星を見上げる横顔が綺麗だった。幸せそうだった。綺をこんなにも幸せで包み込む空を、綺の隣で見れてよかった。
ぎゅっと手を握り返すと、また笑われた。むっと眉を寄せると、開いた手で額をつつかれる。悪戯っぽく笑う顔が印象的だった。
「……あのね、綺」
「うん?」
「……杏未にね、文化祭に、誘われたんだ」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。いつだって私は、綺に話を聞いて欲しくて仕方がない。
けれど今日は、情けないほどに弱弱しいそれを 満天の星空に響かせることに、少し気が引けた。
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「なぁ、蘭」
全部話終えた私を、星を見上げながら綺が呼ぶ。穏やかで心地よい声だった。
「文化祭さぁ、俺の学校、来たらいんじゃん?」
「……え?」
「学校、行きたいけど行きたくないんだろ。会いたくない人とか苦手な人とかいるって思ったら純粋に楽しむのってむずいじゃん。だからいっそ新しい場所にすりゃいいんだよ。友達一緒に連れてきてさ、青春しようぜ」
思いがけない提案に目を瞬かせる。「ど?」と聞かれ、首を縦にも横にも振れずにかしげた。
選択肢になかったのだ。綺の学校に行くなんて、そんな思考は今この場で提案するまで持ち合わせてはいなかった。
「で、でも……綺に迷惑かける」
「え なに?爆弾でも仕掛けんの?それは確かに迷惑だけどなぁ」
「え?いや、そうじゃな……、」
「蘭、」と言葉を遮られる。綺はいつだって、私より私の名前を大切にしてくれている。それが伝わるからこそ、私は何も言えなくなる。
「俺ら まだ子供だしさぁ、ワガママなんかいっぱい抱えて生きていいんだよ。1年やそこら学校に行ってないからって、青春の権限が無くなるわけじゃない。勝手にひとりで大人になろうとすんなよ」
綺の言葉を否定することは、私のことを否定するのと同義な気がしてしまうのだ。
「迷惑とかないよ。俺が、蘭と青春したいから言ってんだ」
綺の瞳の中で、私が揺れていた。
「好きな人と文化祭って学生の夢だよ、なぁ蘭。叶えてくれるなら、俺は蘭がいい」
「……それは、いつもの告白?」
「いつものってなぁ…そんなマンネリ化してるみたいな言い方すんなよ。俺のラブはいつだって最新だわ」
そうだった。綺はいつだって大真面目に私に告白をしてくる。それが恋かどうかの問題なんて、そこまで重要じゃない。綺に好きだと言われるたび、自分を大切にしようと思えるのだ。
青春がしたい。もう戻ってこないと分かっていても、私が一人で超えることしかできなかった日々を追いかけたい。
叶うのなら───大切な人たちと。
「……本当に行ってもいいの?」
「あたりまえよ」
「制服……着よっかな」
「…おぁ、まじ?それはもうなんだ?あのー…なんだ、バクハツするやつだ?諸々が」
「語彙死んでるよ綺」
「いや元はと言えば蘭が」
「ねえ、あれ何座かなぁ」
「おい聞け 話を」
天体観測は、次の約束をして終わりを迎えた。心に寄り添うみたいに、これでもかってほど煌めく星空を、私は一生忘れないのだと思う。
幸せだ、と思った。
くう‐はく【空白】
[名・形動]
1 書類などの書き込むべきところに、何も書いてないこと。また、その部分。
2 継続しているものの一部分が欠けていること。何も存在しないこと。また、そのさま。ブランク。「記憶の空白を埋める」「空白な(の)時間」
cf.デジタル大辞泉
「蘭ちゃん、こっちこっち!」
制服を着た杏未が、私を見つけてブンブンと手を振っている。その姿をとらえ、私も小さく手を挙げた。
9月上旬───綺の高校の文化祭、当日。
