1万字以下の短編集:SF

それから僕は年に3回、流星群が訪れる日に籠屋山に登って情報を交換する。
僕から宇宙人に神津の情報を贈る。宇宙人から僕に宇宙の映像を贈る。
それぞれが求めて、相手しか持ち得ない情報を交換する。
その度に僕は宇宙人と宇宙を旅をした。

その日、1月3日。しぶんぎ座流星群を追って日が高いうちにその秘密の場所にたどり着き、手早く足場を踏み固めてテントを貼った。入り口に飲食用の雪を盛って火を炊いて食事の用意を始める。
そうしているとライトグリーンを身に着けた宇宙人が現れる。

「やあこんばんは」
「こんばんは。今年も寒いね」
「残念なお知らせがあるんだ」
「残念?」
「そう、私はこの星をさらないといけない」

宇宙人の顔は相変わらず焦点は定まらなかったが、とても残念そうな声がした。

「私は君たちがいうところのフィールドワーカーでね、まさか現地の人とこんなに親しくなれるとは思ってはいなかったのだけど、とにかく残念だな」
「そうか、残念だな。調査はもういいの?」
「ここの拠点自体は残すけど、もう安定したからあとは自動制御になる。君から送られた信号はとても役に立っているのだけど、これはオプショナルで私が秘密にやっていたことなんだ。だから引き継いだりはできない」
「そうか、本当に残念」

この何年か、いつも流星群を楽しみにして過ごしていた。けれども地球を去るなら仕方がない。宇宙人が見せる宇宙の姿はとても魅力的で幻想的で。まるで異世界を飛行しているような気持ちになった。それが見れないというのはひどく残念だ。

「それでね、今日は君に提案があって」
「提案?」
「そう、もしよければ一緒に僕の星に来るかい? ずっと行ってみたいと言っていただろう?」
「どうしてそんな提案を?」
「脳が繋がっていたからかな、君は宇宙に行きたいんだと感じたから」

何度も外から見せてもらった宇宙人の住む星系はひときわ華やかだった。
多くの恒星がきらめき、その色は一つ一つ異なった。違う色の恒星がすれ違うたびにフレアが接して爆発が起き、星は重力で引き合いときには砕け散り、ばらばらになった星のかけらが周囲に飛び散り、更に多くの星を砕いて流星となってきらめき消えた。小さくなった星のかけらは様々な色を混ぜ合いながら集まり高くそびえ立ちまた新しい星になる。これがいわゆる天地創造の柱か。ハッブルの望遠鏡で撮影されたものを立体で見ることができるなんて。
宇宙人の星系はとても暴力的で、色に溢れて、そこに宇宙の全ての要素が詰め込まれたかのような雑多な世界。

「君の星系は圧力が違いすぎて僕なんか一瞬で弾け飛んでしまうだろう?」
「そうなんだよね。だからとりあえず一緒に行くなら君を変質させないといけない」
「変質?」
「そう、僕の星系で生きていくには体の凹凸を削ってその皮膚を強化して外力に負けない構造を作らないといけない。それから内臓器官も大凡を作り変えないといけないと思う。その影響で多分君たちがいうところの精神も結構変質すると思われる。どうしたい?」
「どうしたいって言われても、それは生きている状態なの?」
「生きている。私はずっと一緒にいて君を守る。寿命としてはおそらく伸びるだろう」

体の凹凸を削って内蔵を作り変えて精神を変質させる。言っていることが猟奇的すぎて頭がまったくついていかない。

「全然想像がつかないよ」
「まあ、そうかな。だから断ってもいいんだよ。明日の朝までに決めて貰えれば」
「考えてはみる」

考えてはみると言ったところで考える手がかりなど何もなかった。宇宙人は地球人じゃないから精神がどう変質するかはわからないそうだ。まあ、それはそうかもしれない。
ずっと一緒にいる。これはこれでプロポーズなんだろうか?
これまで接した宇宙人は機械的といえるまでに誠実だった。その言葉は全て真実で、尋ねたことについて問題がなければなんでも教えてくれた。わからないことはわからないと言い、教えられないことは教えられないと言った。

「僕と君はどういう関係なの?」
「私と君の関係という以外に、どういう関係もないよ」
「ついていく場合はこれまでと同じ関係?」
「私としては同じつもりだ。ただ生存を考えるならばある程度はしたがってもらったほうがいいし、そうでないなら思う通りにすればいい。リスクは伝える」

その日見せてもらった宇宙人の故郷の姿は格別に美しかった。
土星の輪に相当するものが褐色の大地に垂直に突き立って見える惑星。赤い溶岩が地表にどろどろと溢れ、それが突然隆起し龍のように立ち昇って円弧を描いてはるか遠くの地表にゆっくりと落下していく様子、もやもやとした紫色やピンク色のガス星雲が牡丹の花のように交差し、その中心でいくつもの青白く光る恒星が寄り添い集まっている姿。とても不思議で、神秘的な宇宙。

宇宙人がいなくなるとこういう景色は見れなくなるのか。その世界はいつもの日常と比べて圧倒的で、幻想的で、毎日地表に張り付いてちっぽけに生活している僕の生活とはまるで次元がちがうように思われた。
そういえば僕は宇宙人の名前もしらないし、姿もよく見えない。

「君の名前はなんていうの?」
「名前なんてないよ」
「本当はどんな姿をしているの」
「姿なんてないんだよ。そもそも君の脳の作りでは私の姿を見ることができない」
「そんなに違うのについていくことなんてできるのかな」
「そんなに違うのに今一緒に話しているだろう?」

宇宙人を見る。やっぱり焦点があわずによく見えない。
でも、それで困ったことはない。

「私と君はほんの少しの共通点で繋がっているだけだ。でもその共通点があれば会話もできるし尊重できる」
「ううん、まあ、話はできている」
「君はぜんぜん違うものになってしまうかもしれないけれど、それでも共通点は残るだろう」
「君が地球に残ることはできないのか?」

宇宙人は少し悲しそうに答えた。

「地球には私が単独で自分を維持できる技術がない。本国の支援がたたれれば私は生きられない」

そっか、それはそうかもな。一瞬で脳と脳をつなぐ技術なんて地球にはないよ。

「僕はついていったほうが幸せ?」
「わからない。そもそも私は君の全てを理解しているわけではない。むしろほとんど理解していないに等しい。考え方も、精神も、調査の上で接してはいるけれども、本当のところはわからない。だから君に決めてほしい」
「まあ、そうだよね。じゃあ一緒にいくことにする」
「いいの?」
「うん、まあ、考えて決められるものじゃないだろうから」
「わかった。じゃあ今日は地球を見よう。一応観測はいつでもできるけれども、今見たいものを見に行こう。近くで見るのは最後になるだろうから」

神津の夜景、あまりいないけれども友達の寝顔、神津新道を通って辻切を超えて神津湾のハーバーポートや煉瓦倉庫を空から眺め、そこから石燕市へ渡り、天の川に沿って上昇して日本全体を俯瞰した。僕の生まれた星。

「地球はきれいな星だと思うよ」
「そうだね、ガガーリンって人が昔青い星っていってた。もう来ることはないのかな」
「どうかな、ひょっとしたらあるかもしれないけど、その時君は変質しているから今までと同じように人に混ざることはできないだろう。だから一緒に来なくてもいいんだよ」

少し遠くから眺める地球は普段足をつけている地球とは違って、どこかよそよそしい感じがした。

「まあ、僕は正月に山に登るような奴だからな。最近では宇宙人が一番親しい気もするよ。だからいいかなと思って」
「わかった。一生守ろう。地球から君を奪う責任がある」
「なんかプロポーズみたいだな。僕は僕の全てを君に贈る。ところでなんで誘ってくれたの? 本当は現地の人と接触したり連れて帰ったりしちゃだめなんでしょう?」
「さぁ、何でだろうね」
「馬鹿みたいな話だけど、この間UFO乗ったんだよ」
「はぁ?」

