「いよぉーっす! 相変わらず閑古鳥だなぁ!」
勢いよく店に入って来た男に、眉根を顰める。ぴっちりとした白いTシャツから日に焼けた筋肉質の腕を晒した男はそんな事お構いなしと言った風にカウンター席にどかりと腰掛けた。
「朔(さく)。前にあんたの馬鹿力で戸を壊されたのを覚えているかい? また壊されるのはごめんだよ」
じろりと睨まれ、朔は垂れ気味の大きな目をぐるりと戯けるように回した。
「おお怖や怖や。そんなのもう五十年も前だろうが。天泣(てんきゅう)よ」
「四十五年だよ。全く。遂に呆けちまったのかい」
天泣が溜息を吐くと。朔はジーンズのポケットからスマートフォンを出して何やら弄り始めた。
「また人の世で悪さしてんのかい? 懲りないねぇ」
「サスティナブル・エコノミック・アクティビティ(持続可能な経済活動)と言えよ。人里に降りて騙し騙されなんて前時代的な遺物だ。今は相場を掻き回してるがな」
「あたしにゃ、横文字はさっぱりだけどやってる事は同じじゃあないかい。佐渡の団三郎の名が泣くよ」
「その名で呼ぶんじゃねぇやい……なぁ天泣、お前ぇさんは天狐の次に霊力がある空狐なんだ。こんな所に閉じ籠もって茶屋の真似事をいつまで続ける?」
天泣はカウンターを台拭きで拭きながら笑った。
「さてねぇ。風の向くまま気の向くまま。人生空模様の如しってね。ただの道楽だよ」
「俺にゃわからねぇなぁ。あ、そうだ新作の菓子が出来たからよ。持って来たぜ」
いそいそと朔はその姿に似合わぬ、四角い風呂敷包みを掲げた。
「アンタもITだか何やらの社長の癖に菓子作りは好きだねぇ。百年は続いてるじゃあないか」
「バカ言え。菓子作りは百五十年だ。耄碌しちまったか。古狐」
「お互い様だよ。古狸」
「相変わらず減らねぇ口だ……そういや、ウチの子会社の出版社がな。面白ぇ本を出したからついでに持ってきたぜ。ほら」
渡された文庫本の表紙を見て、天泣は細い眦を更に細くした。
タイトルは【翠雨喫茶店】。雨の日だけ開く喫茶店と、訳ありの客達のストーリー。
「ふふ。雨は上がったみたいで。よござんした」

雨の日にだけひっそりと開く茶房。
其処は長い長い時を生きる古狐のほんの気まぐれと道楽で出来た店。

もし雨の日に見つけたならば、どうぞお越しくださいまし。