結局、斎はほとんど眠ることなく翌日の出仕を迎えた。

 まだ空が白み始める前から参内し、今か今かと帝のお出ましを待つ。そして帝の給仕を務める六位蔵人が清涼殿から膳を下げるのを確認するなり、御座所に乗り込んだ。

「主上! 至急に奏上いたしたきことがございます!」
「……お前、何しに来たんだ?」

 朗々と張り上げた声は何者かに遮られる。見れば帝の御前には既に頭弁・藤原真成がいた。
 まさか先客がいるとは思ってもいなかった。しかし今さら言葉を引っ込めることもできない。斎はドンと床を鳴らして気持ちを奮い立たせた。

「主上! お聞きください!」
「なんだい斎。今日はずいぶんと早いね」
「主上! 左のおとどの末姫さまを妃としてお迎えし、中宮をお立てくださいませ!」
「お前、何を言って――」

 あわてて立ち上がり斎を諫めようとした頭弁は、言いかけた言葉を失った。御簾一枚隔てた帝の纏う空気が、明らかに変わったからだ。

「それは左大臣の入れ知恵かい?」

 まるで子供をなだめるように穏やかに問う声の調子は、いつもより一段低い。しかし斎は気付いているのかいないのか、まったくひるむ様子がない。

「いいえ。この斎めが自分で考え、出した結論にございます!」
「へえ」
「主上の尊き血を次代に繋げることは、広く民草のためにも必要なことでございます。そのためには尊き方を正室としてお迎えし、一刻も早くお世継ぎを――」
「――(あなど)るなよ」

 その言葉が発せられた瞬間、周囲の温度が一気に冷えた。
 さすがの斎も、これには気圧されてびくりと肩を震わせる。花琉帝は静かに茵を踏んで立ち上がると、御簾の奥から斎を見下ろした。

「いち臣下であるお前が、不遜にも私に意見しようと言うのか?」

 花琉帝はこれまで、斎に対し高圧的に振る舞ったことは一度もなかった。だが今の帝の全身には、見る者を圧倒する王者の威容が満ちている。

「それはその……。とっ、時には諫言(いさめごと)も必要なことにございますれば!」
「今すぐこの場から立ち去り二度と同じことを口にせぬのなら、今の戯れ言は聞かなかったことにしてやろう」
「いいえ、何度でも申し上げます! 主上は左のおとどの末姫さまを後宮にお迎えし、中宮をお立てくださいませ!」

 はっきりと不快を口にする帝。斎はそれでも一歩も退かない。だが、その足下はぶるぶる震えている。場に漂う異様な雰囲気に頭弁も割って入れず、ただふたりを交互に見比べることしか出来ない。
 御簾を挟んで一触即発のにらみ合いがしばし続き――