──六月のある晴れた日。ここは東京(とうきょう)新宿(しんじゅく)区内にある、〈篠沢(しのざわ)グループ〉が経営する結婚式場。

「わぁ、スゴい。わたしじゃないみたい!」

 真っ白なベアトップのウェディングドレスに身を包み、式場スタッフによるヘアメイクを終えたわたしは、控室の大きな鏡の前で顔を(こう)(ちょう)させてはしゃいでいた。

 わたしは篠沢絢乃(あやの)。まだ十九歳だけれど、日本国内では五本の指に入る総資産を誇る大財閥・〈篠沢グループ〉の会長である。
 というのも、わたしは先代会長だった亡き父・篠沢源一(げんいち)の一人娘で、わたしに会長の椅子を()がせたいいというのが父の遺言(ゆいごん)だったからだ。

 篠沢家の当主は母・加奈子(かなこ)なのだけれど、それは父が婿養子だったためである。
 母もまた先々代の会長だった祖父の一人娘で、祖父も本当は母を自分の後継者にしたかったのだと思う。でも、母はまったく別の職業を選んだ。中学校の英語教師という道を。
 そんなわけで、母と見合い結婚した父が祖父の引退後に会長に就任したのだった。

 ──それはさておき。

「梅雨の時期にこれだけいいお天気に恵まれるなんて……。わたしと(みつぐ)の結婚は、みんなから祝福されてるのかな」

 独りごちたつもりだったけれど、後ろから返事が返ってきた。

「──そうみたいですね、絢乃さん」

「貢! いつからそこにいたの!?」

 わたしを〝さん〟付けで呼んだ、白いタキシードにブルーのタイを結んだ彼こそ、今日からわたしの伴侶(はんりょ)となる旧姓・桐島(きりしま)貢だ。
 彼はわたしより八歳年上なのだけれど、わたしが会長に就任した日から秘書を務めてくれている人で、普段から年下のわたしに敬語で接している。

「ああ、すみません! 控室のドアが開いていたもんで、もう入っていいのかと思いまして。ひと声かけたらよかったですね」

「ホントだよー。急に入ってきたらビックリするじゃない!」 

 わたしは口を尖らせてから、レースのショートグローブで覆われた手で控室のスツールを示して「そこ、座って」と彼を促した。
「――ねえ貢。わたしたちが出会ってから、色んなことがあったよね」

「そうですね……」

 彼はわたしの言葉に、また敬語で相槌を打った。
 出会った日からずっと、彼はわたしに対する敬語をやめない。いくら「やめてほしい」と頼んでも、だ。
 そりゃ、彼にとってわたしは元雇い主の娘で、今の雇い主でもある。でも、結婚する以上は対等なのだから、これからは普通に打ち解けて話してほしいと思うのはムリな話なのだろうか?

 けれど、わたしはもうそこをツッコむのを(あきら)め、思い出話に戻ることにした。

「最初の出会いは、パパの誕生パーティーだったっけ。貴方(あなた)がわたしに一目ぼれして」

「……それはもう忘れて下さいよ」

 思い出し笑いをするわたしを、彼は(にら)みつけた。
 一目ぼれって、そんなに恥ずかしいことなのだろうか? それとも、年の離れた女子高生が相手だったから決まり悪かったのかな?

 でも、わたしは彼と出会ってから起きたこと、日々の彼の優しさや思いやりをひとつも忘れるつもりはない。 
 だって彼は、わたしが生まれて初めて好きになった男性(ひと)だから。

「あの出会いは、わたしたちにとっては運命だったのよ。たとえ、どんなキッカケだったとしてもね。だからわたしは絶対に忘れたくない」

 「絢乃さん……」

 キッパリと言い切ったわたしを、彼は(ほう)けたように見つめる。
 これだけは、胸を張って言える。この先、誰から結婚のなれそめを()かれても、わたしは堂々とこの話をするだろう、と。

