「とっとっとっ、頭弁(とうのべん)さま~~~~!」

 清涼殿の南、校書殿(きょうしょでん)の一角にある蔵人所。蔵人達の直属の上司である頭弁のもとへ、斎が駆け込んできたのはその日の昼頃のことだった。
 
 書類の山に囲まれた頭弁が煩わしげに文机から顔を上げると、斎は今にも泣きそうな顔をしている。花琉帝の腹心でもある若き頭弁・藤原(ふじわらの)真成(まさなり)は、厄介事の気配を感じ取ってあからさまに眉をしかめた。

「どうした」
「じじじ実は私、腹を壊してしまったのです……。それで、腹下しの薬をいただきたくて……」
「なぜそれを私に言う? 薬なら典薬寮でもらってくればよい」
「その、それが……」

 いつも物怖じせず快活にしゃべる斎が、もじもじとうつむき加減に言葉を濁す。

「たくさん、欲しいのです……。でも私が典薬寮へ行くと理由を聞かれてしまうので、頭弁さまのお力で用立てていただくわけにはいかないかと思いまして……」
「理由を言え」
「でも……」
「理由も聞かずに協力するわけがなかろう」
「ぜったいぜったい秘密にしていただけますか!?」

 頭弁のもっともな応答に、斎は涙目で何度も何度も「内密に」と確認した上でようやく事情を話し出した。

「実は先ほど、帝からのお遣いで登華殿へ行って参ったのですが……。登華殿の女御さまは気難しくていらっしゃるので、先触れを出してから伺ったところ、その……。ろ、廊下に、足の踏み場もないほど大量の糞尿が散乱しておりまして……!」

 そこまで聞いて、頭弁は「ああなるほど……」とすべてを察した。
 後宮では昔から、帝のお召しに参上しようとする女御や更衣の移動を妨害するために、通り道に動物の死骸や糞尿を撒く嫌がらせがあったと聞く。つまりこれは、帝の遣いで登華殿へ渡ろうとした斎への女御からの嫌がらせなのだ。
 帝からただの一度もお渡りのない登華殿の女御にしてみれば、斎は帝の寵愛を独り占めする憎い女。わざわざ先触れの報を受けてから準備するとは、ずいぶんと慌ただしい。