22世紀。東京都豊島区のあるアパート。
 俺はカチャカチャと機材をセットしていた。
 ここは6畳ほどの部屋。所謂ワンルームというやつだ。フローリングの床、白い壁紙と白い天井パネルを基礎として、入り口右手にベッド、その奥にスチール本棚。左手は1コンロのキッチン、その並びに冷蔵庫、クロゼットと続くと直ぐに正面の窓にかかるカーテンに至る。カーテンの少し手前の絨毯の上にローテーブルと座椅子。
 どこにでもありふれた部屋なのに今は違う。シンクとベッドの間には赤黒い血がたまり、飛び散った血痕とともにその周囲を白いチョーク線で囲まれている。

 ようはゲンバってやつだ。
 俺は再捜研。いわゆる再現操作研究所職員で、調査のための機材をセットしていた。これは過去探査機。細い三脚を部屋の中央を囲うように3箇所配置。誰にでもできる簡単な仕事だと思われがちだが案外難しい。なるべく広い視野角を確保しつつ少ない機材で設置するのがコツだ。広く情報を拾えないと可能性がどんどん広がっていっちまうし、機材をたくさん置くと計算に膨大な時間がかかってなかなか数がこなせない。

「まだかい?」
「ここで時間かけたほうが最終的に時短なんだよ」

 俺に話しかけるのは相棒の捜査官。俺の仕事はこのPSと呼ばれている特殊機材で過去にありえたであろう事象を複数再現することだ。彼は俺が再現した結果を観測し、再現の中から事件の真実を確定する。
 スイッチを入れるとチリリと特有に空気が振動し、部屋の中央、血痕上に中肉中背の男の立体映像が浮かび上がった。

「こいつが被害者?」
「そう。どこから現れたかが問題だ」

 この事件はそれほど複雑には思えなかった。この部屋の所有者の女性が部屋に戻ったら男が倒れて死んでいた。刃物の角度や血痕の飛散状況を前提に再現された死体のPSから男の死因が自殺であることは確定している。部屋はオートロックで所有者の虹彩でしか開閉できない。
 この男が誰かも特定された。10年ほど前に北陸で行方不明になった。
 だがどこから現れたかだけがわからない。真実のピースが1つ欠けている。最近は殆どの場所に監視カメラが置かれて一元管理されているが、このアパートのある一角だけ死角になっていた。

 PSを動かすと俺たちの背後の玄関から男が現れ、俺たちをすり抜けてウロウロし始めた。

「違う。ここの玄関は所有者の虹彩情報でなければ開けられない。そして男は偽装しうるものは所持していなかった」

 機材の設定をいじって可能性を弾く。玄関はナシだ。
 今世紀初頭、サンセット研究所が確立した方式によって他次元宇宙、つまり並行世界が観測された。宇宙は複数の世界が折り重なりまたは隣り合って存在する。
 このPSは並行世界で起こった過去の事象を立体映像として再現する。過去が再現できるなら何故この世界の過去を再現しないのかって? 簡単だ。カメラが自分自身を写すのは無理だろう? だから俺たちは少しずつ異なる鏡のような並行世界で発生した過去を再現し、この現実で発生した真実を確定する。だからこの機材の名前はPastSeeker、過去探索器というんだ。
 目の前では男が窓から入る姿が映された。

「これも違うな。アパートの入り口を写すカメラはなくとも他にはある。窓を映した1年分のシームレスな記録には窓からの出入りの映像はない」

 さらに可能性を絞る。だがこの部屋には玄関と窓以外に入り口はないように思う。再度再生すると男は風呂場から出てきた。

「換気口は調べたが出入りの形跡はなかったよ」

 さらに再生を続ける。ベッドの下やクロゼットから出てくる映像を除外すると新たな場面は再生されなかった。ということは並行世界で他の事象は発生していない。愕然とする。つまりこれは、この世界でだけ起こった極めて珍しい事象。初めてのことに驚愕する。これじゃ真実が確定されない。

「ずっとここで死んでた?」
「死亡時刻は夕方」
「無から突然現れた? そんな馬鹿な」
「そんなことはないよ。簡単な話さ。他に可能性がない以上、あの男は玄関から入ったんだ」
「最初に玄関はな言ってたじゃないか」
「そう、1人では入れない。2人なら入れる。所有者と一緒ならね。つまり、最初に男が1人で死んでるっていう仮定が間違っている」
「所有者の真実もPSで確定してるんだろ?」
「そうだけど、その真実が成立しない可能性を探しに行こうか」

 真実を? まさか。今世紀初頭に冤罪は廃絶された。なぜなら真実が映像として再現されるからだ。この世界で起こりうる複数の真実候補を繋いで成立する真実を真実として確定する。それが現代の捜査だ。
 確定された真実を排除すると全ての根幹が崩れてしまう。

「真実を疑うのは間違ってる」
「うん、でも昔の警察は過去なんて見ずに想像で真実を捕まえたんだって」
「だから冤罪が多発したんだろ? 昔の推理小説みたいなことをやってみたいのさ」

 機材を肩に担いで草臥れた靴を履く。
 過去を見ないで過去がわかるはずがない。仮に単独で成立しうる真実候補が発見されたとしても、繋がらなければ意味がない。そう思ったけど相棒はどんどん先に歩いていった。
 客観的な証拠と客観的な証拠の間にある不確実な可能性を全て潰すことで真実を確定するのが現代捜査。わからないことなんてどうやってわかるんだ?

「とりあえず所有者がどこかの監視カメラからアウトした瞬間の過去を探そうか」

 そうやって何日か後、その女性が逮捕されたという報道が流れた。