学校の最寄り駅で待ち合わせをし、昼前に私たちは落ち合った。
「お、お待たせ」
「ううん!てか蘭ちゃん、やっぱ身長伸びたよね?スカート何回折ってる?」
「あ、2回…」
「え、だよねぇ?わたし3回でこれだよぉ。目線違うの、気のせいだと思いたかったぁ」
「……杏未は縮んだ感じ?」
「あはっ、蘭ちゃんそれ禁句!」
今朝の話。
ワイシャツの袖を3回ほど捲り、ボタンは一番上だけ開ける。ネクタイを結ぶのは実に1年半ぶり。スカートは2回折っただけで膝上10cmになったから、あの頃に比べて身長が伸びたのかもしれないなーと、等身鏡にうつる自分の姿を見て思ったのだ。
杏未と並んで歩く機会が増え、共に学校に行っていた頃より目線の高さに差異がある気がしていたけれど、気のせいではなかったようだ。
ろくに太陽の光も浴びずに長い時間を過ごしていたのに、そんなことお構いなしにまだまだ私も育ち盛りなんだなぁと、そんなことを思ってなんだか笑えた。
「日之出くんの高校ってさ、制服めっちゃ可愛いよねぇ」
「女子人気あるとこだったっけ」
「そーそ。文化祭、毎年すごいって話!行ってみたいなーって思ってたけど、知り合いいないから諦めてたんだぁ」
「そうなんだ」
「しかも蘭ちゃんと一緒!今日はもう超ハッピー!」
ふふっと可愛らしく笑う杏未につられて私も笑う。
綺と杏未は、文化祭の話か出た後に一度だけ顔を合わせたことがあった。
夏の間、公園は暑いから夜のコンビニで私と綺はほぼ毎日アイスを食べている という話を、杏未にふらっとしたところ、「わたしも今度行ってもいい?」と提案されたのだった。
杏未に手紙の返事を出した時に、私の夜の行動については少し触れていたから、ようやく杏未とも夜を超える日が来たことが、その日はとても嬉しかった。
綺の絡みやすい性格もあって、最初は少し緊張していた杏未もあっという間に打ち解けて話をしていた。思い返せば、私が初めて綺と会った日も、初対面とは思えないほどテンポの良い会話を交わした気がする。
綺の持つ柔らかい雰囲気は、人を惹き込む力がある。
そのことを改めて自覚して、綺はやっぱりすごい、と心の中で思った。
「あー、ほんっと楽しみ!」
「……私も」
「蘭ちゃん可愛いから声掛けられちゃうかもなぁ。絶対わたしから離れないでね。蘭ちゃんのことはわたしがまもるので!」
「逆じゃない?私が杏未のこと守るし」
「あれ?わたしたち付き合ってる?」
「かも?」
「あははっ!テンションあがってきた!」
夏の暑さはまだまだ残るけれど、空気は少しずつ涼しさを取り戻していた。目的地への歩みを進めながらそんな会話をする。
杏未は本当に楽しそうだった。歩くにはちょっと長い道のりを歩いている今だって、ニコニコと幸せそうな顔をしている。
私と一緒に学校行事に参加出来ることが本当に嬉しいみたいだ。
実を言うと、昨日の夜はあまり眠れなかった。
と言うのも、綺と私の基準はいつだって夜だったからだ。日中に会うことも多くはなっていたけれど、学校というひとつの場所に居る綺のことはまだ全然知らない。
綺を取り巻く環境を知りたいけど、怖かった。
だってあの・・綺だ。フレンドリーで明るくて人を救うことが出来る彼が、人気じゃないわけが無い。友達だってきっとたくさんいて、私が来たことにすら気付いてくれないかもしれない。
綺と自分が息をする世界がまるで違ったら、どうしようもなく夜に逃げ出したくなってしまいそう。それが少しだけ、怖かった。
「蘭ちゃん、大丈夫!」
すると、不意に隣からそんな声が聞こえた。視線を移すと、杏未が「大丈夫っ!」と、同じ言葉を繰り返す。
根拠の無い言葉は信用出来ないのに、綺のそれと同様に、杏未の「大丈夫」もまた、どこか安心感があった。