシーのない男はっ!
ていうか、なぜ本殿の中にいるの?
「……はっ!まさか不審者っ!」
「失敬なっ!」
男性はムッとしながら立ち上がり、本殿からすっと降り私の横へやってきた。
「私は神様だ。お前の願いを叶えてやる。私と結婚しよう」
「……は?」
言われた意味が理解できずにポカンと固まる。
神様?
誰が?
この男が?
言われてみれば彼は装束のようなものを身に纏い、髪は長く後ろで一つに束ねてさらさらと銀色に艶めいている。
だからといってこの男が神様だと断言できるほど確信は何もない。むしろただのコスプレをした変態にしか見えないのだが。しかも結婚しようとか言っていたのでこれは本格的にヤバイやつに違いない。
「……お構い無く。では」
私はさっさと踵を返し早歩きでその場を離れる。
神様の意地悪!
私がお願いしたのはこんな変態(でも顔は綺麗)に出会うことじゃなくて、もっとちゃんとした人とお付き合いして結婚したいっていう普通の夢だったんですがっ!
一万円も払ったのにっ!
ムカムカとする気持ちをぐっと堪えながら速度を速める。
と、鳥居の前に来たとき、なんと私の目の前にさっきの変態が立ちふさがった。
「っな!!!!」
驚きすぎてつんのめりそうになる。
だって私は早歩きだったし、追いかけてくる足音なんてまったくしなかった。それに抜かされた気配すら感じなかったのだ。
「何を驚いているのだ、珠子」
「ひえっ!」
名前を呼ばれて私は震え上がる。
この変態に名前を教えたつもりはないし、何か身分を証明するもの、例えば社員証を首からかけているわけでもない。
なのになぜ知っているの──。
「なに、そう驚くことではなかろう」
「……神様だからわかる、とか?」
「いや、私とお前は古い付き合いなのでな。お前は覚えていないだろうが」
そう言って、変態神様は柔らかく笑った。
だけどその笑顔はどこか憂いを帯びている気がして、私は知らぬまに自分の中の記憶を探る。
この変態神様と出会ったこと──。
いやいや、いくら考えてもこいつに会ったのは今日が初めてだ。だってこんな変態、会ったことがあれば覚えていそうだもの。まず銀色の髪ってだけで印象深くなる気がするんだけど。
訝しんでいると変態神様は意地悪そうに笑う。
「知りたそうだな」
「そりゃ、そんなこと言われれば……」
ゴニョゴニョと口ごもると、変態神様は人差し指を突きつける。
「珠子が私と結婚するなら教えてやろう」
「……ありえないです」
「つれないなぁ。まあ、そんなところも珠子らしくて可愛いのだが」
そう目を細める変態神様の眼差しは甘くて思わずドキリと心臓が音をたてる。男性に”可愛い”と言われるのは何年ぶりだろう。
あ、いや、そんなことに感動している場合ではなかった。
「と、とにかく、私は帰りますのでっ!」
「珠子」
名前を呼ばれて出しかけた足を止める。
「今日は会えて嬉しかった。ずっと珠子を待っていたからね」
「……私を……待っていた?」
「今日まで結婚どころか彼氏もできずにいたのはなぜだと思う?」
「なぜって……」
そんなのこっちが聞きたい。
「なぜなら私とお前は運命で結ばれているからだ。お前は私と結ばれるために生きてきたのだよ」
安い恋愛ドラマみたいなクサイ台詞を躊躇いもなく言う姿は、とても冗談を言っているようには見えなかった。けれど、はいそうですかと信じられるほど心の広い私ではない。
「珠子」
愛おしそうに呼ぶ声色は私の警戒心を少しばかり緩める。そっと右手を取られたかと思うと、変態神様は手の甲に優しく口づけた。
「……また、おいで」
呆気に取られたまま鳥居を抜ける。我に返って振り返るも、そこに変態神様の姿はなかった。
得もいわれぬような気持ちが体を駆け抜けていく。ドキドキと鼓動が早くなり、何か大事なことを思い出さなくてはいけないような焦燥感に駆られた。だけどそれが何なのか、今の私には知る由もなかった。
*****
薄暗い本殿の中、先程の神様が大きなため息をついていた。巫女のような装束を来た女性が見兼ねて声をかける。
「陽炎様、珠子様にフラれて落ち込んでおられるのですか?」
「失礼だな、何百年ぶりに珠子に会えて感動しているのだよ。今世も珠子と契りを交わそうぞ」
「せいぜい嫌われぬよう努力なさいませ」
巫女はフンと鼻で笑い、陽炎は「当たり前だ」と自信満々に凛々しく笑った。
*****
今は昔、神様と恋におちた人間・珠子は現世に転生するたびに神様・陽炎と出会いまた恋に落ちた。
もう幾度ともわからない輪廻転生は二人を分かつことを知らぬように、運命的に二人を巡り合わせる。
そしてまた現世でも、二人が契りを交わす日は近いようだ……。
【END】