今度の今度こそ、俺は真剣に三人の話に耳を傾けた。

 この世界でも、前世の記憶を持つ人間は、特殊な魔法が使える。従兄のクロと、その友達のきのみさんが、それに該当する人間らしい。

 きのみさんは回復魔法。今見せたように、ある程度の傷なら何でも修復が出来るらしい。

 問題はクロだった。従兄の持つ魔法は、状態可視と言って。対象の生体エネルギーだか何かを見て、相手の体調やら感情やらを把握出来るんだと説明された。

 そして、俺には心当たりが多すぎた。

 三か月前、引っ越しの当日。初めての同居に、俺が不安だったのを見抜いた時。それ以降も、何やらと俺を気に掛けてくれていたのって。全部、その魔法とやらのお陰だったのか。

 それを勝手に家族だからと勘違いして、クロと居ると何でも出来そうとか、ほざいていた俺が馬鹿みたいじゃないか。まるで道化のようだと思ってしまったから、心に大きな亀裂が出来たような気分になった。

「……悪かった」とクロは頭を下げた。

 俺が欲しいのは、謝罪なんかじゃない。

 じゃあ、どうして欲しいんだよって聞かれても、何も思い付きやしない。

 とにかく頭に血が上ってしまっていた。グシャグシャの感情に怒りの色が混じったから、握りこぶしに力が入った。

 おしぼりの包みがクシャリと音を鳴らしたものだから、持っていたその手を従兄に向かって振りかざした。

 その瞬間、誰かが俺の手を掴んだ。こんがらがった俺の脳が、握った温もりが誰かを特定する暇を与えてくれなかった。

 そのまま真横に引き寄せられたと思った瞬間、柑橘系の香りが俺の背中を包み込んだ。

 温もりの持ち主は、天だった。

 まるで自分の心を与えるかのように、彼女は俺を背中から抱きしめた。それだけで頭に昇った血が、一気に引いていくような気がした。

「……違うから」

 耳元で天のか細い声が聞こえた。泣いているようにも思えた。彼女の嗚咽交じりの声が、自分の心の底にゆっくりと浸透してくようだった。

「……ギムレット。いや、クロ先輩は、おっしいを騙そうなんて、思ってないから」

 俺を抱きしめる彼女の力が、先ほどより強くなったような気がした。正面のきのみさんも、何故か泣きそうな顔をしていた。

 魔法を掛けられたかのように、自分の心は落ち着きを取り戻した。天の声と、きのみさんの表情を見たせいなのだろうか。背中の蒼魔導士と正面の回復魔術師の魔法のせいで、嘘のように怒りは収まってしまった。

「……ソラ」

 クロが両手をテーブルに置き、突っ伏すように頭を下げた。もう大丈夫。という意味で、天の手を握った。抱きしめた方の腕は離してくれたけれど、彼女の左手は俺の右手を掴んだままだった。

「クロくんの気持ちを代弁する、とかいう魔法は使えないんだけどね」

 謎の台詞と共に、きのみさんがミルクティを口にした。

「ギムレットと違って、クロくんは小さいし。カナヅチだから、誰彼にも魔法を使うってこと、しないと思うんだよね」

「今世の俺は泳げるし、カナヅチだとしても関係ない。そして、誰がチビだ!」とクロが顔を上げて、きのみさんにツッコミを入れた。

 俺も背が小さいのを気にはしているが、従兄はこっち以上に低身長がコンプレックスなのだ。

「じゃあ、何で。わざわざソラくんに、ただでさえ微々たる魔力を使ってくれたか、判る?」

「少なくて悪かったな」

 お前が多すぎなんだよ、とクロは不貞腐れた顔をした。俺が首を左右に振ると、きのみさんは花のように微笑んだ。

「クロくんはソラくんが、大好きだからだよ」

 彼女がそう言った瞬間、何故か天が握った手を少し強めた。よく分からないけれど、俺も少し握り返した。

「……当たり前だ。家族だからな」

 クロが少し照れ臭そうに言うと、きのみさんが俺にブイサインを向けた。

「そ、家族だから、特別のスペシャル」

 特別のスペシャルって言葉が面白くて、俺は少し笑った。特別とスペシャルって、同じ意味じゃないか。笑ってみると、さっきまでの自分が恥ずかしくなってしまう。

 クロは魔法を使って、ズルしていた訳なんかじゃない。家族の為、従弟の為に自分が出来る事をしていただけだ。

「ゴメン、クロ」

 俺が少し頭を下げると、従兄も悪びれた様子で詫びてくれた。今となってはクロが言えなかった理由も、納得出来たかもしれない。相手が大事であればある程、関係が変わってしまうのは誰だって怖いに決まっている。

「きのみさんも……」

 回復魔術師にも頭を下げたけれど、気を遣ってくれたのかもしれない。「何のこと?」と、きのみさんは小首を傾げた。

 家族だから、こうしてクロを受け入れるのは出来たけれど。そうじゃない相手なら、もっと怖いに違いない。それを考えると、天も俺に打ち明けるって、凄く勇気が要ったのかもしれない。

「ところでボルドシエルも、こっちじゃソラって名前なの? ソラくんと、ソラちゃんで。ドピォ・シェロなの?」

「ヴァネットシドル語やめろっての」

 いつものきのみさんとクロの漫才に戻ったので、俺はちょっと安心した。自分のせいで二人の関係まで、気まずくなんてさせたくない。

「あなざわ、そら。って言います」

 恭しく頭を下げる天も、いつもの彼女だった。

「成程、もう一人のソラだから、アナザー・ソラなんだね」

 それもヴァネットシドル語なのか、とクロに耳打ちした。アナザーという単語は、英語で「もう一つの」という意味らしい。改めて、俺は自分の脳の出来を思い知った。

「アナザーって、まだ習ってなかったっけ?」と、苦笑いでクロはコーヒーを口にした。

 その瞬間、従兄はむせるように大きくコーヒーを噴き出した。

 俺とクロのトレーが、コーヒー塗れになる。それを見て、隣りの蒼魔導士。あるいは回復魔術師が、妙な魔法を掛けたんじゃないかと思った。だけれど、きのみさんも天も、どっちも驚いた顔をしていた。二人じゃないとすれば、誰がクロをこんな目に遭わせたっていうのだろうか。

「甘いな、このコーヒー!」

 従兄に魔法を掛けたのは誰でも無い、この黒魔導士だったのだ。