「――絢乃さん、今幸せですか?」 

「うん」

「ホントに(ぼく)でいいんですか?」

「うん」

 自信なさげに質問を連投してくる彼に、わたしは力強く(うなず)いて見せる。
 だって彼は、自分から「お婿さんにしてほしい」と言ってくれた人なんだもの。

「わたしは、貴方と一緒じゃないと幸せになれないから。それに、天国のパパも他の人を認めてくれないと思うの」

 十九歳で結婚なんて早すぎるかな……と思ったけれど。父が生前、彼のことを気に入ってくれていたからこそ、わたしは彼との結婚を(ちゅう)(ちょ)しなかったのだ。
「そうですね。お義父(とう)さまもきっと今ごろ、天国でお喜びになっているでしょう」

「うん。きっとそうね」

 彼の言葉が(うれ)しくて、わたしも同意した。


 ――彼はふと、鏡の前の台に置かれたブーケに視線を移した。

「このブーケって、プリザーブドフラワーでできてるんでしたっけ」

「そうよ。半永久的に枯れないお花。わたしたちの関係も、そうなれたらいいなあと思って」

 結婚式のブーケをオーダーした時、生花(せいか)を選ぶこともできたのだけれど、わたしはこちらを選んだ。
 予定では式の後、ブーケトスで幸せのお裾分けをすることになっている。半永久的に枯れないこのブーケは、受け取った人の幸せを枯らすこともないだろうと思う。
 今日は幸い、この晴天だ。間違いなくブーケトスは行われるだろう。

「――それにしても、あの日はホントに大変だったよね」

 わたしは再び、出会た夜の話題に引き戻した。

「えっ? ……ああ、僕と絢乃さんが出会ったあの夜のことですね」

「そう、あの夜」

 わたしは頷く。二人のなれそめを語る時、あの夜の出来事を切り離すことはできない。
 まだお互いのことをほとんど何も知らず、わたしと彼は出会ったのだ。組織のトップの令嬢(むすめ)と、父親が所有するグループ会社に(つと)めるイチ社員として。

 ――二人の出会いは、今から二十ヶ月前。二年前の十月(なか)ばまで(さかのぼ)る――。

 ――その日は父・源一の四十五歳の誕生日だった。グループの本社・〈篠沢商事〉の大ホールを貸し切り、父のバースデーパーティーが盛大に行われていた。

 和・洋・中華・エスニックなどの料理がビュッフェ式で並べられ、アルコールも提供されていた。全国のグループ企業から、管理職以上の人たちが招待されていて、その人数たるや相当な数になっていた。

「――んもう! パパったら、どこに行ったんだろう?」

 当然ながら、身内なので母と一緒にパーティーに出ていたわたしは、あの時一人で会場内を駆け回っていた。一人でフラフラとどこかへ行ってしまっていた、当時すでにあまり体調のすぐれなかった父を探すために。

 膝下丈の、淡いピンク色のパーティードレスは裾がジャマで走りにくかったし、ヒールの靴で転ぶのも怖かったので、「走る」というより早歩きに近かったけれど。

「どこかでひとりで倒れてたらどうしよう……。なんか心配だわ」

 一度立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回す。――その時だった。彼の存在に気がついたのは。

 彼が明らかに会場内で浮いているなと感じたのは、彼ひとりだけがものすごく若かったから。

 着ていたのはグレーのスーツだったけれど、まだ着慣れない感じが見て取れた。多分、入社して五年も経っていないんじゃないか……。わたしはそう推測したのだ。

 それともう一つ、管理職以上の人ばかりがいる中で、彼は腰が低かった。当時、ウチのグループにこんなに若い管理職はいなかったはずだし、彼は何だか居心地も悪そうだった。

 何より、あの会場で自分にもっとも歳が近そうな彼に、わたしが親しみを感じたのも事実だった。
 嬉しくなったわたしがニッコリ微笑んで会釈(えしゃく)すると、彼も丁寧にお辞儀を返してくれた。

 ……この人、とっても感じがいいな。わたしはすぐ彼に好印象を持った。これが〝恋〟の感情なんだと知ったのは、この数ヶ月あとだったけれど。

「――あっ、いけない! パパを探してる途中だったんだ!」

 わたしは彼をもっと見ていたいという誘惑を頭の中から払いのけ、再び広い会場内を早歩きで移動し始めたのだった。
 その時、母がさっきの彼と何か話している光景がわたしの目に飛び込んできた。
 母は彼を楽しそうにからかっているようで、それに対して彼は何だか(きょう)(しゅく)した様子で、母にペコペコと頭を下げていた。