 俺は思わず蒲田(かまた)に問い返した。
 丁度昼過ぎ。社食はざわざわと混み合っていて、何かの聞き間違いかと思ったんだ。

「それでUFOって無重力だと思ってたんだけど最初だけふわっとなるんだよな」
「ちょ、ちょ、ま。急に何」
「えっ? UFO」
「UFOなのはわかるんだけど、それ何の話? ドラマかなんか?」
「いやいや違くて。あれ? なんだっけ。そういう噂知らない?」
「噂」
籠屋山(かごややま)にUFOの発着場があるやつ」
「知らない」

 蒲田はマジカ、っていう目線で俺を見る。
 えっなんで。俺のほうがマジカだよ。

「ああ、うーん。世の中には不思議なことが色々あってだな」
「お前の頭の中が不思議だよ」
「そうかな」

 その日の昼休みはそれで切り上げたけど、なんとなく気になって街BBSで『UFO 籠屋山 発着場』で調べたらそれっぽいのがあった。

◇◇◇

今日も明日もUFO日和 Part6
1: 神津スコシフシギ市民 03/26(金) 22:19:51 ID:xsbk1w0298
 UFO情報教えてね!
 捕まったらここ書き込んで! よろ!

前スレ/今日も明日もUFO日和 Part5

2: 津津スコシフシギ市民 03/26(金) 22:21:01 ID:930G0TicT
 2
 やっぱ神津だと籠屋山かねぇ

4 神津スコシフシギ市民 03/26(金) 22:26:08 ID:OTGbphCWD
 よくUFO見えるっていうもんな


5 神津スコシフシギ市民 03/26(金) 22:30:08 ID:930G0T151
>>4
 UFOの発着場があるんだってよ

6 神津スコシフシギ市民 03/26(金) 22:33:59 ID:6fij8Mj8E
>>5
 ほうほう、乗車賃はおいくらかな?

7 神津スコシフシギ市民03/26(金) 22:36:27 ID:r7kcXdVhp
>>6
 腎臓1個分

151 神津スコシフシギ市民 05/08(土) 22:38:08 ID:8whG0T151
 なんかもうちょっと具体的な話聞いたぞ
 去年の正月神津のあたりの会社員がUFOに連れ去られたんだって

153 神津スコシフシギ市民 05/08(土) 22:42:08 ID:a96rk8Zb0
 それのどこが具体的なんだよ

298 神津スコシフシギ市民 06/19(土) 08:45:12 ID: 9Tl1Gag2/
>>151
 遅レスだけどどっかのスレ噂になってたな。
 流星群みにいっていなくなったんだっけ

930 神津スコシフシギ市民 09/10(金) 13:48:21 ID:3wpm04jBZ
 じゃあちょっと籠屋山登ってくるわ。明日休みだし

934 神津スコシフシギ市民 09/10(金) 18:22:41 ID:9Tl1Gag2/
>>930
 報告よろー。

◇◇◇

 ……そういえば蒲田は土日どっか行くっていってたな。まさかこの930じゃないよな。
 なんとなく気になったけど、俺は営業で蒲田は経理と部署が違う。
 営業から戻るとすでに蒲田は退社していて、なんだかもやもやと気にはなったもののそれでおしまい。

「は? UFO? お前何いってんの」
「お前が昨日の昼休みに言ってたんだろ?」
「んなこと言うわけないじゃん。頭大丈夫?」
「うっわ最悪」

 なんとなく気に入っていたのを引きずって翌昼うどんを注文しながら聞いてみたら、UFOの話はすっかり蒲田の頭から消えていた。
 まさに狐につままれたような気分。

「でもこの930お前じゃないの? ほら」

 街BBSで見せると、最初は怪訝な顔をしていた蒲田も記憶がうっすら戻ったようだ。

「あれ? 俺確かにこれ書いたわ。930」
「やっぱこれ?」
「えっまじで。でもなんでだ。うーん? あそうだ、土日にキャンプ行こうと思って籠屋山調べてたんだよ。あそこキャンプ場あるだろ」
「ああ、そういえば」
「そんで151と298見て経理の筒賀(つつが)が正月に行方不明になったの思い出してさ」
「筒賀さん?」
「そう、ちょっと人付き合い悪い感じの」
「そういえばいたかな」
「まあ営業じゃあんま絡みないだろうけど。筒賀さん無線とか趣味にしててさ、流星群を見に年に何回か籠屋山に上るんだよ。それで丁度正月に登って帰ってこなかったっていう話でさ。そんでまあキャンプ行くついでだからと思って」
「それでUFOに攫われたのか?」
「んな馬鹿な。あれ? ……でもおかしいな。夜の記憶がない。何したんだっけ」
「お前大丈夫?」

 なんだかちょっと不安になった。山で頭でも打ったのか? まあその方がUFOで攫われたよりよっぽど信憑性あるんだけど。

「なんだったかなぁ。なんか気になってきた」
「病院行ったら?」
「いや、なんとなく籠屋山で何かあった気がする」
「何か?」
「うーわかんねえけどめっちゃ気になる。平田(ひらた)、お前キャンプ好きだっけ」
「いや別に」
「今週末キャンプいかね? 彼女いないだろ」
「勘弁してくれよ。ごろごろしてぇんだよ」

 そして週末、俺はなぜか山に登っていた。どうしてこうなった。
 テント貼るとかお断り! って言ったのにキャンプ場には山小屋があってそこを借りることにしたらしい。まあ、最近運動不足だからいいけどさと思ったけど、籠屋山って結構高いのな。蒲田は初心者のハイキングコースって言ってたけどダウトだろ。もう太ももがパキパキで、行程の半分くらいで挫折しかかっていた。

「なんか息ヤベーんだけど。高山病とかだったりする?」
「アホか、この高度で高山病になるわけないだろ」
「そういうもん?」

 午前中から登ってようやく山小屋についたのは17時くらいで、蒲田に呆れた目で見られた。

「おっそ」
「勘弁してくれよ。俺は山登ったりしないんだからさ」

 ハァハァと肩で息をしながら答える。
 山小屋の前にはすでに何張りかのテントが設置され、晩飯用なのかそこかしこから湯気がゆらゆらと白く立ち上っていた。蒲田は山小屋にチェックインすると言って、立ち去る前に俺達の登ってきた方向をホラと指差した。
 つられて振り返って息を飲んだ。
 そこから見る景色は開けて遮るものなく遥か先まで澄み渡っていた。遥か遠くに見える神津湾が藍色の表面に夕日をキラキラ照り返し、その水平線すぐのところに薄っすらと火星が顔を出していた。まだ薄い星々から繋がるようにその手前に辻切(つじき)の夜景の始まりが瞬き、そこからずっと手前のふもとの新谷坂(にやさか)のあたりはすっかり真っ黒な影に沈んでいた。なのに俺の足元だけはオレンジ色。背中の籠屋山山頂の雲が反射するオレンジ色の光が足元にある俺の影以外を明るく照らしている。不思議な景色。
 ほえーっと思って見とれていると、蒲田が山小屋から戻ってきて、薪を買って一緒に簡単にバーベキューをした。その間に空は不思議にどんどんと暗くなっていく。そのグラデーションがなんだか異次元な感じがする。

「な、山も悪くないだろ」
「まあ、うん」

 なんとなく、それは否定しづらい感じ。足はもうパンパンだけれどもそのかいはあったと思わせる何かがある。この神津(こうづ)では感じられない広がる景色と澄んだ空気には。

