きみと真夜中をぬけて



せい‐しゅん【青春】


《五行説で青は春の色であるところから》

1 夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代。「青春を謳歌(おうか)する」「青春時代」

2 春。陽春。
「―二三月」〈漱石・草枕〉

cf.デジタル大辞泉





23時───世界がだんだん眠りにつき始める頃。

街の明かりが消え、誰を対象にしているのかもわからない街灯が虚しく灯るだけの夜は、私が一番人間的に活動できる時間だった。



「あぁ、(らん)。今から行くの?」



玄関でスニーカーを履いていると、お風呂からちょうど出た母にそう声をかけられた。耳だけを傾け、「うん」と短く返事をする。



夜に部屋を出ることを日課にしてからもう1年が経とうとしている。

ともに暮らす母は、たとえ夜であろうと外の空気を吸うことを良しとしているようで、「気を付けてね」「スマホもった?」と最低限の言葉を毎日かけてくれるだけだった。







一般的な家庭の基準は分からないけれど、少なくとも私の家は普通とは言い難かったような気がする。


父親は、私が中学2年生の時に他に女を作って出て行った。仕事人間で家に帰ってこない日が多いなとは感じていたけれど、母より若い女に目がくらみ、家族を簡単に手放せるような人だったのだとその時に実感した時は「なるほど」とだけ思った。


愛も恋も共に過ごした時間も、本能に太刀打ちできるほどの力は持っていないらしい。



父の浮気が分かった時、母は「そんな気がした」とあっさり言い放ち、父を責めたりはしなかった。


それから今まで、母が父の悪口を言っているところは一度も聞いたことがないし、泣いているところも見たことがない。かと言って母の笑顔を嘘くさいと思ったことはなかったし、私に恨みや憎しみを抱いているとも感じていなかった。


単純に、弱いところを隠すのがとても上手な人なのだと思う。そんな母を、私はひそかにいつも尊敬していた。




母は果たして普通だと言えるのだろうか。


人より幾分と強い心を持つ母を普通と称するには少々勿体ないような気もする。

如何せん、娘を夜の街に平気で送り出すような人だ。母の娘じゃなかったら、私は今頃社会に対して呼吸困難で、そのまま溺れてとっくに死んでいたと思う。




『若いってのは、それだけで人生の武器だから』



それは、私の自慢の母の常套句だった。



「いってらっしゃい、蘭」

「…うん」


履きなれたスニーカー。半袖の上に羽織る、夜の肌寒さを考慮したパーカー。イヤフォンとスマホは人生の必需品。帰りがてらアイスが食べたくなった時のための、予備の500円。それから​──17歳の私。


全部、夜を超えるための私の武器になる。




「いってきます」



母は、今日も笑顔で私を送り出してくれた。






たどり着いたのは、家から歩いて5分ほどのところにある公園だった。

そこが、私が夜を過ごす場所。



(……濡れてる)


今日は午前中に雨が降っていたから、その影響でベンチが濡れていた。晴れた日はここに座って音楽を聴いたりスマホを弄ったりして2時間ほど過ごすけれど、濡れたベンチに座るような心持はないので、ふぅ、と息を吐いてブランコに向かった。



6月になり、晴れた日と雨の日が交互に訪れるようになった。もう少ししたら梅雨が本格的に始まりそうだ。


ブランコの雫を適当に手で払い、スニーカーのままそこに立つ。「ブランコの立乗りは危ないのでやめましょう」と小学生の時口癖のように言っていた担任は、立乗りをして足を滑らせけがをしたことがあると言っていた。


経験者の言葉に重みを感じるのは、された側の気持ちがわかるからなんだよなと、ぼんやりと幼き記憶を思い返しながら考える。




純粋に学校を楽しんでいたのはいつまでか。


楽しむとは言わずとも、中学校までは、学校に行くことを苦痛だとは感じていなかった。私はそこそこ目立つグループにいたから、交流関係はそれなりに出来上がっていたし、青春だって人並みにはしていた。

友達には恵まれていたと思う。思春期の女子特有のいざこざもなかったし、だれかの影口を言うようなこともなかった。

仲良くすることを苦痛だと感じたことはなく、ただ本当に、青春というものを満喫できていた。




どこから可笑しくなったのか。どこから、私は社会に適応できなくなったのか。

あの時こうしていればとか、あの時こうしなければよかったとか。そんなことを今さら思ってもそこにあるのは過去だけで、今の私がどうにかなれるわけではない。


中学の時に仲良くしていた人たちは今、新しい環境で楽しくやっているのだろうか。


私とは違って、毎日決まった時間に起きて、日中は学校で学びを深め、放課後は各々の青春活動を楽しんでいるのだろうか。



私はもう、学校には行けない───行かない。


学校は青春をするためにあるものだと思っていた。苦くて甘い思い出が当たり前のように刻まれると、そう信じていた。


中学は良い友達に囲まれた。だから、高校でもうまくやっていけると漠然とした確信をもっていた。世界は美しいものだとばかり思っていた。



けれどそんなのは全部、所詮おとぎ話に過ぎなかった。

そこに在ったのは嘘と嫉妬と、軽薄な言葉。
私は、その事実に打ちのめされてしまった。


ひとりで公園で過ごす夜の方がずっとずっと平和で優しいことに気が付いた。

学校に行こうが、立ち止まったままの人生を送ろうが、毎日平等に夜が来る。その事実だけは、生きてる限り これから先も絶対に変わらない。

それだけが、今の私がある理由のような気もした。




「やっぱ夜サイコー…」




夜の風が頬を切る。つめたくて、それがとても気持ちよかった。