帝は悠々と懐から檜扇を取り出して開いた。

「お前は私にふたつの願いを口にした。私はそのうちの片方を守ろう。そしてお前も、私の願いの半分だけをきく」

 その提案に、斎はきょとんと首を傾げた。

「私はふたつも願ってはおりませんよ?」
「お前は私に何と望んだ?」

 言われて「うーん」と、先日のやりとりを思い出す。

「えっと、“左のおとどの末姫さまを娶り、中宮をお立てください”と――――あっ」

 そこでやっと斎も気付いた。
 左大臣家の姫を娶ること。中宮を立てること。
 これらは聞きようによってはふたつ分の願いだと取れなくもない。隣の花琉帝を見上げれば、彼は扇で口元を隠し上品に微笑んでいる。

「ああ。そして私はお前にこう願った。“女に戻り、私の妻になれ”と」

 ここにきてついに、斎以外の全員が帝の思惑を理解する。

「言うなれば、これは願いの折半だ。私はお前の願いを半分きいて、中宮を立てる。そしてお前は――私の妻になりなさい」
「えっ、あっ、えっ?」

 皆が温かい眼差しで見守る中、斎だけが大混乱に陥ってうろたえる。何かを訴えようと焦って四方を見渡し、だが言葉は出て来ずに口をぱくぱくさせている。

「――(セイ)

 わたわたとせわしなく上下する手を、帝が取った。わずかに力を込めて引けば、斎の澄んだ瞳に映るのは目の前の帝だけ。

「ずいぶんと遠回りしてしまった。五年前の即位の時、“私の妻になってほしい”と言ったあの時……。私はもっと言葉を尽くすべきだった。己の心を臆することなくさらけ出し、真摯に乞うべきだった。“お前のすべてがほしい”と」

 何かを問い返すより早く、斎の身体がふわりと浮いた。帝が抱き上げたからだ。帝は斎の小さな身体を皐月の陽光の下に掬い上げて、穏やかな朽葉色の瞳を細めた。そうして、歌うようにやさしく、万感の思いを込めて告げる。

(セイ)、私の小鳥。私の妻に、中宮になってほしい。――お前を、愛しているんだ」

 その瞬間。
 わぁああああ、とこの日一番の歓声が爆発した。誰もが疑いなく、新たな中宮の誕生を確信していた。

「左大臣どの、よろしいので?」

 右大臣につつかれて、左大臣は大きなため息をついた。

「……儂とて引き際は心得ておるわ」

 帝はまるで天上から賜った宝を掲げるかのように、斎を頭上に高く抱き上げた。愛しいもののすべてを己の目に焼き付けて、それからそっと、だいじにだいじに懐に抱く。
 大きな腕と祝福の喝采に包まれながら、斎はこの時ようやく理解(わか)った気がした。

 “あいしてる”。
 自分はただこの言葉を、ずっとずっと待っていたのかもしれないと。男女の愛の永遠を信じさせてくれる、帝のただこの一言を。

 何かひどくあたたかく、それでいてどっしりとせつないものが胸の奥につかえて、斎は上手く言葉を返せなかった。代わりにぼろぼろ、ぼろぼろと珠のような涙が目からこぼれ出す。
 だから斎はただ無言で頷いて、ぎゅっと帝の首根っこにしがみついた。

 この涙が止まった時には必ず、「私も愛しています」と伝えるのだと決意して。