「お前はもう不要だ。我が屋敷……いや、村からも出て行け」
「……」

 ご主人様が連れていた子供の首に巻かれている鎖。
 多分、僕と同じで魔法や魔術の資質がなくて、親から奴隷として売られちゃった子。

 奥様にも挨拶したかったけど、ご主人様に出て行けと言われたから、ご主人様にだけお辞儀して、5年ぶりに屋敷の外へ出る。
 ご主人様は、この村の村長様でもあるから、他の家に頼んでも置いてもらえない。
 村を囲っている壁の外に出るのは怖いけど……村の中で見て見ぬふりをされて、死ぬよりはマシかな。

「……」

 壁の外には凶暴な魔物がいて、襲われたという話を時々聞いたことがあった。
 門の先は魔物が常に彷徨い歩いている世界だろうと思っていたけど……凄く綺麗な世界。

「気持ちいい」

 遠くの方まで……緑の大地が青い空との境界まで広がっている。
 植物たちが温かい風の力を借りて違った音を奏でて、ようこそって言ってくれている気がする。

 清々しい解放感……もう、僕が思い通りに動いても殴られない。自由に喋っても蹴られない。
 本当なら、この自由な世界で生きていきたいけど……

「どうしよう」

 ここは魔法協会のある王都が近いから、綺麗な草原が広がっているだけで魔物の姿は見えないけど、草陰に潜んでいた魔物に突然襲われる危険性がある。やっぱりどこかの家に置いてもらった方がいいかな。無暗に動き回るのは危険だけど、門の前で立ち止まっていても誰かが助けてくれるわけじゃない。

「んー。あっ!」

 たしか、ここから魔法協会の建物を背に10キロ真直ぐ行った場所に、小さな村があったはず! そこの村まで行って僕を置いてくれる新しい家を探そう。

―――

「ハァ、ハァ、ハァ」

 あれから、どれくらい走った、のかな?
 途中で爪と尻尾が長いトカゲみたいな魔物と遭遇してしまったから村に行けなかった。
 逃げることに夢中で気づかなかったけど、岩ばかりで草木のない風景が広がっているから、相当走ったんだろうなぁ。

「ハァァ、フゥゥ」

 何とか魔物から逃げ切れたけど、傷から流れる血が全然止まってくれない。
 右肩は魔物が口から飛ばしてきた氷の粒が刺さったから、傷が深いんだ。
 だけど、お腹の引掻き傷は、包丁で指を少し切った時と同じくらいの傷なのに、どうして押さえていても血が止まらないの?

「うっ……ブッ、ゲボッ! ハァ……ハァ」

 な、なんで、口から血が……?!
 殴られている時のように体中が痛い! 景色もグニャグニャする!
 もしかして、あのトカゲみたいな魔物の爪には毒があったのか? 深い傷を与えなくても、毒で弱ったところを狙う魔物だったのか? そうなら、あの魔物が近くに隠れているかもだから、早く逃げ――

「ゴブッ!」

 い、息が……苦しい! 体が思い通りに動いてくれない!
 くそ、くそ! 僕は……僕はここまでなのか? こんな石や岩ばかりで、誰も居ないようなところで死ぬのか?

「……」
 
 もしも……5歳の時に魔法協会で受けた、魔術適正検査で魔力の資質なしじゃなくて、最低のFランクだったら、今でもパパやママと王都で暮らせていたのかな? もしも、僕に魔力の才能があったら……

『フェンリルくん! 生きて!!』
「み……んな」

 極稀に魔力の資質を持たずに生まれた子は、魔法社会において価値がないとして、奴隷として売買される。
 買主が見つかるまでと入れられた、薄暗い部屋の中にある檻の中には、僕と同じ歳くらいの子供が沢山いた。これからどうなるか不安と恐怖で泣いていると励ましてくれたし、お腹がぐうぐう鳴っているのにパンをわけてくれた。

『フェンリルくん! これも食べていいよ!』
『フェンリル! 暇だから腕相撲3本勝負しようぜ!』

 フェンリル……友達が僕のために考えてくれた大切な名前。
 毎日お腹がペコペコで、手足に枷が付けられて動き難かったけど、檻の中で友達と過ごした日々が1番楽しかった。

「ぐっ、ごほげほ! ぐうぅぅ!」

 僕に魔力の資質があったら、自分よりも他人を思いやる優しい友達と会う事も出来なかった!
 もしもなんて叶いもしない願望を考える暇があったら、友達と約束した事を実現させるために、今の僕に出来る事を考えるんだ!