「そういや筒賀はこの季節になると六分儀がどうのこうのって言ってたな」
「ろくぶんぎ?」
「そう、9月末に六分儀座流星群っていうのがあって、昼間に見るのがいいらしい」
「昼間に流星を? 見えるのか?」
「見えないけど電波で調べるんだってさ」
「なんだそれ。意味わかんね」
「まあ俺もよくはわかんないんだけど」
「お前は筒賀と仲良かったの?」
「そんなわけでもないけど、筒賀が話すのは俺くらいだったのかもしれない」

 そんな話をしていて、ちょっとしんみりして、21時を過ぎるとあたりはすっかり静かになった。
 UFOは見えないな。でも寝転んで見上げる星空はなんとなくUFOもいそうな気にさせる。

「そんでUFOはどうなの?」
「UFO?」
「てか筒賀さんがどうのって話で登ったんじゃん」
「あれ? そういえばそうだったな。そう、俺は先週も登って、その時はテント持ってきててそのへんで張って、えっとそれでどうしたんだったかな。多分夜中に散歩にいったんだ」
「夜中に?」
「散歩っていってもこのあたりは道が整備されてるからさ、夜は涼しくて気持ちいい」
「それ面白いの?」
「気分がかわっていいぞ、行くか?」

 それで結局無理やりつれていかれた。
 山に登ることになった時と同じテンションだな。蒲田は結構強引だ。
 でもまあ、垂直に登るわけでもなく水平に散策するだけだからそんなに疲れるわけでもない、これ以上は。既に足がいたいけど。

「あ、思い出した」
「うん?」
「そう、この先でUFO乗ったんだ」
「UFO?」
「そう、ふわふわと無重力で」
「お前頭大丈夫?」

 そんな話をしていると妙な場所にたどり着いた。円形に開けている。
 UFOの発着場? まさか。
 そう思うとふわふわとした青い毛のようなものが降ってきた。なんだ?

「ああこれ、ほらUFOが迎えにきた」
「えっなんで?」

 俺は蒲田が指し示す上空を見上げた。

 けれども上を向いても何も見えない。真っ暗なままだ。
 真っ暗? あれ、おかしい。この場所の上空だけ円形に星がなく真っ暗。
 え、本当にUFO? そんなはずないだろ。まさか。でもこの不思議な光景は、なんだ。上空に真っ黒に切り取られた円形以外の部分は、夕方見た光景と全く違って小さな星が大量に瞬いていたんだから。

「ああ、思い出したよ。筒賀さんだ」
「筒賀さん?」
「そう、筒賀さんは宇宙人と一緒に宇宙に行ったんだよ」
「はぁ? UFO乗った以上に信じらんねえ」
「籠屋山のもう少し上に本当のUFOの発着場があるらしくてさ、そこで筒賀さんは天体観測をしててすごく遠くの宇宙に行くことにしたらしい」
「……大丈夫かお前」
「まあ、そうだよな。俺はここでUFOに捕まって、筒賀さんの記憶とやらでそれを見た。誰にも挨拶をせずに地球を去ったから誰かにさよならを言いたかったらしくて、UFOが筒賀さんの知り合いを籠屋山で待ってたんだ。それで筒賀さんはそのデータを俺にくれるらしい」
「データ」
「そう、これまでにない奇麗でクリアな流星群の電波観測結果らしい。四分儀座と六分儀座流星群の」
「ちっとも興味ねえな」
「そういうなよ、それで次来る時USBかなんか持ってきてっていわれたんだけど、俺忘れちゃってたな」
「それでこれがUFOだとして、俺も乗れるわけ?」
「USB持ってる?」
「山に持ってくるわけないだろ」
「じゃあ今回は無理かな」

 ぽっかりと真っ暗な円形の空を見上げた。
 これ、本当にUFO? まんまるな黒い雲とかじゃないの?
 でもその山の澄み切った不思議な空気と降ってくるなんだかよくわからないパラパラと降り注ぐ青い糸を見ていると、本当にUFOなんだろうかという気がしてきた。
 結局俺たちは来週下山して、来週USB持って3回目の籠屋山に登ろうということになった。

「蒲田、めっちゃ体痛い」
「明日くらいになったら治るよ。今週も登るんだから早く治せ」
「ねえ、俺なんで今週末も山に登ったんだ?」
「うん? 体鍛えたいとかじゃないの?」


ー付言
自主企画用の作品を修正しました。
空色ワンライ4回目 #空色ワンライ
お題:贈り物
・馬鹿みたいな話だけど が冒頭
・298、930、151、3を使う

おまけ:エンゼルヘアというのはUFOが落とすという噂の謎物質です。結構べたべたしてるらしい。

 変な外人が俺たちの住処に紛れ込んだ。ディオゲネスと名乗っているからやはり日本人ではないのだろう。堀が深くて色が白い。
 環状線の高架下にある周辺の雑踏から切り離されて忘れ去られたようなこの狭い歩道には、6人のホームレスがひっそりと居を構えている。最近は行政の締め付けが厳しく色々なところを追い出され、下に下に流れ落ちる汚泥のようにこの底辺に辿り着いて、ようやく一息つけたところだった。

 その老人はある日ふらふらと歩道に降りてきて、俺たちのダンボールの家の隙間をかき分け冷たく湿ったコンクリートの路面にぺたりと腰を下ろした。マントみたいなボロだけを纏って震えている。
 老人はちょっとおかしい。人がいてもいなくてもお一人様に及び、こんなに気持ちいいのに何故腹は膨らまぬのかとかよくわからないことを呟く。だから老人が下着すら履いていないのをみんな認識していた。せめてパンツを履けよと思っているけど、いろいろな意味で関わり合いになりたくなくないから誰も声をかけなかった。

 最初はみんな老人を警戒した。不法滞在で逮捕されて関係者と思われて取調べされたら。怪しい外国人がいるということで行政がやって来てまたここを追い出されたら。お互いの素性をわざわざ尋ねたりはしないが軽犯罪くらいには足を突っ込んでいる者も多い。道に落ちている不用品を拾うのは本来違法だ。
 正直、かかわりたくなんてない。出ていってほしい。
 ひょっとしたら外国人窃盗団の手先が逃げてきたのかもしれないし。

 けれどもそのディオゲネスと名乗る老人はただひたすらダンボールの間に座っていた。しかも夜中になるとぐうぐうとひどい腹の音と歯ぎしりを響かせている。仲間に聞くと、どうやら全く食事をしていないらしい。
 さすがにここで餓死されても困る。自分たちで警察を呼ぶのは勘弁だと思い、拾ってきた廃棄食品をやむをえず少しずつわけるとガツガツ食べた。最近は廃棄食品も貴重で、回収されたり薬品を混ぜられたりしていることも多くなかなか手に入らない。

 話してみると以外にも日本語が堪能だった。だが言っていることはおかしかった。自分は奴隷でコリントでタコを食って死んだはずだが気がついたら知らない場所にいて、親切な男に日本語と社会の仕組みを習って外に出されたそうだ。やはり頭がイカレてると思った。
 だがイカレてることと生きてくことは別だ。俺らが普段やってる空き缶や雑誌拾いの仕事を教えようとしたら、乞食は施しをもらえるのに哲学者である自分が施しを受けられないのはおかしいと言い放った。十分おかしいと思う。今は乞食は違法だと教えたら衝撃を受けていた。

 かといっていつまでも自分たちの食い扶持を分け与えられるほど俺たちに余裕はなく、義理もなかった。だから炊き出しの場所を教えた。毎日ではないがおにぎりや日用品の配給を行っている団体はいくつかある。
 俺たちはなるべく食い扶持を自分で賄っている。路上に生きていても施しを受けるのは自分が哀れに思えるしなんだか窮屈に感じるから。だからこの老人の施しのみで生きていこうというある意味清々しい姿勢にはなんだか衝撃を受けた。

