「…あのさ、綺」
「ん」
「綺、の……好きってさ、どんな感じにその…恋?なんだろう」
今更すぎることは承知で、私のどんなところが好きで、恋をしたのか。
綺から貰う好きはいつも漠然としていたから、その漠然としている部分を言葉に起こしたらどうなるのかを知りたかったのだ。
「えぇ?」
「どこが好き、とか。気になるじゃん」
「いやぁ……改めて言葉にすんのめちゃくちゃはずかしいな」
「そこをなんとか」
「……恋って、言葉にできないからこそ良いって言わん?」
「言うかもだけど、そこを知れたら世界はひっくり返るよ」
「わからんわからん」
「落ち着けよ蘭」と困ったように綺が笑う。
自分の思う恋を、言葉に起こせたら。
綺の思う恋の概念を知れたら。
そうしたら、私も綺に、ちゃんと気持ちを伝えられるかもしれない。
「どんな感じにったって、好きなもんは好きだから他にどう表現していいかわかんねー…」
ぽつり、冷たい空気に綺の声が落ちる。小さな声量だったけれど、夜に響かせるには十分だった。
「……まあ、しいて言うなら?強いて言うなら、笑っててほしいし、苦しい時は頼ってほしいし、俺が知ってるすげー星空いっぱい見せたいって思うかな。気付いたら、蘭のことばっか考えてる」
「……え、っと」
「でもそれ、俺は、ってだけの話じゃん。恋にもいろんな形があるしなぁ。その人の幸せを願う人もいるし、自分が幸せにしてあげたいって思う人もいてさ、人それぞれだと思うんだよな。俺は、蘭以外の誰といても、蘭だったらこう言うよなとか、蘭だったらこういう風に動くよなとか、全部蘭に置き換えて考えちゃうんだよ」
「……」
「なんか、……相当好きなんだよなぁって、自分のことなのに他人事みたいに思ってる。付き合うとか付き合わないとか、そんなんあんま重要じゃなくてさ、……なんつーのかなぁ、」
綺はいつだって真っすぐすぎる。
「好きなんだよ、蘭のこと。やっぱそれ以外の言い方がない、ウケる」
人を好きになることに、理由は多くなくていい。
誰が何と言おうとこれは恋だ。どんな風にとか、どこがとか、これが恋かどうかとか、私がもやもやと考えていたことなんて、そんなに需要なことじゃなかったみたいだ。
一緒にいたい、もっと知りたい。
私のことも知ってほしい。
でも、それ以上に────
「私も、綺のこと好き」
「だよなわかる───…んえ?」
「好きだよ。それ以外に、言い方ないかも」
好きなんだ、この人のことが。
ただ好きという気持ちを知ってほしいと思う。付き合うとか、彼氏とか彼女とか。そういうの関係なしに、綺と同じ世界を見ていたい。
好きだ、大好きだ。
これ以上に抱えた感情を上手く伝える方法は、私もわからなかった。
「……ぶはっ」
少しの沈黙の後、それを破るように綺の笑い声がした。肩を揺らして笑っている。
「……そんな笑う?面白いこと言ってないよ」
「いや?両想いだなと思って」
「それは、まあ……」
「恋ってラブなんだよな。なんかさ、俺と蘭は、ラブって感じがする。ラブな関係」
「だいぶ意味わかんないよ……」
「あは、そう?」
「私の世界、綺と出会ってからずっとひっくり返ってる気がする」
「それもだいぶ意味わかんねーって」
私と綺はラブ。
意味わかんないけど、それくらいが丁度良いのかもしれない。そんな曖昧で漠然とした関係が、私たちによく似合っている気がした。
「てか蘭、誕生日、暇だったら天体観測行きたい」
「暇じゃないけど、いいよ」
「ツンデレか」
「日中は杏未と予定があるから暇じゃないもん」
「そうやって友達いるアピールするんだ、へえ、ふーん、そう」
「てか寒い。真夜中さんのところ行ってあったまろう」
「肉まん半分こしようぜ」
「私ピザまん派なんだけど」
「まじでぇ?しゃーない、真夜中さんと半分こするわ」
「勤務中だよ真夜中さん。てか食べるとしても普通に1個食べると思うあの人は」
「言えてる」
冬の終わり。空気が澄んだ、真っ白な夜のこと。
ひかり【光】
1 目に明るさを感じさせるもの。太陽・星・電球などの発光体から出る光線。主に可視光線をさすが、普通は赤外線から紫外線までの電磁波をいい、真空中での進行速度は1秒間に約30万キロメートル。「電灯の光」「光を発する」
