『右へ行け』

 耳元で声がして思わず左耳を塞ぐ。声を無視して真っ直ぐ進む。目的地にむけて直進して予定通り左に曲がる。
 ほら、やっぱり普通に着いた。

 私の耳元で誰かが囁くのは昔からのこと。その声はいつも同じ落ち着いた男性の声。いわゆるイケボというやつ。ただ、一方的にちょくちょく囁かれるものだから、どちらかというとイラつきが大きい。地元を離れて聞こえなくなっていたから忘れていたけど、地元に戻ったら再発した。
 昔この声が何なのか親に聞いたら、怪訝な顔で神様かなんかじゃないのと言われた。どうせ幻聴かなにかの類。そんなわけで私は声を無視して生活していた。だって従っても何も起こらないから。その時々でたまたま声に従ったりすることもあるけど従わないことが大半。でもそれで何か幸不幸が訪れることもなかった。
 声はいつも方向を指示している。

『上に行け』

 ほらまた。左耳を塞ぐ。そもそもここは河原で上なんでないし行きようがない。空を飛べとでも言うのだろうか。だんだん声が不快に感じてきて、ぞわりと肌が粟立つようにまでなった。今日は特に回数が多い。久しぶりだからだろうか。

 今日は中学の同窓会だ。はがきが舞い込んで、懐かしいと思って『参加』に丸を付けて投函した。私は親の転勤について高校からこの町を出たから、本当に久しぶりの郷里の集まり。会場は川原でBBQ。肉が焼ける音と香り。けれども何人かの仲が良かった友人も地元同士で繋がり合っていて、縁の薄い私はその繋がりから少し浮いていた。

「あれ? 久しぶりじゃん」

 少しの疎外感を感じていた時に聞こえた懐かしい声に振り返ると、昔家が隣だった幼馴染がいた。最後に見たときと殆ど変わっていなかった。懐かしい。

「久しぶり。遅れた?」
「うん、ちょっと混んでてさ」
『右へ行け』

 声が聞こえて思わず左耳を押さえて目を上げると、目の前で彼も右耳に手を当て、私の視線に気づいて少し驚きで眉を上げた。

「ひょっとして聞こえる?」
「うん、左へ行けって」

 私と逆? そうか、向かい合っているから私の右は彼の左。

「行ってみる?」
「何も起こらないよ」
「僕もそうだった。でも2人なら何か起こるのかも」

 久しぶりの再開と共通点が面白くて、私達は声に従うことにした。内容は一致したけど、やはりデタラメでどこにもたどり着けず、県境を超えたところで声は聞こえなくなった。

「結局何なんだろ」
「そういえば最初に聞いたのは君の家に行ったとき」
「あれ? 私もあなたの家に行ったときかも」
「ひょっとして聞こえるべき声が僕と君で逆になってる?」
「どういうこと?」
「僕が聞くのは君宛で、君が聞くのは僕宛。実は全部逆?」
「あぁ。私に聞こえる右に行けはあなたに対する右に行けだってこと?」

 ややこしくて少し混乱する。けれどもまだ日は高い。時間はまだある。私達はお互いに聞こえる声を伝え合いながら、探検を再開した。
 それは何か不思議な言葉の交換で、少しわくわくした。
 そうするとまたBBQ会場に辿り着き、そこを超えて私達を誘った。確かに逆と考えればここに戻って先に行くことに合理性はある。
 従うどころか遠ざかっていたのか。
 お互いが相手のメッセージを聞いているなら、一緒にいない限り向いている方向も場所もバラバラ。どこかに辿り着けるはずがない。

 いつのまにか私達は昔に戻って手をつないで川縁を歩いていた。
 中学の頃付き合ってたんだっけ?
 なんとなく記憶がぼんやりしている。そう思い出して彼に声をかけようとして、彼の顔が真っ青になっていることに気がついた。

「どうしたの?」
「嫌な、予感がする。この先に行きたくないような」
「やめる?」
「いや、でも、はっきりさせたい。そうすべきって感じる」

 道はだんだん細くなり、いつしか風景に木が増えた。あれ、私も何かひっかかる。ええと。

「思い出した」
「何を?」
「君も忘れてたんだね」
『ここだ』

 そこは古びた神社の小さな境内。あれ? あ。
 昔はなかった手すりを急いで越えて茂みをかき分けるとその先は唐突に崖で、下に川があった。

「多分この辺……あった。随分遅くなったけど、誕生日おめでとう」

 彼が拾ったのは茂みの奥に落ちていた薄汚れた白い紙箱。開くと猫のストラップは無事だった。

「今のスマホは着ける所ないのに」

 自然と涙が伝う。何故忘れてたんだろう。今日と同じ、私の誕生日。
 あの日この神社に彼に呼び出されたんだ。それで告白されて恥ずかしくて、思わずよくわからない方向に逃げちゃったら川に落ちそうになって、危ないって手を引かれて彼が代わりに川に落ちた。辺りを探しても見つからなくて、ひょっとしたら帰っているかもと思って彼の家に飛び込んだけど結局彼は見つからなくて。それで私の家族はこの町にいられなくなって高校を機に引っ越したんだった。

「ごめん」

 どうしてあなたが謝るの?

「僕は幽霊になって君に会いに行ったんだ。このプレゼントを探したけれど見つからなかったから謝りたくて」
「私もあなたを見つけたくてあなたの家に行ったの。忘れててごめんなさい」
「いいよ。きっとここの神様が僕らの家に伝言をくれたんだと思う。逆さまだったから気がつくのに時間がかかっちゃったけど。それより」

 彼は居住まいを正して少し緊張する。

「好きです、付き合ってほしかった」
「私も好きだった」

 彼は少し背伸びして私にキスをして、さらりと空気に溶けていった。