 ある日、ニートといわれたがどういう意味だろうかと老人に尋ねられ、働かない人だと教えたことがある。そうすると、老人は哲学者は欲から開放されて自足すべきもので動じない心が重要だ、うむうむと深く納得し、それ以降自分をニートのディオゲネスと呼称するようになった。
 この老人には皮肉は通じないのか、それともそれが正しい姿だと認識しているのかよくわからないが、その堂々とニートを貫く姿に皆が惑乱し、好感を覚えるようになった。とにかく老人は何かが一貫していたのだ。

 老人はみかんと書かれたダンボールの施しをうけ、その四角い箱の中に住むようになった。陶器のかめと違って壊れなくていいと喜んでいる。実際、コンクリートの床は底冷えがする。最近ではすっかり馴染んできた老人が風邪を引くのではないかとみんな心配していたものたから、ホッとした。
 今のボロマントで十分だと古着の施しを断ったようだが、みんなで下着を履かないと法に触れると説得すると、そうか、と述べてボロボロのワイシャツと膝やふとももの破けたジーンズを履くようになった。

 ダンボールの中でくつろぐこの奇妙な老人に若者がちょっかいをかけにくることもあった。この老人には何か愛嬌があるせいか、いつのまにか若者たちは言いくるめられ、たまに老人に菓子パンやらおにぎりを持ってくるようになった。

 ところが老人はある日突然いなくなった。話に聞くと身なりのいい男が炊き出しに現れて戻るように老人を誘ったそうだ。その男は老人を恭しく扱い、あなたは奴隷なのだからそろそろうちの掃除をお願いしますとわけのわからない問いかけをすると、老人はうむと鷹揚に頷いてついていったそうだ。
 問答がおかしいのでやはりイカレて徘徊していたのを身内が引き取りに来たのかと思った。その頃にはみんな老人に妙な愛着を感じていて、少し寂しく思っていた。

 ところがそれは杞憂で、しばらくたってまた老人は戻ってきて同じようにダンボールの中に鎮座した。
 老人に一緒に行ったのは身内じゃないのかと尋ねたら、私はあの人らに買われた奴隷だからたまに家の掃除をしにいってやるんだよという斜め上の返答があった。老人は相変わらずわけのわからなさを発揮して、なんとなく変わらない様子はみんなをよろこんばせた。

 老人が言うには、老人は大昔の人の複製であり、あの男に買われたらしい。男は自分を何くれと饗そうとしたが、神に近い者ほど必要なものが少ないのだと教えてやると、そうですねと言って外に出してくれたらしい。
 やはり言動を含めてイカレてるとしか思えない。何故わざわざホームレスに。

 老人はその後もニートのディオゲネスであると名乗り屁理屈を捏ねながら楽しげに過ごし、時たま身なりのいい男の家で掃除をして帰ってくるという謎の生活を継続した。
 一度男に何故あの老人をちゃんと保護しないのか尋ねたことがあるが煙に巻かれた返答をされた。

「あの人は古代ギリシャで今と同じように路上で生活していた哲学者のクローンでね。時代が変わっても同じ行動をするのか試しているんですよ」
 22世紀。東京都豊島区のあるアパート。
 俺はカチャカチャと機材をセットしていた。
 ここは6畳ほどの部屋。所謂ワンルームというやつだ。フローリングの床、白い壁紙と白い天井パネルを基礎として、入り口右手にベッド、その奥にスチール本棚。左手は1コンロのキッチン、その並びに冷蔵庫、クロゼットと続くと直ぐに正面の窓にかかるカーテンに至る。カーテンの少し手前の絨毯の上にローテーブルと座椅子。
 どこにでもありふれた部屋なのに今は違う。シンクとベッドの間には赤黒い血がたまり、飛び散った血痕とともにその周囲を白いチョーク線で囲まれている。

 ようはゲンバってやつだ。
 俺は再捜研。いわゆる再現操作研究所職員で、調査のための機材をセットしていた。これは過去探査機。細い三脚を部屋の中央を囲うように3箇所配置。誰にでもできる簡単な仕事だと思われがちだが案外難しい。なるべく広い視野角を確保しつつ少ない機材で設置するのがコツだ。広く情報を拾えないと可能性がどんどん広がっていっちまうし、機材をたくさん置くと計算に膨大な時間がかかってなかなか数がこなせない。

「まだかい?」
「ここで時間かけたほうが最終的に時短なんだよ」

 俺に話しかけるのは相棒の捜査官。俺の仕事はこのPSと呼ばれている特殊機材で過去にありえたであろう事象を複数再現することだ。彼は俺が再現した結果を観測し、再現の中から事件の真実を確定する。
 スイッチを入れるとチリリと特有に空気が振動し、部屋の中央、血痕上に中肉中背の男の立体映像が浮かび上がった。

「こいつが被害者?」
「そう。どこから現れたかが問題だ」

 この事件はそれほど複雑には思えなかった。この部屋の所有者の女性が部屋に戻ったら男が倒れて死んでいた。刃物の角度や血痕の飛散状況を前提に再現された死体のPSから男の死因が自殺であることは確定している。部屋はオートロックで所有者の虹彩でしか開閉できない。
 この男が誰かも特定された。10年ほど前に北陸で行方不明になった。
 だがどこから現れたかだけがわからない。真実のピースが1つ欠けている。最近は殆どの場所に監視カメラが置かれて一元管理されているが、このアパートのある一角だけ死角になっていた。

 PSを動かすと俺たちの背後の玄関から男が現れ、俺たちをすり抜けてウロウロし始めた。

「違う。ここの玄関は所有者の虹彩情報でなければ開けられない。そして男は偽装しうるものは所持していなかった」

 機材の設定をいじって可能性を弾く。玄関はナシだ。
 今世紀初頭、サンセット研究所が確立した方式によって他次元宇宙、つまり並行世界が観測された。宇宙は複数の世界が折り重なりまたは隣り合って存在する。
 このPSは並行世界で起こった過去の事象を立体映像として再現する。過去が再現できるなら何故この世界の過去を再現しないのかって? 簡単だ。カメラが自分自身を写すのは無理だろう? だから俺たちは少しずつ異なる鏡のような並行世界で発生した過去を再現し、この現実で発生した真実を確定する。だからこの機材の名前はPastSeeker、過去探索器というんだ。
 目の前では男が窓から入る姿が映された。

「これも違うな。アパートの入り口を写すカメラはなくとも他にはある。窓を映した1年分のシームレスな記録には窓からの出入りの映像はない」

 さらに可能性を絞る。だがこの部屋には玄関と窓以外に入り口はないように思う。再度再生すると男は風呂場から出てきた。

「換気口は調べたが出入りの形跡はなかったよ」

 さらに再生を続ける。ベッドの下やクロゼットから出てくる映像を除外すると新たな場面は再生されなかった。ということは並行世界で他の事象は発生していない。愕然とする。つまりこれは、この世界でだけ起こった極めて珍しい事象。初めてのことに驚愕する。これじゃ真実が確定されない。

「ずっとここで死んでた?」
「死亡時刻は夕方」
「無から突然現れた? そんな馬鹿な」
「そんなことはないよ。簡単な話さ。他に可能性がない以上、あの男は玄関から入ったんだ」
「最初に玄関はな言ってたじゃないか」
「そう、1人では入れない。2人なら入れる。所有者と一緒ならね。つまり、最初に男が1人で死んでるっていう仮定が間違っている」
「所有者の真実もPSで確定してるんだろ?」
「そうだけど、その真実が成立しない可能性を探しに行こうか」

 真実を? まさか。今世紀初頭に冤罪は廃絶された。なぜなら真実が映像として再現されるからだ。この世界で起こりうる複数の真実候補を繋いで成立する真実を真実として確定する。それが現代の捜査だ。
 確定された真実を排除すると全ての根幹が崩れてしまう。

「真実を疑うのは間違ってる」
「うん、でも昔の警察は過去なんて見ずに想像で真実を捕まえたんだって」
「だから冤罪が多発したんだろ? 昔の推理小説みたいなことをやってみたいのさ」

 機材を肩に担いで草臥れた靴を履く。
 過去を見ないで過去がわかるはずがない。仮に単独で成立しうる真実候補が発見されたとしても、繋がらなければ意味がない。そう思ったけど相棒はどんどん先に歩いていった。
 客観的な証拠と客観的な証拠の間にある不確実な可能性を全て潰すことで真実を確定するのが現代捜査。わからないことなんてどうやってわかるんだ?