2 心に希望や光明などを起こさせる物事。「前途に光を見いだす」「オリンピックの金メダルは国民に希望の光を与えた」
3 威力・勢力のある者の、盛んな徳や勢い。威光。「親の光は七光 (ななひかり) 」
4 目の輝き。「目の光が違う」
5 視力。「事故で両眼の光を失った」
6 「光物 (ひかりもの) 4」の略。
7 色・つやなどの輝くほどの美しさ。
「―もなく黒き掻練の」〈源・初音〉
8 容貌・容姿のまばゆいばかりの美しさ。
「昔の御かげ、さやかにうつしとどめたる御―を」〈有明の別・三〉
9 はえあること。見ばえのすること。
「かうやうの折にも、先づこの君を―にし給へれば」〈源・花宴〉
cf.デジタル大辞泉
俺の不甲斐ない過去の話だ。
俺には好きな人がいた。
隣のクラスのその子とは、学校ではあまり関わる機会がなかったけれど、偶然アルバイトの応募をしたカフェで彼女が働いていて、そこから話すようになった。
こんなことを自分で言うのはバカらしいというのは重々承知の上で────運命なんじゃないかとすら思っていた。
俺の好きな人は、明るくてよく笑う、とてもかわいらしい女の子だった。仕事もできるし、バイト先の人とのコミュニケーションも上手にとっていた。一般的に、上手く世を渡っていく、社会に好かれそうなタイプだと思う。
だからまさか、彼女が突然バイトを辞め、さらには学校に来なくなるなんて、想像もしていなかったのだ。
高校2年生の春。
いつも通りバイトに向かうと、「桜井くんは何も聞いてない?」と、主語のない言葉をかけられた。何のことを言っているかわからず首をかしげると、店長さんは困ったように眉を下げて言った。
「名生さんからね、突然『辞めます』って連絡が来たのよ」
「え」
「理由はなにも教えてくれなくてね。ごめんなさい、すみませんって、謝るばっかりでねぇ……。桜井くん、同じ学校だから何か知ってるかと思ったんだけど、何も聞いていないのかしら」
「いえ、何も……」
「名生さん、よく働いてくれていたし明るい子だったから。なにかあったのかしら……、心配よねぇ」
状況がなにも理解できなかった。
春休み中はたくさんシフトにも入っていたし、元気そうに見えた。2年生のクラス替えでも彼女と同じクラスになることはなく密かに肩を落としてから数週間後のこと。
今年こそは、バイト先にとどまらず学校でももっと関わっていきたいなと、心に決めたばかりだった。
クラスが違うからその時の出席状況は分からなかったけれど、それから2週間後、彼女がずっと学校を休んでいることを知った。
不登校になったらしい。
同じクラスの女子、佐藤 麻衣と菊池 志穂、それから藤原杏未がそんな感じの話をしているのをたまたま耳にした。
佐藤は1年生の時によく、すれ違うたびに猫なで声で挨拶をしてきたけれど、特別仲良くした記憶がなかったので、すごく社交的な人なんだろうな、くらいにしか思ったことがなかった。
藤原さんは、佐藤と菊池とはすこし系統が違ったので、どうして仲良くしているんだろうなと不思議に思ったりもしていた。
「ねぇ、蘭のこと、うちらのせいとか言われないよねぇ?」
「言われないっしょ。だってうちら直接的なことなんもしてなくない?」
「だよね。先生も多分、「なんで?」って思ってると思う」
「まあでも蘭、ムカつくしさぁ。一生引きこもってればいーよ、どうせうちらもう友達じゃないし」
「ね。杏未もそう思うよねぇ?蘭ってなんか、うちらのこと見下してるっていうかさ」
「わ、わたしは……え、っと」
「え?なにはっきり喋ってー」
「う、うん、ごめん……」
友達って、そんなに簡単にやめられるものなのか。
そもそも、そんな会話を昼休みに教室でするのって、佐藤と菊池の体裁的に大丈夫なのだろうか。俺に聞こえるということは、彼女の近くに座っていた人にはもっとはっきり聞こえていたに違いない。
聞いていたこっちもとても不快だったので、睨むように視線を向けてみたけれど、佐藤たちは自分が話すことに夢中になっていて俺の視線になど気づきそうになかった。
視界の端で、泣きそうになるのをこらえながら必死に笑顔を繕う藤原さんの姿が鮮明だった。