少しだけホッとした。
ここのところ私は、弓槻くんと毎日行動を共にしている。もし彼に恋人がいたとして、私のせいで、二人の関係にひびが入ったりしたら嫌だし……。
うん。ホッとしたことに、それ以上の意味はない……と思う。
「そうか。それじゃあ、まだコーヒーの本当の美味しさはわからないのかもしれないね」
「どういうことですか?」
私がそう聞くと、さっぱりした笑みを浮かべて、マスターは喋り始めた。
「良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い。フランスの政治家、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの言葉だ。つまり、愛を知らなければ、コーヒーの美味しさを絶対的に評価するということはできないんだ」
悪魔も地獄も天使も知りようがないんだけど、そこらへんはどうなのだろうか。そう思ったけど、口に出して質問をすることは無粋というものだろう。
「なるほど。それで、『D-HAL』か」
突然、弓槻くんが言った。
「え?」
私はなんのことか理解できなかったが、マスターはまた別の意味で驚きを露わにしていた。
「……すごいな。僕の説明の前に、このことを言い当てたのは君が初めてだよ。素晴らしい」
「……どうも」
褒められてもなお、弓槻くんの無表情の仮面は剥がれない。