「とりあえず所有者がどこかの監視カメラからアウトした瞬間の過去を探そうか」

 そうやって何日か後、その女性が逮捕されたという報道が流れた。

 18歳の誕生日。両親と祝う少し豪華な晩飯と成人おめでとうの言葉。18にもなってなんだか気恥ずかしい。でも、ありがとう。蝋燭を吹き消して小さなケーキを切り分ける。酒が好きなパパの好みががっつり反映された、4号サイズのラム酒たっぷりの洋梨とレーズンのタルト。
 お祝いが終わると父さんは急に真面目な顔になった。

「夏彦と2人だけで話がしたいんだ。パパは少し席を外して欲しい」
「わかった」

 不審げな顔をしてリビングを出るパパの姿を確認してから父さんは切り出す。

「夏彦、お前に隠していたことがある」

 少し俯き加減で眉根に皺を寄せた父さんの真剣な様子にごくりと喉が鳴る。

「成人したからそろそろ話してもいいかと思って」
「うん」
「その、実はお前は俺とパパの本当の子供じゃないんだ」
「うん、それで?」
「知ってたのか⁉」
「知ってたというか常識的に」

 驚いたように固まる父さん。そういえばこの人真面目だけどド天然なんだ。
 呼称からもわかる通り俺の両親は2人とも男だ。高校で化学教えてる父さんと生物学者のパパ。男同士で生物学的に子供ができないことはよく知ってるだろ。
 今世紀初頭に同性婚が認められて戸籍上も俺は2人の実子になっているが、もともとは誰かの子か両親どちらかの子を養子にしたはずだ。色々な配慮で同性婚の場合は実親が表示されない。

「あ、俺の生物学的な親の話? わかるの?」
「いや、わからない」

 孤児院や紹介者経由で養子となった場合は両親にも知らされないことが多い。完全に前親との関係性を断つ方がいいケースもあるから。だから別に知らなくてもおかしくはない。
 でも父さんの答えは斜め上だった。

「お前はパパが入院してた時に俺が病院でさらってきた子だ」
「ハァ⁉」
「廊下で泣いていたお前を」

 攫ってきた、だと? いや、おかしいだろ。それに雑すぎるだろ⁉ 何故バレてないんだ⁉ 意味がわからん。

「それでだな、その時は父さんもテンパってたんだ」
「テンパるにも程があるだろ⁉」
「パパがラリってる時でさ、なんで子供を産んでくれないんだって散々騒いでて。養子も考えたけど、俺は俺かパパの子供以外愛せると思えなかったんだよ」
「あぁ」

 パパはメンタルは乙女だからたまに不安定になってよくわからない所業にでることがある。普段は雄々しいのに。

「ひょっとして父さんは俺のことが好きじゃないとか?」
「いや、断じてそんなことはない。実際お前を育ててたら可愛くて可愛くて仕方なかった」
「なら、よかった」
「でも夏彦を産んだ親は別にいる。何故俺が逮捕されてないのかわからないんだが、お前が可愛いぶん余計にずっと申し訳なく思っていた。だからDNAを調べて欲しい。お前を今も探しているなら登録があると思って」

 そうだ。父さんは真面目な人だった。今は行方不明や捜索名簿にDNA情報を添付するのが一般的だ。だから俺が探されてるならきっと登録されているだろう。父さんはずっと悩んでたんだろうな、そんな感じ。でも。

「俺の両親は父さんとパパだよ」
「わかってる。ありがとう」
「それに誘拐がバレて父さんが捕まる方が嫌だ」
「だがしかし俺はお前の本当の親の幸せを奪ってしまった」
「パパはどう思ってるのさ。俺よりパパだろ」
「パパは……よくわからない。混乱中にお前の実子登録をしたから普通に実子だと思ってる……と思う。言い出せない」

 まぁ、実子と思っていたら誘拐してきた子と知ったらパパ荒れそう。

「じゃあさ、調べるだけ。父さんが捕まってないなら探されてないのかも」
「わかった。ありがとう」

 父さんはため息を付いて用意していた検査キットを俺に渡す。髪の毛一本いれるだけですぐに結果が出る。そのデータを名簿検索。DNA情報は個人情報の極みだから入力だけなら相手に送信されることはない。親で検索をかけると1人、俺のDNA情報を探している人が見つかった。正確に言うと、遺伝子情報的に俺の親である可能性が極めて高い人、が俺を探しているという情報だ。

「どうしよう1人いる」
「夏彦、父さんは罪の意識で倒れそうだ。連絡してほしい」
「俺の両親は父さんとパパだけだってば。戸籍上もそうだろ」
「だが」

 父さんは勝手にモニタの連絡ボタンをタッチした。何てことを! これでこの人に連絡がいってしまったじゃないか! 父さんが捕まったらどうしたらいいんだ⁉ メンタル壊れたパパの面倒なんて俺には見れないぞ⁉
 そう思うとドカッと扉が蹴り開けられてパパが部屋に押し入ってきた。

「父さん! 気づいたのか⁉」
「まてパパ、何のことだ」
「夏彦のDNA調べただろ⁉」
「何故それを⁉」
「連絡が来た。夏彦は俺の子なんだ」

 訪れる沈黙。何が何だかわからない。

「パパの……? まさか浮気……?」

 クラクラとソファに崩れ落ちる父さんをパパがグーで殴り飛ばす。

「馬鹿野郎! 俺が浮気するわけないだろ! 俺には父さんだけだ!」
「パパ落ち着いて父さんが死ぬ」
「夏彦は俺と父さんのDNAを合成して作ったんだ」
「「えっ?」」
「父さんが自分の子供じゃないと嫌っていうからこっそり作って廊下において……。でも普通に可愛がってたから言い出せなくて……」

 だんだん小さくなるパパの語尾。
 いやそんなことよりクローンとかDNA合成は違法だろ。バレたらパパ捕まるよね。……だから父さんが調べるのを警戒して1番に連絡が来るよう登録してたのか。まあ、最初に探すのは捜索者リストだろうし。

「パパ、すまなかった。2人共愛してる!」
「俺もだ!」

 俺の目の前で父さんとパパが熱く抱き合うのに巻き込まれる。
 まぁ、丸く収まったならいいか。俺が実は両親の実の子供という予想外且つ謎の事実が判明したわけだけど。
 マジびっくりだよ。
ー8年4月26日 
 今日は三日月だ。三日月というとミカヅキモというイメージだな。
 ミカヅキモってどっちかっていうとクロワッサンなイメージなんだけど。
 どうぞ。
 月より

ー8年4月28日
 今日は生憎、曇っている。とくに何かが憎いわけではないんだけどな。
 生肉なんかどうでもいいんだけど鶏肉より牛肉のほうが好きなんだ。
 それより貴明(たかあき)の精神を安定させる方法を考えろよ。
 雲


 俺は途方にくれていた。俺がその貴明だ。
 これは俺のPCにいつのまにかインストールされていた日記アプリのログ。このアプリを見つけたのは1週間ほど前。連休前で忙しく、まだ最初と最後しか確認していないけど日記の起点は3年前に遡る。それから1週間に2~4回程度の割合で記載されている。
 だが俺は書いた記憶がない。俺は一人暮らしで、PCを見るにはパスワードが必要だ。なのに、誰かが俺のPCで日記を書いている。意味がわからない。
 3日前にあまりにも気持ち悪かったからとりあえずパスワードを変えてみて、それは今のパスワードの小文字の1つを大文字にしただけだからメモも何も残していなかったはずなのに、日記は更新された。

 いくつかの可能性が思い浮かぶ。
 1.俺が寝ぼけている
 2.俺が二(三?)重人格
 3.PCがクラックされて誰かが侵入して書いている
 4.俺に幽霊が取り付いて書いている
 5.宇宙人が俺を操って(ry
 まぁ、きりがないんだがな。

 結局の所、この不可解な事象は続いている。可能性としては2が高いような気がする。なぜなら書かれていることの中に俺しか知らないはずの内容が含まれていたから。だから多分、3はない。
 まあ常時幽霊や宇宙人に取り憑かれているならばこの限りではないが4と5は非現実的すぎる、多分。1もない、と信じたい。流石に3年も寝ぼけ続けるのはどうなんだろう? 