「ゼィ、ゼィ」

 多分……僕に残されている時間は少ない。
 みんなには悪いけど、生きて約束を実現させることよりも、約束を実現させるための糧になる方法を考えよう。

「ふぅ、ふぅ」

 魔法協会がある王都を囲む壁よりも、遥かに高いゴツゴツした山の壁が遠くまで続いている。
 空からゆらゆらと舞い落ちてくる白いものが積もった地面……これが雪って呼ばれているものかな? 雪は寒いところに降って、冷たいものだって聞いた事があるけど、毒のせいで体がおかしくなっているのか、寒さや冷たさを感じない。

 ここまで来る間に、いろいろ考えたけど……糧になる方法が思いつかなかった。神様は僕が約束を実現させるための糧になることすら許してくれないの?

「クゥーン、クゥーン」
「……」

 雪の色と同じ毛の魔物がいる。
 歩くだけでも精一杯だから、今度は逃げきれないだろうけど……どうして襲ってこないんだろう? もしかして、小さいから僕を襲い殺すだけの力がなくて、僕が死ぬのを待っている? いや、埋もれないように頭と前足で雪を掻き分けて、大きな岩を見つめながら鳴いているから、隠れながら僕が死ぬのを待っているというよりも……

「グルルゥ! ガウ! ガウ!!」
「ハァ、ハァ」

 ちょっと不自然だけど、片脚が岩の下敷きになっている。
 やっぱり隠れていたわけじゃなくて、岩から抜け出せずに動けなかったんだね。

「イ゛ッ!!」
「ガルルゥ!」

 頭を撫でようとしたら、左肩を噛まれちゃった。
 僕はもう助からないだろうし、今更傷が増えても大した問題じゃないかな。

「ちょっと、だけ……がまん、してね?」

 もし、もしも……魔物が人間を襲わなくなったら、僕みたいに社会から棄てられても、魔物と暮らしていけるんじゃないか? この魔物を助けることで、魔物と人間が仲良く暮らせる社会の糸口になることを信じて……

「ぐっ、うぅぅ!」

 僕の身長の5倍近くの大きさがあるから当然だけど……重い!
 足は押し戻されて動くけど、岩は全然動いてくれない!

「ワウ! ワオ!!」
「グッ! 絶対に……助けて……あげる、からね」
「ク、クゥーン」

 くそ、くそ! 足元に血が溜まっていくだけで、岩はピクリとも動かない。
 僕はもうすぐ死ぬだろうけど、友達との約束に貢献できず終わるのは、死ぬよりも嫌だ! みんなが僕を助けてくれたように、今度は僕が誰かを助ける番なんだ!!

「ウッオオォォォ!!」
「ワフ! ワフゥ!」
「ヒュー、ゼイ、ヒュー、ゼイ」

 なんとか動かせたけど……体が全然痛くないし、視界の端が暗くなってきた。
 そういえば……あの白い毛の狼みたいな魔物は大丈夫かな?

「クゥーン、クゥーン」

 ふふ、血を止めるために舐めてくれているのかな?

「ワオ―ン! アオ――ン!!」

 ふわふわの毛が温かくて心地いい。

「ワウ?! ワウ! ガウ!!」

 岩に圧し潰されていた右脚の傷を服で巻いたけど、気休め程度にしかならないかな。
 そういえば、僕の体には毒が流れているけど、血を舐めても大丈夫なのかな?

「クゥーン、クゥーン」
「……」

 僕はここまでだ。
 この子を友達の所までは運んであげれないけど……

「魔物さん……僕を、食べて……元気に……」

 だめだ……い、しき、が……。