「ママ、あの人とどんな話してるんだろう……?」

 二人の様子も少し気になったけれど、その時の優先順位は父を探すことの方が上だったので、その疑問はとりあえず頭の隅っこに追いやった。

「――あっ、いた! パパー!」

 その少し後、わたしはバーカウンターにもたれかかっている父の姿を見つけた。

「絢乃、どうしたんだ? そんなに血相かえて」

「どうした、じゃないでしょう? パパのことが心配だったの! 最近、具合悪そうだし、食欲もないみたいだから……」

 そう言いながらカウンターの上にチラリと目を遣れば、ウィスキーの水割りが入ったグラスが。

「お酒……飲んでたの? ママに止められてるのに」

「安心しなさい、絢乃。これで()()一杯目だから。誕生日くらいいいだろう、大目に見てくれ」

「もう、パパったら!」

 わたしは心配をかけた父に怒ってもいたけれど、わたしや母の前では子供みたいにダダをこねる父が憎めなくて、ついつい笑ってしまった。
 これでオフィスにいる時には、堂々たる経営者の風格をたたえているのだ。そんな父のギャップを見られるのは、家族である母とわたしだけの特権だった。

「仕方ないなぁ……。じゃあ、それ一杯だけでやめてね? ママもそれくらいなら許してくれると思うから」

「ああ、すまないな。絢乃もいつの間にか、こんなに大人になったんだなぁ」

「パパ、わたしまだ高校二年生なんだけど」

 わたしはそうツッコミを入れたけれど、多分父が言いたかったのはそういうことじゃなかったと思う。
 父に説教ができるくらい、成長したと言いたかったのだ。

 ちなみに、その時わたしが高校二年生だったというのは事実である。
 わたしは初等部から、(はち)(おう)()市にある私立(めい)(おう)女子学院に通っていた。
 女子校に入ったのは父と母に決められたことではなく、わたし自身の意思だった。「制服が可愛いから」というのがその理由である。
 父も母も、わたしの教育に対して厳格(げんかく)ではなかった。どちらかといえば、「お嬢様だから箱入り娘」という考え方はナンセンスだと思っていたようだ。世間のことは、ちゃんと知ってほしいという考えだったのだと思う。

 その証拠に、両親はわたしの意思をちゃんと尊重してくれて、わたしが「やりたい」と言ったことには何でもチャレンジさせてくれた。学校へも電車で通学していたし、放課後に友達と買い物を楽しんだり、カフェでお茶をしたりといったことも禁止されなかった。

 だから、わたしはのびのびと学校生活を送ってこられた。習いごとを押し付けられることもなく、でもわたしが「これ習いたい!」と言えば、希望は叶えてくれていた。

 ――それはさておき。

「――あら、あなた。こんなところにいたの。……まあ! お酒はダメって言ったじゃない!」

 父とわたしで楽しく談笑していると、母がやってきて開口一番で父の飲酒を(とが)めた。

「あなた、体調があまりよくないんでしょう? それなのに飲酒なんて――」

「ママ、そんなに目くじら立てないで。今日はお誕生日なんだから、それくらい許してあげて」

 わたしは父の肩を持った。特にファザコンというわけでもなかったのだけれど。

「ね? お願いママ!」

「…………しょうがないわねぇ。ここは絢乃に免じて、許します。ただし、その一杯だけにして下さいね?」

「分かった。加奈子、君にも心配をかけてすまないね」

「ありがとう、ママ!」

 父は母に頭が上がらなかった。それは父が結婚前、〈篠沢商事〉の営業部の社員だったから。
 営業部の部長の勧めで、父は当時会長令嬢だった母とお見合いし、その日にすぐ意気投合したそうだ。結婚を決めるのに、それほど時間はかからなかったと聞いた。

 でも、政略結婚ではなくてちゃんと愛のある結婚だったので、父は母のことを本当に愛していたと思うし、わたしのこともすごく大事に思ってくれていた。わたしたち親子三人は幸せだった。
 
 この二人の娘に生まれてきて本当によかった。わたしは今でも胸を張ってそう言える。
 父のことが大好きだったし、尊敬もしていたから、わたしも幼い頃から自然と父の後を継ぎたいと思うようになっていた。

 ――そんな幸せな時間は、その後すぐに崩れ去った。