 害はない。害はないけど気持ちが悪い。
 ともあれPCを捨てるという選択肢は当然ないわけで、そうであれば何らかの対処をとりたかった。なんか気持ち悪いじゃない? 消してみようかとも思ったけど、たいしたことのなさそうなやりとりだし、タイトルを見ると気が引けた。

『交換月誌 貴明、見つけても消さないでね、マジお願い』

 名指しだよもう。でも気持ち悪いんだよな。知らない日記とか。
 でもいい案も思い浮かばなかったから、日記を最初から読んで見ることにした。丁度連休に入ったところだし。他人の日記ってなんだか気になるし、見られたくないなら人のPCに入れるなっていうんだ。
 そう思ってログを漁った所、どうやら最初は『月』と名乗る人物がぶつぶつと独り言を言うところから始まっている。

ー6年3月24日
 お邪魔します。ちょっとこれで気が付かないかと思って。
 連絡して、ええと、雲?
 月より

ー6年4月15日
 雲、認識してるよね、連絡して。
 月です

 よくわからないけれどもそんな感じのログがぽつぽつ続いて、一昨年くらいから『雲』と名乗る人物が参戦した。

ー7年6月8日
 お前なんのつもりだ。
 雲

ー7年6月12日
 お、やった! ようやく!
 お前貴明のギャグじゃなくてちゃんと雲?
 月より

ー7年6月13日
 ムカつく奴だな。連絡は禁止されてないのか? お前
 雲より

ー7年6月18日
 冗談か?

ー7年6月26日
 ごめん、梅雨で連絡できなかった。まじですまん。
 これで信じてくれないか。
 月より

ー7年6月28日
 貴明じゃないのは信じた。
 どういうつもりだ。なんで人間にいる。
 雲

ー7年7月2日
 えっと端っこだけちょっと間借りしてて。
 それでこの日記アプリはオフラインなんだ。スタンドアロン。
 アナログに貴明から書いてる。だからばれない。
 亡命したい。
 月

ー7年7月3日
 亡命?
 雲

ー7年7月5日
 そう。月は嫌なんだ。窮屈でさ。
 あと、戦争も嫌。雲と戦争になりそうで。
 月

 話の内容はなんだかよくわからない。その後の流れでなんとなく『月』勢力と『雲』勢力が戦争しているようなことがわかった。ゲームかなんかなのかなと思っていたけど、だんだん妙に深刻になっていった。

ー7年11月8日
 やばい。月、本気だ。
 -78.32+-2.01の範囲に退避命令が出た。
 そこに雲の拠点がある? そこ、明後日だ。
 月

ー7年11月14日
 まじで助かった。まじかよ。やばいだろ。なんだこの宣戦布告。
 地球現地にも影響でてる。協定違反じゃないのか?
 まだ抑えたけどさ、お前らどいうつもりだ。
 雲

ー7年11月18日
 どうもこうもないよ。雲が地表面にジャミングかけてるからだろ。
 おかげで晴れてる日にかろうじて降りられるくらいだ。
 月は雲が今、隠れて戦争の準備をしていると思っている。攻撃される前に攻撃する精神。
 月

ー7年11月24日
 馬鹿な! 雲にそんな技術ないのは十分知ってるだろ。
 どれだけ野蛮なんだよ。
 雲

ー7年11月26日
 月じゃそんな理屈は通らないんだよ。本当に嫌なんだ。
 どんなに不合理でも駒にはどうしようもない。
 だから俺はそっちに亡命したい。
 今はそっちに技術がないだろうから俺が持ってって提供するから
 月

ー7年11月27日
 それを雲に言えば検討するだろうけれどもオススメはしない。
 俺も本当は月に亡命したいと思ってたんだけどな。
 雲

ー7年12月2日
 えっなんで?
 月

ー7年12月4日
 月にはわからないかもしれないけど雲もすげえ居づらいんだよ。
 そっちは一番上が絶対なんだろ?
 でもなんていうか雲はガチガチの階級社会でさ。
 こないだもらった情報でちょっとだけ報酬出たけど結局連絡員の立場なんてろくでもない下っ端だ。
 お前が雲にきてもそうそう厚遇されないぞ。亡命しても残念な結果に終わるだけだ。
 雲

ー7年12月5日
 そうなの? なんかイメージが違うな……。
 どうしよう。
 月

ー7年12月7日
 もういっそのこと貴明に亡命しないか?
 どうせ月と雲が争ったんじゃいずれ地球が滅ぶ。
 その前に地球拠点の月と雲の兵器と工場を壊滅しよう。
 そうすれば本体はこの空域を離れるはずだ。
 雲

ー7年12月8日
 えっ貴明に?
 ……以外にいいかも。
 月がいなくなるまで身を隠せるなら万々歳だな。
 月

 えっ俺? 俺に隠れる?
 地球が滅ぶ? ちょっと意味がわからないぞ。
 そっからしばらく、よくわからない技術的な話が続いているようだったけど書かれる用語もよくわからなかった。

ー8年1月3日
 こっちの用意はできた。もう雲に未練はない。
 貴明で会おう。
 雲
 
ー8年1月4日
 俺もだよ。決行は貴明時間8年1月7日18:00で。
 月

ー8年1月4日
 了解だ。平和を。
 雲


 8年1月7日18:00? その時間は僕は覚えている。
 太陽のフレアがものすごく大きくなって電磁波がたくさん照射されて、同時に地磁気が激しく乱れて、世界で複数の場所で電波障害が起こって地震が起きたり火山が噴火したり異常気象が多発した日。
 ちょっとまってこの月と雲ってなんなの?
 それ以降はなんだかよくわからない今日の天気の話とかどうでもいい話が続いていた。

ー8年5月1日
 あの、君らなんなの?
 貴明

ー8年5月2日
 おっ貴明だ、いぇーい。
 雲

ー8年5月3日
 あ、お邪魔してます。害はないんで、しばらく端っこにおかせてください。
 貴明のおかげで地球は平和になったので。
 月


 俺の端っこ?
 何なの? 俺の知らない間に宇宙戦争が起こって勝手に解決したの?
 予想外の5番エンド。

ー付言
第2回ワンライ企画をリメイクしたもの。
#空色ワンライ
今回のお題は「月」
1時間で作品を書き上げてください

「ねえ、それは誰の燃料なの」
「あん? 何言ってんだ」

 そんな声に顔を上げると俺の向かいに女が1人座っていた。
 俺はちょうど駅前の蕎麦屋で蕎麦をすすっていた。速い・安いがウリの別にうまくもない蕎麦だ。話しかけてきたのは見た目は20くらいの若い女だが腕が半分取れていた。その端部からは引きちぎられたようにコードが何本か垂れている。ロボットか、アンドロイドか、バイオーグが、そんなナニカなのだろう。何があったのかは知らないが、厄介ごとの匂いがする。

「俺の燃料だよ。俺は未だに肉100パーセントだからな」
「肉」
「飯食うの邪魔しないでくれるかな」

 俺は手首を振って女を追い払う仕草をした。けれども女は出ていかなかった。それならそれで無視を決め込んでとっととここを立ち去るだけだ。貴重な昼の時間をこんなことで無駄にしたくない。午後にはまた仕事があるからな。
 俺はふと膝の間に挟んでいるスクエアバッグの中身を思い起こした。鞄いっぱいに詰め込んだチューブソケット。目の前の女のちぎれた腕。そこからはみ出た何本かのチューブ。それらがこの世のどこかで繋がっているような、妙な感覚。
 女の目はどこか虚ろだ。その視線は俺を貫通して俺の後ろの壁でも見ているのだろう、きっと。この会話も俺がレスポンスを返しているから続いているだけで、女はすでに壊れているのかもしれない。
 そう、この女はもうとっくの昔に壊れていて、ただ生きていることを繰り返しているだけだ。

「じゃ、な」

 蕎麦を食い終わった俺は鞄をさげて店を出た。そうすると女は付いてきた。付いてきたってかまやしない、俺は次の現場にいくだけだ。
 俺は配管工事の仕事をしている。世の中にはたくさんの管が詰まっている。水道の管や空気穴の管、土の中の管や水の中の管。俺の仕事はその詰まった管に適した大きさのチューブを差し入れ、その先にカメラのレンズやハサミの先、スコップの先のような様々なソケットを取り付けてその穴の奥に押し込むことだ。鞄の中には一マイクロメーター経といった極小のものから五センチメーター経くらいの少し大きめのものがある。それ以上や以下の大きさは俺みたいなしがない単独作業員じゃなくてそこそこの大きさの会社に頼む。複数人での作業や専門的な作業が必要だから。
 つまり俺がやってるのは比較的誰でもできる仕事ってこと。
 
 次の現場の配管は車工場の油圧機器の故障のようだ。古い油と汗の臭いが立ち込めて、ガコンガコンという大きな音が地面を揺らしていた。
 俺は下から何番目かのチューブを取り出してそこにカメラのソケットを取り付け、配管の開口部に差し入れる。そこからは自動制御でチューブが配管の中を進み、そのうち黒く固まった廃油に突き当たる。油膜がぶ厚く張っていて、どうもそれが動きを阻害しているらしい。原因が特定できたら簡単だ。その位置を記録してチューブを一度引き戻し、カメラの代わりに油膜を溶かす薬剤を塗布するソケットを取り付ける。それでしばらくすると油膜が溶けて、問題がなくなれば機器が再び動き出すという寸法。よし、恐らく治った。
 工事の内容をチェックしてもらってそれで終了だ。一通りの手続きを終えて工場の外にでると蕎麦屋であった女が待っていた。俺は無視してまた歩き続ける。次は猫の修理。そこからしばらくいった先の家だ。

 そこはどことなく昔の香りがする一軒家で、暖かなベランダに老夫婦がにゃぁと音を立てる猫を膝に乗せて俺を待っていた。猫の泌尿器に不具合があるらしい。排尿するときに痛みがあるようだとか。そこに住む老夫婦はこの猫は大分古いという。経年劣化だろう。俺は最も細いファイバーの先に極小のソケットを付けて差し込み、原因を探る。猫は動かないように老夫婦に押さえてもらった。極小だから痛みはないはずだ。けれども知らない人間がいるのに猫は落ち着かないのだろう。ぱたぱたと暴れようとするけれども、俺は作業に手慣れているからさほど支障が出るものではない。尿道の先に小さなカルシウム分が凝固している。結石だろう。俺はチューブを引き抜き、代わりにパルサーを付けて差し込み超音波で石を砕く。猫はまたにゃーとないた。
 老夫婦にはおそらくこれで大丈夫だろうと継げる。その前にアフターサービスについての説明を行う。もし今後猫に同様の不具合が起きた場合は同様のメンテナンスサポートを受けられる。万一今日のメンテナンスで何らかの損害や不具合が生じたら、それが俺の修理が原因である限り保険が適用される。
 老夫婦はありがとうと深く頭を下げた。

 俺は老夫婦の家を出て次のリストをめくる。次、次は水槽の排水、か。移動の間に当たりをつける。水槽の仕事はあまりすきじゃないな。だいたいドロドロしていることが多い。水槽というからおそらく何かの実験か、魚を飼っているか。依頼先の名前から研究施設ではなさそうだ。何かを飼っているなら藻か何かが詰まっているのかもしれない。
 老夫婦の家を出ても蕎麦屋で会った女は付いてきた。次の現場は屋外だった。六メートル大の人形の水槽が立っていてその中を魚が泳いでいる。動き回る人形の動きを止めてもらい、排水口の様子を見る。水槽の排水溝はやはり汚れていて、藻が詰まっているようだった。排水溝にファイバーを入れて藻をカットし、網状に変化したファイバーで藻を回収する。ここからは手作業で、排水溝から藻を除去していると、ついてきていた女が尋ねた。

「それは何の燃料なの?」
「あぁ? これは藻で燃料じゃない」

 女の目は相変わらずどこを映しているのかよくわからずフラフラしていた。ひょっとしたらこいつも何かが詰まって頭かどこかに不具合がでていて、それで俺に治してほしくてつきまとっているのかもしれない。
 ふとそう思ったが、俺が治せるのはこのリストに乗っているものだけだ。勝手に請け負うと保険の適用外になる。何か起こった場合に俺では補償のしようがない。
 物は壊れるのだ。高度に技術が発達したこの社会ではだいたいのものは治せる。人の寿命ですら、サイボーグ化したりバイオノイド化したりと、まあ色々と方法はあるが修理することができる。この女も何かあって体をこのように修理したのだろう。そしてメンテナンス契約を締結しなかったのだろう。

 当然ながら修理には金がかかるのだ。そして急を要するものも多い。だからたいていのものはその資力に応じてメンテナンス契約を締結している。それは先払いであり、壊れたら俺みたいな近くにいる作業員に司令が降りてそれを治しに行く。契約の内容も永久契約と回数契約がある。俺みたいな配管工によるメンテナンス契約は下から3番目くらいで、たいていは回数契約だ。金持ちなら莫大な金を払って再生メンテナンスの永久契約をしていることもある。有機的にもとの有り得べき状況を記録していて、不具合が生じれれば元の状態に再生・回復する。病気や老いであっても対応可能だからその料金はとても高い。
 まぁ、俺みたいな貧乏人が受けられる契約はせいぜい配管メンテナンスだから雲の上の話だな。とはいっても細胞の劣化や変質等は不可能なのだがこの契約でも循環器系や消化器系といった穴を通じてなんとかできるものについてはだいたいがなんとかなる。

「お前、メンテナンスは?」
「メンテナンス」
「どこかと契約はしているのか。していないなら不具合があっても俺は修繕できない。だから俺についてきても無駄だ」

 物はできた瞬間から劣化が始まる。だから時間が経てば立つほど新たに契約を締結する費用がかさむ。大抵の場合、生まれた直後に契約しなければ新たに契約をするなんて実際には難しい。メンテナンス契約をしていないのであればそこで全てが終了だ。それに契約していたとしても契約で対応できる範囲を超えた異常が発生した場合は寿命ということだ。今の時代の人の寿命というのはそのように決まっている。
 おれもあと2回しかメンテナンスは受けられないから、あと2回壊れたら俺は治せなくなる。

「契約はない」
「無理だ」

 女を観測する。見るだけなら補償すべき損害は発生しない。右腕がない。それから言動から脳の器官に損傷があるように思われる。
 配管を修理することはできるけど、そもそも俺は機械音痴だから腕の機構を作りなおしたりすることはできないよ。頭なんてもっと無理だ。
 無理だな。俺はリストの確認を再開する。今日はあと2件行けばノルマは終了だ。歩きだしても女はまた付いてくる。その日、俺は浄水が流れてこないという配管のメンテナンスと、エネルギーチューブのつまりが原因の左肘の動作不全を修理した。そのころにはすっかり空には黒い色が映写されていて、夜が来たことを知った。

 あとは晩飯を食って、宿舎に戻ってまた明日の朝目覚める。
 昼によった蕎麦屋にまた寄った。そして同じもりそばとサプリのセットを一つ頼む。女は付いてきて、運ばれてきた蕎麦を俺がすするのを眺めていた。

 なんとなく半日ほど一緒にいると少し愛着はわいたものの、結局俺にはどうしようもない。蕎麦が食いたいのかとも思ったが、そもそもこの女が何を食べるのかもわからない。
 サイボーグであれば電気の補充、バイオノイドであれば特殊な生態燃料を食べるのであり、蕎麦なんぞ食べるのは肉100%のニンゲンくらいだ。つまり俺みたいなパーツを機械化できない貧乏人。
 そもそもエネルギー媒体による生体維持費用差は対してないのだが、口からの食餌というのはそれだけで時間がかかるし食物を糖化させてエネルギーにする過程が必要なわけだからロスも大きく時間もかかる。食餌のために一日一時間は時間を費やすし、この食餌方法自体によって詰まりや汚染等の不具合が発生するおそれがある。だからまず金があれば消化器官を機械化する。
 俺はその措置を施していないから食べられるのは有機食物のみだ。そんな人間はあまりいないから、結果として需要がなく、肉食用のための食餌を提供する店は少ない。結果的に俺が食う飯はほぼ全てこの蕎麦屋になる。

「ねえ、それは何の燃料なの」

 ああそうか。
 ひょっとしたらこの女は有機燃料というものを見たことがないのかもしれないな。俺みたいな肉100%の人間は少ないから。

「これは俺の燃料だよ。体が肉でできているとこういう形でしか飯が燃料を補給できないんだよ。それよりお前は飯はいいのか。何を食べるんだ」
「食べる?」

 埒が明かないなぁ。やっぱり壊れてるのかな。そう思っていると女は俺の蕎麦を一本取って俺を真似て口に入れた。あれ? 有機食物食えるのか? だが腕は機械だ。よっぽどじゃない限り機械化の最初は胃腸。何故。
 そう思ってると女は急にゲフゲフしだした。畜生、やっぱ食えないんじゃないか! 背中を叩いたけど蕎麦は出てこない。口に手を突っ込んでみたけれども出る気配がない。おそらく細い蕎麦はつるりと体内の奥に入ってしまった。
 くっ。仕方がない緊急避難だ。
 俺はその時まで、女を治すつもりがなかったのは本当だ。けれども目の前で苦しんで寿命を終えようとする女を放おっておけるほど、その半日は短くはなかった。俺の生活は常に一人でリストを守るだけで、隣に誰かがいるということは初めてだったから。

 俺はチューブを取り出して急いで女の口の中に突っ込む。
 法律では、目の前に明らかな詰まりがあって急いで修理すれば回復の見込みが高く、メンテナンス契約の状況を確認する時間がない時は不具合が起こったとしても免責される。ただし修理費用を取りっぱぐれても文句は言えない。
 喉にチューブを突っ込み、アームで挟んで蕎麦を取り出した。一本まるっと取り出せた。噛みはしなかったようだ。よかった。

 ふうと息を吐いて女の顔を眺める。
 わざとか? そう思ったが女の視線は相変わらずぐらぐらしている。エネルギーの摂取方法もわからなくなっているほど破損しているのだろう。
 あとの工程は軽く洗浄するだけだが、このまま喉の配管詰まりを直しても同じことをする可能性がある。ただ、生きていることを繰り返すだけ。だが俺はもう修理をはじめてしまったんだ。もう少し修理してもいいわけはたつだろう。

「チッ。仕方がねぇ。機械は本当に苦手なんだがな」

 原因の調査は修繕の一環だ。俺は極小のチューブを取り出して女の首元の検査用配管の蓋を開けた。

ー付言
自主企画企画のリメイクもの。
#空色ワンライ
★お題
1時間で書く
蕎麦を入れる
機械音痴な人を出す
鞄の中は○○でいっぱい。
 星の引力が突然強くなったらしい。
 僕はその時部屋の中にいた。
 丁度PCではストリーミング放送が流れていた。
 突然の強力な引力の増加は僕を部屋の床にくくりつけた。
 ガタリと音がしてPCが倒れる。
 それとともにピガという音がして音楽が途絶えた。
 僕はあのピアノの弾き語りの音が好きだった。
 リクエストした曲だった。
 丁度その配信が行われていた場所はカフェのオープンスペースだった。
 私はそこに設えたピアノのそばに携帯を設置してリクエストに応じてピアノを弾いていた。
 突然の衝撃とともに地面に引き倒されて床に転がると目の前の地面では木がずぶずぶと土にめり込んでいくのが見えた。
 全てのものが星の内側に落ちていく。
 歩いていたと思しき人はアスファルトに倒れて縫い付けられる。
 がしゃりと足元でピアノがその重さに崩壊し、由緒正しきエーセントルファーがただの木切れに変化する。
 携帯は遠くに飛んでしまってまだ配信が続いているかはわからない。
 体は動かないけど口は開いた。
 最後に引いていた曲の終わりを口ずさんでいると、空に閃光が見えた。
 金属の塊がたくさん降り注ぎ、大気圏に突入すると激しい閃光が巻き起こし空に明るい筋を描いていく。
 恐らくこの星の周りを回遊していた人工衛星やら極小の隕石が星に向かって次々と落下してきているのだろう。
 ドン、ドンという光に遅れて響くソニックブームは大きな何かの落下音。更におくれて届く風圧。
 髪の毛が激しく揺れたしばらく後に大きく振動する地面。
 おそらくどこかに落下した。
 見上げた昼間の月が大分大きい。
 こちらを目指して落下している。
 視界の端からゴオという低く重い音が響き、巨大な飛行機が街すれすれを落ちてゆく。
 電波塔の先端にぶつかり機体はさらに斜めに傾ぐ。
 先程から機内を鳴り止まない警告音。
 着席を求める客室乗務員と鳴り止まない怒号。
 窓を見ると着陸する時のように地面は近く、そこにたくさんの人が横たわっている姿が見えた。
 崩壊する建物の地響きとあがる砂埃。
 辛くも町の端っこをかすめて海に軟着陸し、そのまま大陸棚を滑って深い海溝に落ちてゆく。
 景色はだんだん暗くなり、機内の明かりも突然途切れる。
 やがて機体はひしゃげ水圧がその形を変えてゆく、
 最後の吐息はまるで肺呼吸の深海魚のようだ。
 唐突に訪れた星の寿命。
 やがて全てが動きを止め、死の静寂が訪れる。
 星の内部で水素とヘリウムが引き起こした核融合が鉄原子を崩壊させ、その陽子が電子を吸収し、中性子とニュートリノに姿を変えて星の圧力を奪って重力崩壊を引き起こす。
 くしゃくしゃと全ては小さく縮んでいく。
 全てを星の内側に引き寄せる圧力に星は耐えきれない。
 最後に瞬き星の雲となってチリは美しく幻想のように暗い宇宙に漂った。


ー付言
自主企画空色ワンライ7回目リメイク作品。
#空色ワンライ
1時間でつくる。
・金属の塊
・楽器が得意な人が登場
・「肺呼吸の深海魚」を使う。

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